夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

リメイク お気に入りの作品 蒔絵平棗 銘有明 追記 その2 & その3

2022-05-03 00:01:00 | 漆器
1週間ほど前に投降した記事ですが、家内と目下調査継続中であり、判明した事象を末筆に追記して投稿しています。一度読まれた方は後半部分のみをお読みください。

庭に牡丹の花も咲き始めました。


各種の色のボタンが順々に咲き始めています。


冬は寂しかった庭も彩を添え始めています。


本日の作品は家に古くからあった蒔絵の平棗の作品の紹介です。古くから当方には蒔絵の棗の作品が幾つかあり、その2作品を整理してみました。


しばらく使うこともなかったので、保管方法などの見直しです。


まずはその一つの平棗の作品です。


外箱、内箱ともに塗の作品です。

お気に入りの作品 蒔絵平棗 銘有明 
銘「有明」金文字 塗二重箱
最大胴径83*底径49*高さ57


外はやや盛り上がった部分のある金や銀を使った作品です。かなり高度な技法にて作られています。


内側は単に梨地のような金彩ではなく、雲を露わしているようです。作品の外箱には「有明 まきえ 平棗」とあり、内箱には「有明」とあります。

 

この銘である「有明(ありあけ)」の道具は茶事においては主に秋に用いる道具とされているようです。


「有明(ありあけ)」の意味は「夜の明け方のこと。月がまだ空にあるうちに、夜が明けてくる頃。または「有明の月」のことで朝の空に淡くかかっている月ですが、本作品は単純に「夜の明け方のこと。月がまだ空にあるうちに、夜が明けてくる頃」という意味でしょう。


この「有明」の銘のある茶道具では下記の作品が挙げられます。
あまりにも有名な「中興名物 光悦作 赤楽筒茶碗の銘。光悦十作の一」です。「千家中興名物記」に、横山藤七に伝わる青替りのある茶碗と記載されましたが、長らく確認されておらず、再発見された赤筒茶碗「有明」のことです。


さらに茶碗では「雲州名物 井戸脇茶碗」の銘。「雲州名物帳」に、元の名を「関白」といい、土井利和から不昧に伝えられたとある。

片桐 石州(かたぎり せきしゅう)
口径13.5 高7.0
可部屋集成館 雲州蔵帳上之部


この茶碗はやや小振りながら堂々とした作行きの茶碗で、高台脇には大粒のかいらぎが見え、胴から口辺に向かってろくろ目がめぐり、すっと立ち上がった端正な碗形となっている作品です。雲州蔵帳上之部に記載(雲洲名物)され、不昧の箱書きによる共箱があります。  

他にも「宗旦作 尺八花入の銘」 雲州名物 三井家伝来 
   「石州作 茶杓の銘」:白竹で節下に濃淡の黒斑があり、
              その景色を有明の雲に見立て命銘された作品」、    
   「大名物 漢作唐物 肩衝茶入の銘」(正木美術館所蔵)
   *「たのしみは命のほかになにかあらん ながらえてみる有明の月」と遠州の書状にあります。

いずれにしても「景色を有明の雲に見立て命銘」された作品でしょう。

蓋の烏は銀で表現されています。


金彩による表現も幾つかのパターンを使い分けています。


実に手の込んだ技法でこれを「超絶技巧」と称するのでしょうか?


大名家などの嫁入り道具のひとつであったのかもしれません。


外側にはゴイサギも描かれています。


内部の雲様子から「有明」と銘したのかもしれません。


なにはともあれ、先祖伝来の作品ですので、大切に保存していきたい作品のひとつです。


当方のお気に入りの作品でもあります。

ちなみに 平棗とは「薄茶器の棗の一種で、扁平な形の棗。直径が高さよりも大きい。」とされます。

追記:先日投稿した下記の蒔絵の棗の作品に、会社にいる小生に家内からメール・・。どうも隠し文字?があるらしいと・・。

作品を肉眼で見ていると解らなかったようですが、ブログ掲載のために反射を防いで斜めに撮影したことによって気がつきました。




2カ所・・、否3か所ですがただし判読不能です。



製作時なのか、その後に後から書かれたのかも不明。

追記

家内がいろいろと調べてくれていますが、下記のような作品を見つけたようです。

参考作品 ネットオークション出品作 落札金額:58万円
照高院宮道晃法親王御筆 黒塗見返詩紋共箱附 
皇室用 黒塗内金梨地有明蒔絵硯箱・黒塗内梨子地銀象嵌銀縁蒔絵硯箱 共箱 
硯箱:幅 20.3cm 奥行 18.4cm 高さ 4.2cm



書体や蒔絵の出来に若干の違いはあるもののこの硯箱と棗は同一人物、もしくは同じ工房で作られた作品のように思われます。

*蒔絵中の文字がこの硯箱にあるかはこれだけの写真では不明です。

本作品の蓋裏をもう一度読みに注目してみました。

「朝(あけ)からす夢 もる ありあけ のみる 桂(杜)?ぞ? すゑしも 月は夜ふかき 照高院宮道晃法親王御筆」と蓋の裏にあるようです。

蒔絵には推測するに「有明」、「残月」、「もる」の字句が蒔絵の中の隠し文字のようですが、文脈がうまく通じない・・。



照高院宮道晃法親王については下記のような略歴のようです。

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照高院宮道晃法親王:612-1679 江戸時代前期,後陽成天皇の皇子。慶長17年3月8日(一説に10月12日)生まれ。

母は三位局(さんみのつぼね)。天台宗。聖護院(しょうごいん)にはいり,道勝法親王にまなぶ。寛永3年親王となる。園城寺(おんじょうじ)長吏,三山検校(けんぎょう)をつとめ,のち京都白川の照高院(しょうこういん)にうつる。茶道,書画,和歌をよくした。遍照寺宮と称された。延宝7年6月18日死去。68歳。

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さて棗ひとつの作品にこれだけ時間と労力をかけるのも珍しい・・。


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