今日はちょっぴり長いです♪
なので、お時間の無い方はスルーしてくださいね♪
さて♪
今日のニュースで、中国が「遺伝子組み換え」よりもはるかに正確な「ゲノム編集」の技術を使い、人間の受精卵を操作したと伝えていました。
名目上は「医療目的」だろうけれど、実際はその技術で「筋肉の量が2倍の牛」がすでに作られたんだとか。
私としては・・・そこまで人間が踏み込んでいいものなのかしら?
「恐怖」さえ感じます。
でも、確かに医療技術の進歩は、病気をお持ちの方やその親御さんたちにとっては「一縷の望み」であり、「希望の光」だと思います。
私自身、次男が生後3ヶ月の時に「精神発達遅滞(知恵遅れ)」の診断が下ったとき・・・
医師に「何とか薬で治らないんでしょうか?」「どうしても無理なんでしょうか?」
と、今の医療技術なら何とかなるんじゃないかと必死に訴えました。
冷静に考えれば、無理なことなのに・・・。
でも、当時は医療技術にすがるような思いでした。
そしてその次男は「脳性麻痺」も持っていたのだけれど・・・
いい先生がいると知り、治したい一心で滋賀県の大津市まで行ったりもしたものです。
親ならば・・・当然の思い。
そう、なんとしてでも「治りたい!」「治したい!」は決して否定出来ない思い。
ただ・・・ただ・・・
どこまでが医療技術の進歩であり、どこまで人間は追求しつづけるのだろう?
とも思うのです。
ましてやそれが「長寿」のためにも使われるのであるならば・・・
私は「全くいらない」
そう思うのです。
私は常々・・・「人間も地球上に生息する生物の一つに過ぎない」と思っています。
そして、どんな生物を見ても「子孫を残す」という役目が終わったら・・・この自然界から姿を消すのが当然のこと。
それが人間だけは、その後の人生が今ではさらに30~40年ほどある。
これは、「科学技術」や「医療技術」の進歩によるもので、それらの「恩恵」を受けているからこそ。
だって、例えば「ライオン」が「老眼」になったり「歯」が無くなったり、または「足」が悪くなったとしたら・・・
それは「餌」を取ることが出来ないので・・・「死」を意味するものなのです。
でも、人間は「メガネ」をかけ、「入れ歯」をし(今では「インプラント」もあるし)、「車」に乗ればいいし・・・。
つまり「余生」とは、色々な「恩恵」によって「生かされている」と言うことなのです。
(なので、私は自分の出来る範囲でだけれど「恩返し」をしながら「余生」は生きていきたいと思うのだけれど・・・。)
そしてさらに言えば・・・その「恩恵」も後進に譲っていいと思うのです。
「科学技術」の進歩も、「医療技術」の発展も・・・未来ある若い人たちのためであっていい。
「寿命を伸ばす」ための進歩や医療の追求なら・・・これ以上はもういらないんじゃないかと・・・。
人間には、いえ、生物には「寿命」というものがあります。
その「寿命」を無理やり伸ばすのではなく・・・
ある程度の「恩恵」もありがたく受けながら、「一生物」としてなるべく自然に「死」というものを迎えたい♪
*ここでいう「自然」とは、「天寿を全うする」という意味ではなく・・・
「運命」を受け入れるという意味。
そんなふうに私は、そう思うのですが・・・。