うるう年生まれだった。正確には,2月29日。4年に一度しか誕生日がないのである。
それに気づいたのは,9/19放送の『鶴瓶の家族に乾杯』でゲスト出演されていたからである。
家族も見ていた。みんな「いいねえ,このお姉さん」という。もちろんそうだ。ジョージアのCMで「癒し系」を確立したのだしね。
それで,最近あまりにもテレビや映画に疎い状態(ニュースしか見ていない)のオズマは,飯島さんのHPで確認したのである。
一応40歳を超えているらしい。しかし,オズマの経験上,女性も男性も,本当に美しくなったり・カッコヨクなるのは,この年代以降なのだ。周りにもいるだろう。いや,つい最近発見した故・池田駿介さんなんて,60を超えていても実にかっこよかった。さすがキカイダー01だ!
それにしてもだ。以前離婚してから浮いた話を聞かないような気がする。まあ,オズマは週刊誌も読まなくなったのでそのせいかもしれないが,とにかく独身らしい。
それにしてもだ。外見だけでなく,本当に気持ちのいい女性だと思った。いやはや,うっかりしていましたな。
そういえば,他の「癒し系」と言われた方々はどうされているんだろうか....。優香はとくにお気に入りだったんですけどね....。
若い女性,というか,AKB48などのアイドル系には,やはり昔から興味がないのだ。こればかりはしょうがないな。
先月,久々にプロガイドを受けたわけであるが,その後の水郷釣行では,かつてなく釣れていると思う(あくまで当社比)。というより,1匹の理由が見えてくるときがあるような気がする。昨年まではほとんどクランク・スピナベで釣れていたわけだが,今年はベイトフィネス導入まで,どうにもこうにもならない感じが続いた。釣れても理由が思いつかないことばかりだったように思う。
さて,標題のことを書こう。まずは,オズマの「ガイド記憶」から。
①1992年5月 藤木プロの琵琶湖「小野」ヘビキャロガイド。
②1992年9月 藤木プロの琵琶湖「木浜」バイブレーションガイド。
③1994年7月 藤木プロの琵琶湖「琵琶湖大橋」ヘビキャロガイド。
④1995年9月 吉田秀雄プロの琵琶湖「下物」ガイド。
このあとの記録・記憶が非常に不鮮明。1995年以降,しばらくバスバブルが到来し,有名ガイドの予約が来年まで埋まっているという状況になり,琵琶湖遠征してもプロとは名ばかりの「ボート保持者」に単に釣らせてもらった記憶が数回あるだけ
。霞ヶ浦でも,1回だけ有名プロと言われる方のガイドを受けたが,オカッパリで十分に釣れる時代だったので驚きも何もなかった
。
⑤2000年5月頃? 本山プロの霞ヶ浦「玉造」スプリットショットガイド。
⑥2011年8月 佐藤順一プロガイド(内容はここでは省略)。
次は,それぞれで得られたことだ。
①は,人生初のバスボート体験もあったので大変盛り上がった。自分の技術はピッチング・フリッピングが十分にできない有様だった
。
最初,伊庭内湖(当時はシークレット状態だった)に案内されたが,とにかくキャスト精度がお話にならないので自分だけ釣れない。そこで,まだ覚えているが「これから本命ポイントに行きます」といわれて着いたのが「小野駅」前。
そこは,ウィードが水深5mラインに点在し,多くのポストスポーン・ビッグバスが居るというポイントだった。そしてルアーはヘビキャロ。オズマは,この年に購入した「ガニングシャフト」を持っており,運良くGWの北浦でヘビキャロ練習をしていた。たしかラインは初代GTR14LBで挑戦した記憶がある。そしていきなりビッグバスばかりが釣れ始めたことも。
そして雨に濡れながら,50UPを人生初ゲット。このときのワームの動かし方も「止める」がキーだった。ショー・グリズビーHPフック(スクリューがついていてワームを固定できた)でワームをずれないようにセットし,それでズル引きだった。
釣り方がいかにも琵琶湖らしく強烈で,ガニングシャフトが根元から曲がるような衝撃を,まさか翌日岸釣で再現できるとは思わなかった。
その結果が写真である。友人と似たロケーションを探し,近江高島水上警察付近のウィードエリアをヘビキャロで探っていた。そして「カツ」というアタリにフルパワーで合わせると,写真の50UPが釣れたのだ。以後,霞水系では2002年まで50UPは釣れていないのだが。
②では,バイブ超速引きの有効性を再確認した。実際,藤木プロとともに,おそろしいぐらいの入れ食いだった。最後はもう腕がパンパンになっていたが,初代スコーピオン2000・BSRファイティングロッド1702・アプロードFX12LBで,とにかく引きまくった。
同時に,ヨコハマディープホールでの1本も記憶に鮮明だ。自作ラバージグの欠陥(ラバーの巻きすぎでフレアしない)を指摘され,その理由に納得し,当時流行のベビーギドバグをトレーラーにして,ガニングシャフトでまさに電撃アワセをしたものだ。このときから,ジグの自作はさらに進化し,2000年ぐらいまではガンガン作っていた。なんといっても中古店のない時代だったので,自作が圧倒的に安かったからだ。
③では,ちょうどレフトハンドに移行しつつあったオズマにとって,また,ヘビキャロというすでに使い慣れたリグを実践するにあたり,さらなる驚きがあった。要は,キャスト精度の問題である。琵琶湖大橋の橋脚付近を狙うものだったが,少しでもズレルとバイトが遠い。逆に,きちんと入るとタックルごとバスにひったくられる。事実,友人のガニングシャフトは,バスにひったくられてボートのクリートにはさまれてポキリと折れてしまったほどだ。
④では,下物でひたすらディープクランキングをした記憶が残っている。とにかく吉田プロが「水の中が見えているのか」と思うぐらいに的確に釣り続けるのにビックリした。自分はチビバスをビッグクランクで入れ食いさせるということばかりだったが....。この当時は,レフトハンドリールでディープクランキングができるほどの体力があった。
⑤は,霞ヶ浦最高のガイドだった。結果は,自分の技術不足でロクなものではなかったが,友人が入れ食いを演じていた。このときもポストスポーンで,本山プロには「夏だったらバイブで100匹ぐらい釣れますよ
」と言われたのをよく覚えている。オズマがかなりハードルアーに傾倒していたころで,ライトリグがどうしようもなく苦手になっていた記憶が鮮明だ。とにかく本山プロは船長に徹していた。その姿に感動した。
このように書いてみると,それぞれで節目がある。今年はとくに明確に「ワームの基本を知りたい」というものがあり,それに合致したので結果も最高のものとなったが,上記のように,自分の実力が不足しているときは結構ツライときがある。逆に,それがその後のレベルアップにつながっているのだと思いたい。
ガイドでは,単に楽しむのもいい。デカイバスを釣りたいというものでもいい。でも,オズマの経験では,自分の実力を客観的に伝え,苦手分野の克服なのか得意分野の拡大なのかなどを,あらかじめガイドと相談しておくことをオススメする。
そういえば,霞水系では,最近オカッパリガイドというものがあるらしい。いまの自分なら,「あのポイントはいまどうなのか」を確認する意味で効果がありそうだ。そしてガイドなら,本数などはどうでもよく,40UPを最低3本は釣らせてほしいと思う。その位でないと,「プロ」ガイドをお願いする意味は,いまの水郷では感じない。霞水系でバスボートに乗っても,ボラとレンギョの魚雷が飛んできたり,水が汚いので気分もそんなにヨロシクないのをよく知っているからだ。
いや待てよ 利根川なら話が違うんじゃないか。利根川なら楽しそう
。
ウム。利根川ガイドを探してみよう。日帰りだから気楽だしね。いまのテーマなら,「震災以後,どう変わったのか・変わらないのか」だ。利根川なら,5本で4500gは釣りたいねえ。さすがに関東ですからね,50UPはまず無理として,40UP5本ですかね。