1992年7月発行。20代前半の記憶。
ジェニファー・フェドリックの話題を勝手にT-REXさんのコメント欄で盛り上げたが,誰もついてこない。
僕がバス釣りを始めたのは1988年。その翌年,1989年にジェニファーはフルでJBTAプロサーキットに参戦した。はっきりいえば美人さんの類であり,僕はフィッショングショーでウキウキ記念撮影してもらった記憶もある。サインも色紙にまで書いてもらったっけ。
いまみたいに「釣り雑誌,読まない」が基本になったのは,おそらく30代以降。ネットで情報が得られるようになり,アマゾンが上陸してからは通販での購入が非常に増えた。そして,近所に数件はあったルアー屋さんがみんな廃業した。
さて,「釣りガール」がいまだに牽引役としていなければならないお寒い釣り業界。児島玲子も現役引退したし,田辺哲男もトーナメント引退宣言したらしい。そんなお寒い状況だが,1992年はまだまだ活気があった。
ダイワ精工がひたすらにアメリカからバスプロを招聘していた時代。
ほら,これを見ると「おお,懐かしい」と思うかどうかで貴方の年齢は測れるのです(笑)。
たしかに,来日したことは覚えているのだが,当時の自分のバス釣りは完全に下の方に影響されてたヨ。
爆釣時代。霞・北浦爆釣時代。まさにそういう時代があった。
村田基は当初から有名だったと思うが,いまみたいに海外ロケとかはほとんどなかったはず。なぜなら,日曜日の潮来釣具センターにはいつもご本人が居たからである。ラインやルアー,竿,いろいろ役立つお話を伺ったものだ。自慢話をすると倍返しであり,「今度こそ村田さんを唸らせるゾ」なんて息巻いていたものだ。
柏木重孝は「ドクター・カシワギ」で「TOPの鬼」のような扱いだったが,当時のVHSを見ている限り「気さくな釣り好きお兄さん」だった。もっとも,僕は特別ZEALフアンでもなく,とくにルアーは買って....あ,アライクンだけは買ったかな
このように,フレッダ・リー,リンダ・イングランドを語るはずが語れない。真剣に見ていなかったからだ。いまだに海外からのバスプロで印象深いのはリック・クランとギド・ヒブドン。
何が言いたいかというと,無理して記事を書こうと思ってもかけないものだということ。いやあ,僕はお年を召したジェニファーさんでも好みのタイプです
なお,21世紀の釣りガールはこんな感じです。楽しいけれど,本気かどうか怪しくない?ってのが本音です。
第4期釣りガールオーディション