「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

福岡県久留米市  「 久留米競輪場 ・ デビュー戦 」 

2012-07-04 15:13:19 | 競輪・オートレース



デビュー3戦目となった広島オール新人戦2着で表彰式へ ( 白色・1番車 )








デビュー戦 1着 ( 赤白の7番車 ) 久留米競輪場にて






デビュー戦。一生に一度の晴れ舞台。
そんなデビュー戦は、緊張よりも走るのが楽しみだった。
ゴールまで夢中でペダルを踏み続けたら、ぶっ千切っていた。
それがプロとしての記念すべき1勝であり、
競輪人生のスタートだった。


昨日、ガールズ競輪の最初の優勝戦が平塚競輪場で行なわれた。
予選を勝ち上がった7名の中で圧倒的な強さを見せつけた加瀬加奈子が
優勝に最も近い選手だと思っていた。
だが、そんな予想を覆すように19歳の小林莉子選手が
加瀬選手の番手から追い込んで歴史に名を刻んだ。
逃げた加瀬選手は3着に敗れたものの、価値ある3着だったと思う。

ガールズ競輪の初日のデビュー戦を観戦したが、
多くの選手に気負いと硬さが見られた。
デビュー戦は緊張するものだが、
敢闘門を出て発走機に着く前に落車した高松美代子選手。
元教師で50歳の最年長選手だけに、
本人も 「 なにをやっているんだろう 」 って思ったに違いない。
競輪は脚力もだが、メンタルな面でも勝負を大きく左右するものである。

全選手のコメントが 「 自力 」 「 逃げたい 」 だった。
自力は先頭を走る分だけ風を受ける。
自力選手は自分で主導権を握ってレースを作れる有利さはあるが、
「 風を勝つ 」 。もしくは 「 空気抵抗に負けない力 」 を持っていなければ、
そう容易く勝てるものではない。
逃げる勇気、風を切る勇気が要る。
その勇気も厳しい練習を経た勇気でなければ本当の勇気ではないということだ。
とにかく志が大きければ、大きいだけ練習をしなければならない。
一に練習、二に練習、千に万に億に、練習なくして勝利なし。

まだ勝負は始まったばかり。
がんばれ!がんばれ!




熊本県上天草市  「 小屋河内港とスーパーイーグル 」

2012-07-04 14:53:36 | 船 ・ フェリー ・ 港













ゆうべ1000本近い自作の動画の中から、
馬渓橋の近くの山国川の動画を探していたら、
上天草市小屋河内港とスーパーイーグルの動画が出て来た。
この他にも 「 松ヶ鼻麦瀬照射灯 」 の動画もあったので、
ブログ貼付とは別に紹介したいと思っている。

スーパーイーグルは、三角港から龍ヶ岳や倉岳方面に向けて
海上ルートで天草を結ぶ小型連絡線である。
渡船については詳しくないので詳細については書けないが、
ここから見える御所浦島や横浦島などにも船が出ているのかも知れないな。

機会があれば、一度は渡ってみたい島である。



沖縄県嘉手納町  「 屋良大川按司の墓 」

2012-07-04 14:28:16 | 沖縄の王墓、按司墓、拝所



屋良グスク下にある 「 屋良大川按司の墓 」






屋良県営団地の向かい側が 「 屋良城跡公園 」 の東北部にあたる。
その東北端の崖下に城主であった 「 屋良大川按司の墓 」 がある。
墓は岩穴に石を積んでふさいだかたちで造られており、
按司の神屋(かみやー)は、嘉手納給食センターの南側高台にあり、
伝道門中がウチマーに拝んでいる。

城跡の中ほどに屋良城ノ嶽 ( 神名 「 笑司ノ御イベ 」 ) があり、
おそらく屋良グスクの守護神であったのだと思われる。
今でもヌルや区役員が参拝している。

三山時代、北山グスクに対抗する中山連合軍の最前線基地は、
東に伊波グスク、西に山田グスク。
そして第二線基地は東の安慶名グスク、中央の知花グスク、
西の屋良グスクだったといわれている。

北山滅亡後、北山王の娘が読谷村古堅に逃れ、
屋良大川按司の二世あたりが知るところとなった。
人目を忍んで愛し合い、生まれた子が阿麻和利(あまわり)だという伝えがある。



沖縄県嘉手納町  「 屋良 ( やら ) グスク 」

2012-07-04 14:11:12 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



今は公園として使われている屋良グスク跡















グスクの崖下 ( 屋良大川按司の墓付近 )







屋良グスクの下を流れる比謝川






嘉手納ロータリーから 「 道の駅かでな 」 方面に進むと
この付近一帯を北谷間切屋良村といい、屋良グスクがある。


 中北山三代目城主の今帰仁按司と絶世の美女と謳われた
大湾乙樽(おおわんうとぅだる)との間に生まれたのが、屋良大川按司だといわれている。
この系統は五代まで続き、「御先大川」と呼ばれている。

 御先大川の時代、三代目屋良大川按司と
後北山王統を打ち立てた北山軍の戦いを「古堅の戦」として伝承されている。
比謝川河口より攻め入った北山軍と、
迎え討つ大川軍は、古堅の原野で激戦を展開する。
そこで力尽きた北山軍は撤退するが、
時を経て、再び攻め入った北山軍は、大木の原野で激戦を繰り返すものの、
結局最後は大川軍が地の利を生かして勝利する。
その大きな原動力となったのが、中北山系統の落ち武者であったと伝えられている。

 屋良グスクは、比謝橋の上流約700m南側に築かれたグスクである。
グスクは石灰岩の断崖の上にあり、
戦後主郭にはアメリカ軍の燃料タンクが設置されたため、
大きな破壊を受けて郭の面影を残していない。
また、二の郭と三の郭などからも石垣などの遺構は全く見られないことから、
築城の段階から石垣のないグスクの可能性が高いと思われる。


屋良グスクへのアクセス
屋良グスクへは、嘉手納ロータリーを「道の駅・かでな」方向へ進み、
500mほど行ったところに屋良小学校と嘉手納高校の看板がある。
そこを左に曲り、200mほど行ってまた左に曲がって行けば右側に屋良城公園がある。
その一帯がグスク公園になっている。
また、ここには屋良大川按司の墓もあるが、屋良大川按司の墓は別ページで紹介する。
駐車は、公園の駐車場が利用できる。

( 沖縄県中頭郡嘉手納町屋良 )




熊本県南阿蘇村 「 尾道橋 ( おどうばし ) 」

2012-07-04 13:54:58 | 熊本の石橋




































架橋  /  明治34年 ( 1901年 )
石工  /  不明
長さ   /   12m   幅   /   5m
拱矢  /   2.5m   径間  /  5m
単一アーチ



尾道橋は栃木橋とも呼ばれ、民家の前の緩やかなカーブを跨ぐように架かっている。
アーチは馬蹄形に近い逆U字型のきれいなアーチをしており、
内部は布積みされた石が規則正しく積み重ねられている。
壁石はアーチに沿って高く積まれている。

尾道橋へのアクセス
阿蘇長陽大橋を東へ渡って、その先を右折、最初の沢に架かっている。

( 熊本県阿蘇郡南阿蘇村 栃木 )



4月18日の耶馬渓ダム・柿瀬橋から掲載した探訪も、この尾道橋で終了である。
明日から4月19日の探訪へと移るが、
わずか1日の行程の掲載に2ヵ月以上もかかってしまった。
それだけ色んな場所を探訪したということだろう。


北部九州は雨。そんな雨の日に・・・

2012-07-04 13:30:39 | 日記 ・ イベント









昨日の天気予報では福岡県全域が傘マークだったが、
今朝5時過ぎに起きると東の空が明るくなっていた。
それでも 「 そのうち雨が降るだろう 」 と、
休みになるつもりでのん気に構えていたら、
仕事に出る時間まで雨が降りそうもないので気持ちを切り替えて現場に出た。

型枠の続き入れ始めたら雨が降り出した。
2時間ほどで型枠を全部入れてホームタイを鋼管で固めたが、
暑い中の仕事よりもうんと楽だった。

社長は 「 午後から生コンを打ちたい 」 と言っていたが、
「 こんな雨の日に生コンを打ったらノロが浮いて流れてダメやろ 」 と言うと、
「 そうか! 」 といって10時過ぎで仕事を打ち切ったが、
現在の雨の状況を見れば、 「 生コンを打たなくて良かった 」 と思っているだろう。

午前中まで鳴り響いていた雷鳴も止んだので、パソも心配せずに開けし、
2時間あまりではあったが、切りのいい所まで労働をした後は気分がいい。
ブログを書いたら、あとは熱々の唐揚げで一杯やるばかりである。