「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

大分県中津市本耶馬渓町 ・ 天気が良かったころの「 青の洞門 ( 耶馬渓 ) 」

2012-07-14 11:11:32 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣




















青地区にある「 青の洞門 」 入り口








菊池 寛の 「 恩讐の彼方に 」 のモデルとなった禅海和尚が掘ったトンネル








洞門の入り口に立つ 「 禅海和尚の像 」














画像も動画も天気が良かったころの 「 青の洞門 ( 耶馬渓 ) 」 付近である。


先日、降雨による被害が大きかった日田や耶馬渓地区。
やっと復旧しかかったのに、また水害で水に浸かってしまっている。
「 やばの駅 」 がある柿坂地区や 「 青の洞門 」 がある青地区。
平田地区の 「 馬渓橋 」 や洞門の下流にある 「 耶馬渓橋 」 の欄干近くまで
水位が上昇していた。
日田も花月川が荒れ狂ったように流れていた。

日田や耶馬渓を愛した者にはたまらない光景である。
「 もうこれ以上降らないでくれ! 」 と言いたい。





有田焼きのマグカップと器

2012-07-14 09:34:51 | 日記 ・ イベント
















有田ポーセリングパーク内にある 「 焼きもの市場 」 で買ったマグカップと、
焼きカレーを食べた時のお土産としてもらった器である。
基本的に器は青や緑系統が好きなので、これに決めたが、
どちらもお気に入りである。

ちなみにマグカップは1050円でした。







佐賀県有田町  ・  「 陶山神社鳥居 ( とうざんじんじゃ とりい ) 」

2012-07-14 09:07:06 | 近代化産業遺産・土木遺産



陶山神社鳥居









陶器で出来た 「 神 額 」










































































陶山神社から見える上有田の町並み








境内にある陶器で造られた狛犬








陶器で出来た 「 説明板 」












■ 所在地 /  佐賀県西松浦郡有田町大樽
■ 竣 工  /  1888年 ( 明治21年 )
■ 製作者 /  岩尾久吉
  角物細工人  /  金ヶ江長作
  丸物細工人  /  峰 熊一
  扁額揮毫    /  中林吾竹
■ 登録有形文化財



豊臣秀吉の朝鮮出兵に由来する肥前の陶磁器製造は、
出陣して陶工を連れ帰った藩主・鍋島直茂と彼に庇護された朝鮮陶工の李 参平によって確立される。
その二人を祭神である応神天皇とともに祀ったのが陶山神社である。
創建は皿山代官の指示によるとの社伝もあって、陶磁器ゆかりは深い。
鳥居は大物の磁器生産技術が大きく発展した明治中期に、
稗古場 ( 銘記には日恵古場 ) 町の陶工たちが製作・奉納したもので、
高さ3.63m、幅3.6mを計る。
境内には明治20年に赤松町の今右衛門が奉納した磁器狛犬や、
明治22年に井手金作が製作し、中ノ原が奉納した大水甕もある。

日本における磁器発祥の地・有田の町を見下ろす高台に、
陶山神社は万治元年(1658)に建立されました。
神社の石段を上ると、白磁に淡いブルーの唐草文様が描かれた美しい磁器製鳥居が、
参拝者を迎えてくれます。
これは、明治21年に陶工達が寄進したもので、いまや有田のシンボル的存在である。

神額の裏側には、久間永五郎、斎田為太郎、江頭熊三、大串庄之助などの名前が読み取れたが、
他にも何か書かれているようだが確認できなかった。


佐賀にある肥前鳥居は、石で出来ている。
肥前鳥居は、現在の一般的な鳥居(明神鳥居)とは異なり、島木・笠木・柱が3本継になっている。
また笠木の先が舟のへさきのような形をして、柱の基部の亀腹と柱が一体に造られている。



沖縄県うるま市  ・  平安名の 「 ワイトゥイ 」 

2012-07-14 08:40:55 | 沖縄の文化財



長さ150m、高さ20mを切り拓いた道

























説明文の近くにある 「 開通記念碑 」






ワイトゥイはうるま市勝連の平安名 ( へんな ) 南西部の比殿原 ( ひどぅんばる ) と
嘉慶奈久 ( かげなく ) の農耕地へ通ずる断崖を掘削した農道である。
長年、村人は比殿バンタの急崖の険阻な山道を登り降りしていたが、
この苦難を解消するために、
岩山をトゥングェー ( 金鍬 ) とカニガラ ( 石割棒 ) など人力だけで150mもくりぬき、
昭和7年から昭和10年の3年の歳月を費やして完成したものである。
岩を割って取ったという意味から 「 ワイトゥイ 」 と呼ばれている。

この路標の右手の山には平安名ウフグスクがあり、
ワイトゥイの入り口の左右には古い墓が点在している。
グスクの石積みと間違って写真を撮っていたら古墓だったのを思い出す。

※ バンタとは断崖を意味するウチナー言葉


沖縄県うるま市勝連町平安名




熊本県美里町 「 西ノ鶴橋 ( にしのつるはし ) 」

2012-07-14 08:30:07 | 熊本の石橋



































架橋 / 不明
石工 / 不明
長さ / 2.0m
幅  / 1.9m  高さ / 1.5m



塚瀬ダムからさらに上流に1キロばかり進むと、左側に民家がある。
その入り口に西ノ鶴橋が架かっている。
西ノ鶴橋は、4、5歩も歩けば渡れるほどの小川に架かる小さな橋である。
四角に加工された石を積んだだけの簡素なものだが、
年月を経て自然と一体化した趣のある橋である。
この橋を訪れたのはこれで二度目だが、
以前クッキリと見えていた路標の文字が消えていた。


西の鶴橋へのアクセス
西の鶴橋へは、松橋インターより国道218号線を佐俣の湯の先から県道321号線に入り、
甲佐岳に向かう井竿橋の300mほど手前になる。
駐車は路上駐車になるが、
この付近は道路の幅が狭いので、少し離れた広い場所を選んで止めた。

熊本県下益城郡美里町甲佐平