沖縄県名護市立嘉陽小学校の前にある聖火宿泊碑
1964年東京オリンピックの聖火が本土返還前の沖縄で宿泊した記念碑
99年の歴史に幕を閉じた沖縄県名護市立嘉陽小学校
まだ沖縄がアメリカの統治下の時代に
東京で開催されたオリンピックの聖火が回って来たことは
「 同じ日本だぞ! 」 という配慮が込められたものだったと思う。
その聖火が沖縄県北部の小さな集落で宿泊したのだから、
地域住民にとっては、大きな誇りだったと思う。
その表れが 「 記念碑 」 であろう。
記念碑がある嘉陽小学校は児童の減少により、
一昨年に99年の歴史に幕を閉じた。
その時、jimamaさんが在校生と一緒に 「 大丈夫 」 を唄ったのを覚えている。
今日、ロンドンオリンピックが開幕した。
オリンピックパークの水上のボートから渡されたひとつの聖火が
メインスタジアムで7人の若手アスリートに渡され、
7つの聖火が204の国と地域の名が刻まれた花に点火されると、
やがてその聖火がひとつになった。
それはなんとも幻想的で感動的なシーンだった。
上空からの映像はウルトラマンのカラータイマーのように
色とりどりに変化して、メインスタジアムは夢と希望に包まれていた。
そのスタジアムがチカチカと点滅するゲーム機のルーレットに見え、
スタンドの一ヵ所がオレンジ色に変わったとき、懐かしい歌が流れた。
ポール・マッカートニーが唄うヘイ・ジュードは、
ビートルズ世代のボクらにとってサプライスであり、最高のプレゼントだった。
そしてアメリカの統治下にありながら東京で開催されるオリンピックの沖縄での聖火リレーは、
ヤマトンチュからウチナンチュに対してせめてもの思い遣りだったのかもしれない。