比謝橋の模型の下にある歌碑
比謝橋のたもとにある吉屋チルーの歌碑
一 恨む 比謝橋や
情きねん人ぬ
我身渡さと思てィ
掛きてィうちぇら
二 島んとゥなどとゥ
クバんソイソイとゥ
繋じある牛ぬ
鳴ちゅらとゥみば
三 鳴ちゅるむぬ聞かぬ
鳴らむぬ聞ちゅし
くぬ世からあぬ世
近くなたら
四 拝でィ拝みぶしゃ
首里天加那志
遊んィうちゃがゆる
御茶屋御殿
恨むべし 比謝橋よ
私を渡そうと思って
情けのない人が
架けておいたのか
故郷の村も静まり
クバの葉がそよそよと
繋いである牛が
鳴いていると思うと、、、
鳴っているはずの音が聞こえず
鳴ってないはずの音が聞こえる
この世からあの世が
近くなったのだろうか
拝んで拝みきれぬ
首里の王様よ
遊んで遊びきれぬ
御茶屋御殿(という名がよいよ)
1600年代に実在した(1650年生まれが有力)と言われる女流歌人。
「吉屋チルー」は沖縄県読谷村(恩納村山田という説もある)の生まれとされ、
7.8才の時に家庭の事情で那覇の遊郭に女郎として売られる。
その時に詠んだ歌が一番。二番は、那覇の遊郭から故郷を偲んだ歌。
病床で三番を詠んだあと、20才前後の若さで自殺したといわれる。
四番は、そのお骨を郷里へ運ぶ途中、新しい王家の別邸の命名の話が出たところ、
骨壷の中から声が聞こえ詠まれた、といわれた歌で「詠み人知らず」という説もある。
読谷村と嘉手納町に架かる比謝橋にはこの歌碑がある。
吉屋チルーが居たとされる仲島の遊郭の近くに仲島の大石がある。