「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

沖縄県嘉手納町  「 吉屋チルーの歌碑と比謝橋の碑文 」

2012-07-25 21:19:32 | 沖縄



比謝橋の模型の下にある歌碑









比謝橋のたもとにある吉屋チルーの歌碑



























一   恨む 比謝橋や
    情きねん人ぬ
    我身渡さと思てィ
    掛きてィうちぇら


二  島んとゥなどとゥ
    クバんソイソイとゥ
    繋じある牛ぬ
    鳴ちゅらとゥみば


三  鳴ちゅるむぬ聞かぬ
    鳴らむぬ聞ちゅし
    くぬ世からあぬ世
    近くなたら


四  拝でィ拝みぶしゃ
    首里天加那志
    遊んィうちゃがゆる
    御茶屋御殿




恨むべし  比謝橋よ
私を渡そうと思って
情けのない人が
架けておいたのか


故郷の村も静まり
クバの葉がそよそよと
繋いである牛が
鳴いていると思うと、、、


鳴っているはずの音が聞こえず
鳴ってないはずの音が聞こえる
この世からあの世が
近くなったのだろうか


拝んで拝みきれぬ
首里の王様よ
遊んで遊びきれぬ
御茶屋御殿(という名がよいよ)




  1600年代に実在した(1650年生まれが有力)と言われる女流歌人。
  「吉屋チルー」は沖縄県読谷村(恩納村山田という説もある)の生まれとされ、
  7.8才の時に家庭の事情で那覇の遊郭に女郎として売られる。
  その時に詠んだ歌が一番。二番は、那覇の遊郭から故郷を偲んだ歌。
  病床で三番を詠んだあと、20才前後の若さで自殺したといわれる。
  四番は、そのお骨を郷里へ運ぶ途中、新しい王家の別邸の命名の話が出たところ、
  骨壷の中から声が聞こえ詠まれた、といわれた歌で「詠み人知らず」という説もある。
  読谷村と嘉手納町に架かる比謝橋にはこの歌碑がある。

吉屋チルーが居たとされる仲島の遊郭の近くに仲島の大石がある。



沖縄県那覇市 ・ 沖縄の文化財 「 仲島の大石 」

2012-07-25 21:11:05 | 沖縄の文化財








仲島の大石
Nakasima-No-Oishi
( 県指定史跡 )
Prefectural Historical Monument


指定年月日 : 昭和 33 ( 1958 ) 年3月14日 
Designaed Date : March 14,1958
所在地 : 沖縄県那覇市泉崎
Location : Izumisaki,Naha-shi,Okinawa-ken


仲島の大石は、那覇市街地のバスターミナル構内にある高さ約6m、周囲約25mの琉球石灰岩で、
俗に 「 仲島の大石 」 と呼ばれている。下部には海水の働きによってくぼんだ跡があり、
かつてこの周辺が海であったことをうかがわせる貴重な資料となっている。
昔、久米村の人たちは、この岩を文筆峰と呼び、縁起の良いところとして大事にしたといわれている。
また、この付近には明治41年まで仲島遊郭があって有名な女流歌人吉屋チルーもここで短い生涯を終えた。


 This Ryukyuan limestone is 6m high and 25m around, and is in the out-of-town bus terminal yard.
It is commonly called “Nakashima-no-Oishi”.
It is a precious material bscause it infers that the area was formerly the sea.
Kume-son residents uaed to call the stone Bunpitsuho, and treasured it as an auspicious spot.
There used be Nakshima red-light district untilthe 41st year of Meiji (1908),
and the famous woman poet Yoshiya-Ontsuru is believed to have short life here.



ゆいレール 「 旭橋駅 ⇒ 壷川駅 」

2012-07-25 20:50:28 | モノレール ・ 乗り物 ・ 旅客機



旭橋駅付近から見た沖縄セルラースタジアムと明治橋方面













旭橋駅の近くに那覇バスターミナルがあり、
その入り口に沖縄県指定史跡の 「 仲島の大石 」 がある。

旭橋駅 ⇒ 壷川駅の間で流れる車内メロディーは、
「 唐船 ( とうしん ) どーい 」 という曲である。




『 唐船どーい 』



唐船どーい さんてーまん 一散走ならんしや
ユイヤネ 若狭町村ぬ瀬名波ぬタンメー
※ (ハイヤ センスル ユイヤネ イヤッサッサッサ… )


嘉利吉(かりゆし)ぬ遊び打ち晴りてぃからや
ユイヤネ 夜ぬ明きてぃ太陽(ティダ)ぬ上がるまでぃん


エイサー小や習らてぃ まぁに向かてぃ行ちゅが
ユイヤネ 足ぬ向くままに向かてぃ行ちゅさ


此(く)ぬシンカ揃てぃ 御祝 (うゆえー)始みりば
ユイヤナ 明日からぬ 明後日 御祝続く


北谷からやしが遊ばすみ 二才達(にせーたー)
ユイヤネ 遊ばさんありば 戻てぃ行ちゅみ


音に豊まりる 大村御殿ぬ 平松
ユイヤナ 那覇に豊まりる 久茂地ぬ ほーいガジマル木


あぶし越る水や うやぎりば止まる
ユイヤナ 我した若者ぬ止みぬなゆみ


汝達門(いったーじょー)に待ちゅみ カジマヤに待ちゅみ
ユイヤネ なりし カジマヤやましやあらに


遊ばちん清らさ踊らちん清らさ
ユイヤネ うり産ちぇる 親や神がやゆら


てぃんさぐぬ花や爪先に染みてぃ
ユイヤネ 親ぬゆしぐとぅや 肝に染みり


汝達門(いったーじょー)に待ちゅみ カジマヤに待ちゅみ
ユイヤネ なりし カジマヤやましやあらに


ちんけりり けりり 後原(くしばる)にけりり
ユイヤナ 港川にけりり あさぎナビ小


遊ばちん清らさ踊らちん清らさ
ユイヤネ うり産ちぇる 親や神がやゆら


あんしマクやてる 島や何処が二才達
ユイヤナ 中城 花ぬ伊舎堂


け舞り舞りさんてーまん 我が舞らね居ちみ
ユイヤナ さらばとぅん 立ちゃいけ舞てぃ見しら


打ち鳴らし鳴らし 四ち竹(ゆちだき)鳴らし
ユイヤネ 鳴らす四ち竹ぬ音ぬ秀らさ


唐船どーい さんてーまん 一散走ならんしや
ユイヤネ 若狭町村ぬ瀬名波ぬタンメー




「 対訳 」



唐の国から船が着いたよーって騒いでも
若狭村の瀬名波のおやじは 全然あわてない


めでたい客だ さあ盛り上がれ
夜通し唄おう 日が上がるまで踊ろう


エイサー覚えて さて どこへ向かって練り歩く?
なに この足の向くまま 気の向くままによ


この顔ぶれが揃って 祝宴を始めたとなれば
明日になっても明後日になっても こりゃ終わらない


北谷から来たんだけれど ここで遊ばせてくれるかい おにいさん
仲間に入れてくれなけりゃ 帰っちまうぜ


世に高い大村御殿の平松ってのが これかい
でもってあれが 那覇の久茂地のガジマルの木かい


あぜからあふれた水は 足でふさげば止まるけど
俺たち若いもんの勢いは 誰にも止められないってばよ


君ら 門のところで待つかい それとも風車のところで?
そーねー 風車んとこの方がいいカンジ


唄遊びさせりゃめっぽう上手 踊る姿もかっこいい
まったく こいつを産んだ親ってのは 神様じゃないかい


てぃんぐさ(鳳仙花)の赤い花の汁は 爪に染めて
親から言われたことは 心に染めて


君ら 門のところで待つかい それとも風車のところで?
そーねー 風車んとこの方がいいカンジ


ころがるころがる尻軽女 後原でいちゃいちゃ
港川でべたべた そういう女さ あさぎのナビーは


唄遊びさせりゃめっぽう上手 踊る姿もかっこいい
まったく こいつを産んだ親ってのは 神様じゃないかい


女の扱いが上手いのね あんたどこの人?
中城村の 名にしおう伊舎堂のもんだよ


さあ踊れ踊れ けしかけられては 座ってはおれぬ
すごい踊りを決めてやるから よく見とけよ


打って打って 鳴らして鳴らして 四つ竹を
ああなんて美しいんだろう この四つ竹の響き


唐の国から船が着いたよーって騒いでも
若狭村の瀬名波のおやじは 全然あわてない



エイサーやカチャーシーに欠かせない最も知られた曲で、
嘉手久から入る唐船どーいもある。






熊本県宇城市豊野町   「 鐙ヶ池 」

2012-07-25 20:18:48 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣



豊野町 「 鐙ヶ池 」








以前は松の木が立っていた石積み











昨日紹介した誉ヶ丘水源と連なっている「鎧ヶ池」。
ここは国道218号線沿いにあるので、道路からもよく見える。
今から30年ほど前になると思うが、中央に造られた石垣に松の木が立っていた。
それが枯れた後に石垣が新しく組み替えられた記憶がある。
その当時の写真を撮っておけば良かったと今になって思うが、
当時はそんなことよりも、1分でも1秒でも速く走りたかったので、
そんな余裕はなかった。

今回約20年ぶりに見たが、懐かしいものである。




熊本県天草市 「 宮田港西ノ原南防波堤灯台 」

2012-07-25 20:06:51 | 熊本の灯台












































宮田港西ノ原南防波堤灯台は、白色塔形のコンクリート造の灯台である。
高さが8.56mで、平均水面から灯火までの高さは12.08mとなっている。
灯質は連成不動単閃緑光で、毎4秒に1閃光の割合で点灯している。
光達距離は、閃光7.5海里、不動光3.5海里となっている。
現用灯器はLC管制器Ⅱ型。現用レンズは300.
初点は、昭和57年2月2日となっている。


宮田港西ノ原南防波堤灯台へのアクセスは、
本渡上島側から国道266号線を北上し、倉岳町の旧道を右側に入ると倉岳港があり、
そこに灯台が立っている。灯台まで防波堤の上を歩いて行ける。

( 熊本県天草市倉岳町宮田 )