「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

沖縄県那覇市  「 沖縄で見かけた花 ③ 」

2012-07-23 21:53:14 | 花・鳥・虫・魚・猫








この花も美栄橋駅近くの路地に咲いていた花である。
沖縄では赤や黄色の原色の花が多いからか?どこか似合う気がする。








ゆいレール 「 美栄橋駅 ⇒ 県庁前駅 」

2012-07-23 21:44:45 | モノレール ・ 乗り物 ・ 旅客機


美栄橋駅から見た景色





















美栄橋駅 ⇒ 県庁前駅の間で流れている車内メロディーは、
「 てぃんさぐぬ花 」 という人生の教え?のような歌詞の唄である。
一度は耳にしたことがある方も多いだろうと思われるポピュラーな曲である。




  「 てぃんぐさぬ花 」


 てぃんぐさぬ花や 爪先(ちみさち)に染(す)みてぃ
 親(うや)ぬゆし事(ぐとぅ)や 肝(ちむ)に染(す)みり

 天(てぃん)ぬ群(む)り星(ぶし)や 読(ゆ)めば読(ゆ)まりしが
 親ぬゆし事や 読みやならん

 夜走(ゆるは)らす船(ふに)や 子(に)ぬ方(ふぁ)星見当(ぶしみあ)てぃ
 我(わ)ん生(な)ちぇる親(うや)や 我んどぅ見当(みあ)てぃ

 宝玉(たからだま)やてぃん 磨かにば錆びず
 朝夕肝(あさやちむ)磨ち 浮世(うちゆ)渡ら

 誠する人や あとうや何時(いちい)までぃん
 思事(うむぐとぅ)んかなてぃ 千代(ちゆ)ぬ栄い

 なしば何事(なにぐとぅ)ん なわる事(ぐとぅ)やしが
 なさぬ故(ゆい)からどぅ ならぬ定み


 「 対 訳 」


 鳳仙花で爪の先を染めるように
 親の言うことは心の奥に染めなさい

 天の星だって 数えようと思えば数えられるけど
 親の教えは数え切れないほどたくさんある

 夜の船を航海する船は北極星を見て走る
 私を産んでくれた親は私を見ている

 眩い宝石だって磨かなければ錆びてしまう
 朝から晩まで精進し 世の中を渡って行こう

 誠実に努力する人は 後はいつまでも
 願いが叶って将来末永く幸せである

 やろうと思えばなんだって出来る
 やろうとしないから出来ないのだ






北九州市小倉北区  「 競輪発祥の地・小倉 」

2012-07-23 21:06:17 | 競輪・オートレース



現在、小倉競輪が行なわれている北九州メディアドーム








ドームに変わる前の小倉競輪場







昔あった競輪場の敷地内にある 「 競輪発祥の地 」 の石碑








昔のバンクの跡には芝生が敷き詰められ市民憩いの公園になっている





北九州市民球場と対角線上にある北九州メディアドーム。
今はこのヘルメット型のドームで競輪が行なわれている。

小倉競輪場は1948年(昭和23年)11月20日に開設された日本で最初に出来た競輪場であり、
競輪発祥の地である。
1948年に福岡県で開催される国民体育大会のために造る競技場を、
そのまま競輪に振り向けるというアイデアがきっかけで小倉競輪場が誕生した。
なお、この時の「第1回小倉競輪」で発売された車券は単勝式・複勝式のみで、
連勝式を最初に発売したのは同年12月11日の大阪府営大阪競輪場(大阪住之江競輪場)である。

かつては競輪を開催するためのみの施設であったが、
1998年(平成10年)10月に北九州メディアドームの誕生により、
移転する形で一体施設となり、
それに伴い旧小倉競輪場は1998年(平成10年)6月18日をもって閉鎖し、その後解体された。
メディアドーム西側にある芝生の公園 ( 三萩野公園芝生広場 ) が、
かつて旧小倉競輪場のあった場所である。







かつての小倉競輪場で走っている写真。




昔の競輪場のときは、よく勝っていたが、
ドームになってからあまり勝てなくなった。
時期的に町議会議員と “ 二足の草鞋 ” だったので勝てなかったのかもしれない。
それにドーム特有の独特の雰囲気が、地元意識に増して緊張感を高めた。
屋外の競輪場と違い、ピリピリと張り詰めた逃げ場の無い緊迫感というか、
圧迫感が何よりも苦しかったことは、何年経っても覚えている。