「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

福岡県みやこ町豊津 ・ ケーキ屋  「 こふれ 」

2014-10-25 04:55:41 | パン ・ ケーキ ・ お菓子











































昨日から東九州自動車道に現場が変わった。
変わったと言っても1週間~2週間の期間限定の応援だが、
現場が変わると気分も一新され、不安な気持ちとワクワク感が交差する。
そして、なんとなく 「 やる気 」 が出る。
これは、ボクだけではなく、みんなも張り切っているように感じた。
そんな現場からの帰りに 「 ケーキ 」 が食べたくなり、
少し逆戻りになるが、 「 こふれ 」 に寄った。

「 こふれ 」 は、去年、みやこ町豊津の 「 すどりの里 」 で行われた介護職員研修の帰りに
何度か買って帰ったことがあるが、
研修を修了してからなかなか訪れることはなかった。
だが、久し振りに「こふれ」のケーキが食べたくなってを買ったわけである。

ここのケーキは、生クリームが美味しい。



大分発地域ドラマ 「 そんじょそこら商店街 」

2014-10-25 04:54:41 | 日記 ・ イベント



国東半島から見える夕陽









この日は曇って夕陽が観れなかった











「 懐かしい人や町を訪ねて 」 の歌い出しで唄うシンシアではないが、
その街には懐かしさがある。

夕べ大分発地域ドラマ 「 そんじょそこら商店街 」 というドラマがあった。
これは、昭和の街を売りに商店街再生にかけた豊後高田市をモデルにしたものである。
いつも聞き慣れている馴染み方言なのに、
改めてテレビで聞くと親近感と懐かしさが込み上げて来た。

「 そうだ!国東に行こう! 」 と思ったが、
明日は久留米に行く予定にしているので、
来月にでも国東に行きたいと思っている。



福岡県築上町 「 野々中城と龍神社 」

2014-10-24 04:56:41 | 歴史 ・ 墓 ・ 城 ( 本土 )



小さな鳥居が建つ 「 龍神社 」








龍神社の奥にある祠








竜神姫についての説明版








西八田学習等共用施設の裏に 「 龍神社 」 がある。











野々中城は、加来氏の麾下 ( きか ) 、一万田左近 ( いちまんださこん ) の城で、
航空自衛隊築城基地の隣接地にある西八田学習等共用施設一帯が城跡といわれている。

大正時代中ごろまで、この周囲は全部濠を堀りめぐらし、南北約75m東西65mほどの平地で、
土塁の残壁もわずかながらに残っていたとのことだが、
現在は耕地整理のため大部分は水田と化し、わずかに龍神の祠と、
土塁と水濠の一部が現存するのみである。
付近に、矢倉下、御下屋敷、門田、小路などの城跡に関連する地名が残っている。

応永六年 ( 1399年 ) 、大内盛見が大友氏鑑を討つため豊前国仲津郡鶴の湊に着岸した時、
これを迎えたものの中に、八田小太郎吉朝、八田治部輔武朝の名がある。
八田氏は加来一族と思われる。

天正年中 ( 1573~1592年 ) 、宇留津城主・加来氏の麾下一万田左近という者の
居城であったと伝えられ、天正十四年 ( 1586年 ) 、豊臣秀吉の九州平定にあたり、
黒田官兵衛孝高、吉川元春らの攻撃を受けた宇留津城落城とともに、当城も落城したといわれている。


時は戦国時代、八田の豪族で野々中城の城主は若くして立派な武将であった。
ある年の秋のこと、彼は朝早くから森へ狩りに出かけるが、
どうしたことか、その日に限って一匹も獲物が無かった。
まるで森中の動物がどこかに逃げてしまったようであった。
行けども行けども獲物は見つからず、とうとう夕闇迫る時刻となってしまった。
連れの者が帰城をすすめ、 「 それでは 」 と、帰りかけた時、
どこからともなく、女のすすり泣く声が聞こえて来たので、
声の方に進んで行くと、そこには美しい女人がたたずんで泣いていた。
「 こんな森の中でいったいどうしたのか? 」 と武将が訊ねると、
「 私はある城の姫でございます。この戦で両親を失い、
逃げ延びる途中で共の者ともはぐれてしまい、一人で途方に暮れていたのです。 」
このことを聞いた若い武将は、姫のことを気の毒に思い、城に連れて帰った。
その後、一緒に暮した二人の間にかわいい女の子が生れ、平和な日々が続いた。

ある夏の昼下がり、若殿は昼寝をする娘の顔を見ようと、そっと襖を開けると、
そこには大きな蛇が一匹、すやすやと寝ている娘のそばでとぐろを巻いていた。
おどろいた若殿は、思わず 「 あっ! 」 と声を上げ、
それに気づいた蛇は見る間に人間の姿に身を変えた。
そして、 「 娘を頼みます。我が姿を見られては、もう一緒には暮らせません 」 と言うと、
お城の堀に身を投げ出してしまった。

空は急にかき曇り、風は吹き荒れ、大粒の雨が地面を叩きつけた。
その時、堀から一頭の龍神が天へと舞い上がって行った。
それ以後、若殿は寂しい毎日を送っていたが、
妻のことを思って堀のそばに松の木を植えた。
その松は、風の吹く日には天に向かってすすり泣いたという。

その松の木も、昭和53年に松枯れで切り倒された。
その時に松の根元から一匹の白蛇が這い出て、
龍神の祠の中にスルスルと入って行ったそうである。



ひところ流行った 「 お・も・て・な・し 」

2014-10-24 04:55:41 | 泡盛 ・ 焼酎 ・ 酒







オリンピックの誘致スピーチで一躍有名になった 「 オ・モ・テ・ナ・シ 」 。
その 「 オモテナシ 」 の後の合掌は、どういう意味だったのかは疑問だが、
滝川クリステルさんは、日本の心イコール、仏の心ということで、
きっと合掌したのだろう。

今は遠い過去になった感がある 「 オモテナシ 」 だが、
そのころ売れたに違いない日本酒 「 おもてなし 」 。
その酒を「 今さら 」 と思いながら買った。
そして飲んだラベルの 「 辛口 」 は、ピリッカラッの味だった。
久し振りの日本酒で良い気分にさせてもらった。




我が家にやって来た 佐竹佳奈さんの作品 「 月へとぶ 」

2014-10-23 04:52:41 | 絵画と個展



我が家にやってきた佐竹佳奈さんの作品 「 月へとぶ 」









光の反射の加減で撮影のためアクリル板を外した作品















個展会場となったギャラリー 「 船越記念館 」













どちらの絵も欲しかった 「 カエルの絵 」






やっと我が家に来てくれた佐竹佳奈さんの 「 カエルの絵 」 。

今月15日~21日までギャラリー船越記念館で開催された 「 佐竹佳奈 日本画展 」 。
16日、その個展に午後から休みをもらって行って来た。
というのも、去年佐竹佳奈さんの個展が開かれてから丁度1年になるが、
去年どうしても欲しいカエルの絵が ” 売約済み ” になっていたので、
今回はどうしてもカエルの絵を購入したくて売れる前に行こうと思っていた。
だから早目に個展会場に足を運んだわけである。
それに、佐竹さんに逢いたいと思っていたから、
なるべくならば在館している時の方がいいと思っていた。

今回、カエルの絵が2枚出ていたが、どちらにするか迷った挙句、 「 月へとぶ 」 にしたが・・・
もう一枚のカエルの絵も味のある作品だったので、欲しかった。
予算的に余裕があれば2枚とも買うつもりだったが、
また、来年でも個展が開かれた時にカエルの絵を購入したいと思っている。

そういえば、魚の絵で気に入った作品があったので、
それまで頑張って来年は2枚買えるように働いて予算を稼ぎたい。



鹿児島県鹿児島市 「 鹿児島県立博物館 」

2014-10-23 04:51:41 | 近代化産業遺産・土木遺産



鹿児島市城山の護国神社の前の交差点から見た 「 鹿児島県立博物館 」








円形の正面部分がレトロな雰囲気を醸し出す







後ろに連れて段下がりになった上部







壁も柱も角が取られた優しいRになっている








玄関ポーチの上に差し出した軒が柔らかい








改装はされているものの階段の踊り場は当時のまま








柱頭のちょっとした部分のデザインが品を醸し出す








通し柱と長窓がアクセントをつける








全面や側面の優しいRに比べて裏側はどこも角ばっている





所在地 /  鹿児島県鹿児島市城山町
竣工    /  昭和 2年10月 ( 1927年 )
設計者  /  岩下松雄
■  登録有形文化財


平成20年5月に登録有形文化財に指定された鹿児島県立博物館は、
昭和2年10月に鹿児島県立図書館として竣工落成。
昭和56年1月に旧考古資料館より移転し、博物館として改装して開始したものである。
石造アーチ橋の文化圏にある鹿児島ならではの石造建築で、
洋風を基調としながら随所に和風モチーフの細部を混在させた特異な建造物である。
現在は、考古資料の他にプラネタリウム室などを設けた造りになっている。


鹿児島県立博物館へのアクセス
鹿児島県立博物館へは、旧・鹿児島興業館の前にあるため、
旧・鹿児島興業館を参考にしてもらいたい。

沖縄県浦添市 「 沢岻 ( たくし ) グスク 」

2014-10-22 05:02:41 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



中の殿の御嶽には 「 天照神 」 を主に 「 ヒミコ女神 」 などが祀られている











中の殿の前はシーサーで守られている







中の殿の横に 「 天続々女神 」 がの拝所がある








グスク広場の岩には 「 おもろ 」 が刻まれている






沢岻といえば、那覇市繁多川の山付きに沢岻親方の亀甲墓がある。
これはあくまでも私感であるが、おそらく沢岻親方がグスクを築き、
この地を治めたのではないかと思われる。

沢岻グスクは、浦添市沢岻地区の住宅街の中に公園として存在する。
城跡と思われる地上遺構は見られなかったということは、
グスクとしての石垣などは造成で破壊されたか、
もしくは最初から城壁など無く、聖域として拝みの対象になっていたのではないだろうか。
グスク内には 「 中の殿 」 と呼ばれる拝所には 「 天照神 」 を主に
「 みるく ( 弥勒 ) 様 」 や 「 ヒミコ女神 」 などの神が祀られてある。
中の殿の横には、「 天続々女神 」 の拝所がある。


沢岻グスクへのアクセス
沢岻グスクへは、国道330号線を浦添市の沢岻にある「 税関浦添分室 」 の
手前の丘の上にある住宅街の中の公園になる。
駐車は、公園の横に路上駐車したが、付近の駐車はくれぐれも注意が必要である。



北九州市若松区 「 奥洞海航路第六号灯浮標 」

2014-10-22 05:01:41 | 福岡の灯台






















やや斜めに被った
ハットのつば
その真ん中に
チカチカと点滅する
あかい灯火
まるでペチカの
焚き火のようだ




10月21日 今朝の 「 受け月 」

2014-10-21 18:37:41 | 朝の風景とその他の風景























昨日からハッキリと見れるようになった。
受け月・・・
受け月を見ると、伊集院 静氏の 「 受け月 」 を思い浮かべる。




小倉 ー 別府 「 100㌔ウォーキングの様子 」

2014-10-21 05:01:41 | スポーツ















10月11日の夕方、中津からの帰りに
国道10号線を南下するウォーキングの集団を見た。
その数、1000人を優に超える多さだった。
みんな黙々と歩く。それを見ながら運転するので車も渋滞気味だ。

歩く・ 歩け ・ 歩けば・・・
そんなスローガンが聞こえて来そうな行進だった。
歩き終えた人たちには、想像を超えた達成感や爽快感、開放感などが湧き上がるのだろう。
だから一度それを体験すると、 「 また味わいたい! 」 と思うのであろう。





大分県日田市 ・ ふたたび日田焼きそば 「 三久ラーメン 」

2014-10-21 05:00:41 | ラーメン・うどん・そば



モヤシとねぎの焼きそばにラーメンスープが付いて来る。






























パトリア日田でB&Mさんと逢ってから、そのまま 「 三久ラーメン 」 へと向かった。
狭い路地の奥に店があるので、分かりづらいが、
パトリア日田から歩いて1分~2分の距離にある 。
店に入った時は2時前だったが、それでも多くのお客で賑わっていた。
昼食の時間帯は20人ばかり座れる店内はいつも満員で、
時間をずらしても多い 「 日田焼きそば 」 の人気店である。

三久は、三隈飯店や想夫恋と同じく、また食べたくなる焼きそば店である。




ホークス苦しいクライマックスシリーズを乗り越えて優勝!

2014-10-20 21:47:41 | 野球
















7回無失点の 「 あっぱれ!大隣 」





公式戦の144試合も苦しかったが
苦しい苦しいクライマックスシリーズだった

苦しい航海ほど
目的地にたどり着いた時の
喜びや達成感は大きい





2014.10.20 パ・リーグ クライマックスシリーズ第6戦より

鹿児島県鹿児島市 「 本御門 ( ほんごもん ) 橋 」

2014-10-20 04:55:41 | 鹿児島の石橋



鶴丸城の正門に架かる本御門橋








お掘りの幅に合わせた六径間桁橋である







城に向かってわずかに傾斜 ( 上り勾配 ) が付いている







橋桁や桁受けにも頑丈な石が使われている







アスファルトでなく石が敷き詰められた通路







正面の城壁には西南戦争の砲弾の跡が残っている





所在地  / 鹿児島市城山町5-1 お堀 
架橋  /  宝暦9年
石工  /  不明
長さ   /  16.00m  幅   /  8.00m
拱矢  /   2.00m  径間  /  2.40m


本御門橋は、鹿児島市の中心街に位置する 「 鶴丸城 」 の正門に架かる橋で、
その長さは16mで、お堀の長さに合わせて六つの径間で区切られている。
幅は長さの半分の8mと計ったような長方形になっている。
この鶴丸城はご存知のとおり、西南戦争のときの薩軍の本拠地を設置した場所で、
この橋を渡って大将の西郷隆盛も兵を率いて出陣して行ったのである。

本御門橋へのアクセス
本御門橋へは、鹿児島中央駅前から市電の鹿児島駅方面行きに乗車し、
鹿児島市役所前で下車し、山手(左側)に向かって約200mほど行くと
城壁が見えてくる。
駐車は、近くに有料駐車場がある。


沖縄本 「 モモト 」 と夜光貝

2014-10-20 04:54:41 | 沖縄























土曜日、中津から帰ると定期購読の 「 モモト 」 が届いていた。
毎回届くのを楽しみにしている 「 沖縄本 」 である。
その本の今回のテーマは、 ” 沖縄の美を宿すもの ” であるが、
沖縄には、琉球王国時代から伝わる独特な文化があり、
芭蕉布や紅型 ( びんがた ) など、それにまつわる美がある。

ちなみに 「 モモト 」 の上の夜光貝のペンダントは、
徳之島に行った時に工芸家のシゲルさんに頂いたものである。



馬の詩より ・ 「 夢の扉を開けた 」    ショウナンパンドラ

2014-10-19 16:51:41 | 馬の詩 ・ それぞれ...








「 夢の扉を開けた 」  ショウナンパンドラ



淡い秋の日差しを背に受けて
自分の影を追うように
最終4コーナーから直線へ
有力視された各馬が外へ行き
虎視眈々と内ラチを右に見ながら
追い出したショウナンパンドラ

直線半ばタガノエトワールの外から
ヌーヴォレコルトが迫るが
首まで詰め寄ったところがゴールだった

その瞬間
ショウナンパンドラの夢の扉が開いた




ショウナンパンドラ 牝3歳
父 ディープインパクト
母 キューティゴールド

第19回 秋華賞より