「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

軍師 ・ 黒田官兵衛が築いた 「 中津城 」

2014-10-19 05:49:41 | 歴史 ・ 墓 ・ 城 ( 本土 )


































既設の公衆トイレだけでは追いつかず新設された女子専用トイレ











昨日、仕事が段取りの都合で休みになったので中津へ行った。
それで、久し振りに 「 城でも行ってみるか 」 で、訪れた城内の駐車場はほぼ満車。
閑古鳥が鳴いていた1年前からすれば、夢のような光景である。
NHKの大河ドラマの力というか、 ” テレビのチカラは凄い ” と、改めて感じた。




福岡県築上町 「 鬼伝説の鬼の頭が埋められている鬼塚 」

2014-10-19 05:48:41 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣



島の中にある小社祠と神石









現在も島の形をそのままに保存している








祠の横にある 「 神石 ( 墓石? ) 」








鬼塚についての説明版











鬼木にすがって泣き疲れてフラフラと椎田の海岸まで歩いた鬼は、
鬼塚という島にたどり着いたところで息が絶え、
頭はこの島に、胴体は求菩提山に埋められた。
その後、この島は満潮には浮島となり、
干潮には砂州となって水没することがなかった。
しかし、昭和30年代の干拓事業で陸地になってしまったが、
鬼の祟りを恐れて、島の形は当時のまま保存されている。

昔は 「 魂塚 ( たまつか ) 」 「 鬼ヶ州 ( おにがしま ) 」 と言われていた。
求菩提山開山行善和尚が、この魂塚で白山権現の示現に会い、
それにより求菩提を開いたと求菩提山縁起にある。
また、求菩提鬼会の伝説に、威怒岳の八鬼の鬼を猛覚魔卜仙が神力を持って退治し、
鬼の頭を鬼ヶ州に埋め、胴は犬ヶ岳に、
手足は明神の浜 ( 豊前市 ) にそれぞれ埋めたという。
地元の古老による言い伝えでは、後宇多帝の御代 ( 弘字四年・1281年 )
博多に蒙古の大軍来襲、閏七月一日暴風雨によって元軍々船は覆没、敗走した。
日を経て元軍の遺体が湊の奥の浜に漂着した。
その容貌はまさしく鬼であった。
漁人はこの州 ( しま ) に漂着した元軍の遺体を埋葬した。
それ以来、この州 ( しま ) を鬼塚と呼ぶようになったという。


所在地 /  福岡県築上町湊 ・ アグリパーク内 ( 水辺公園 )



鬼の流した涙が木瘤となった 「 鬼木伝説の大楠 」

2014-10-18 05:11:41 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣



遠くから見ても歪な気瘤がわかる 「 鬼木伝説の大楠 」








鬼木と社祠は同じ敷地内にある








敷地内にある社祠 「 八幡宮 」








「 鬼木伝説の説明版 」








「 鬼木伝説公園の路標 」












昔、犬ヶ岳に棲む鬼が度々ふもとに降りて来て村人を苦しめていた。
そこで求菩提の権現様が鬼に 「 求菩提の中宮から上宮へ登る道に千段の石段を、
一夜のうちに積むことが出来たら犬ヶ岳に住むことを許すが、
出来なければ追い出す 」 と言いつけた。
鬼は権現様に言われた通り石段を積み始めた。
なにしろ怪力の鬼のこと、夜明けまでに完成しそうな勢いで石を次々と積み重ねて行く。
完成して山に住むことを許せばまた村人を苦しめる。
そのことを知っている権現様は一計を案じ、鶏を真似て竹バチを叩き、
「 コケコッコー 」 と高らかに鳴いた。
鬼はすでに999段を積み終えていたが、
朝が来たと思って一目散に海に向かって走った。
その途中、鬼木のこの大楠に取りすがり、
「 もう駄目だ! 」 と、鬼は大粒の涙を流して泣いたという。
それ以後、この楠に今のような木瘤 ( きこぶ ) が出来るようになり、
村人たちは、この老木を 「 鬼木 」 と呼ぶようになった。

泣き疲れた鬼はフラフラと椎田の海岸まで歩き、
鬼塚という島にたどり着いたところで息が絶え、
頭はこの島に、胴体は求菩提山に埋められた。
その後、この島は満潮には浮島となり、
干潮には砂州となって水没することがなかった。
しかし、昭和30年代の干拓事業で陸地になってしまったが、
鬼の祟りを恐れて、島の形は当時のまま保存されている。

今でも当時のまま島の姿で保存されている 「 鬼塚 」 についての記事は、
明日紹介したいと思いますので、お楽しみに・・・


所在地 : 福岡県豊前市鬼木


大分県中津市 ・ 黒田家臣 栗山利安の 「 栗山堂の外郎 」

2014-10-18 05:10:41 | パン ・ ケーキ ・ お菓子






















黒田の家臣 「 栗山備後利安 」 の子孫が作る栗山堂の和菓子。
その 「 栗山堂 」 については、
以前、官兵衛の兜を模った 「 兜もなか 」 を紹介したが、
今回は、店の看板商品の 「 外郎 ( ういろう ) 」 である。
外郎というものは、好きでもなければ嫌いでもない。
チョコやケーキのように、わざわざ買ってまで、というか・・・
でも、ここの外郎は違う。
その味と食感に逢いたくて「 また食べたい 」 と思わせる。



福岡県苅田町 「 工場萌え 」

2014-10-17 05:04:41 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣







































夕べ、苅田港まで工場萌えの写真を撮りに行った。
露出やシャッタースピードなどを変えながら色いろ試しながらの撮影だった。
周りが暗くてカメラの画像だけでは確認しづらくて・・・
パソに取り込んでからその画像がどうか解かるという呑気なものである。
まぁ、 「 工場萌え 」 に興味のない方はともかく、
少しでも興味のある方は、ご覧になって頂きたい。




上戸 彩さんが絶賛した 「 BEAR FRUITS 」 の焼きカレー

2014-10-17 05:03:41 | グルメ




陶器に入ったカレーがグツグツと音を立てて
香ばしい薫りが食欲をそそる








見た目シンプルで重厚さが見られないが
焼きカレーの味は逸品である。








人生、最期に食べたい物のなかで、
上戸 彩さんが絶賛した 「 BEAR FRUITS 」の焼きカレー







その味に期待を込めて一歩を踏み出す







さぁ、扉を開けて中へ・・・







店の名前の由来とサインが飾られている







セットメニューで注文したAセット








ボクが座った席の後ろの窓から
関門橋や関門渡船の待合所が見える
ナイスポジション










ひと頃の ” 焼きカレーブーム ” だった頃に比べれば、
食べるのも待つのも随分と楽になったが、
それでも有名店となれば、ランチタイムをズラしてもほぼ満員である。
オーブンでじっくり焼き上げるので、待たされるのは当然だが、
それでも待ってでも食べたくなる焼きカレーである。

それぞれ各々好みがあるので、何処がどうとは言いにくいが、
どの店もそれぞれにオリジナリティーがあって、
個性的な味を堪能させてくれる。
そんな門司港の焼きカレーは当たり外れが少ないので、是非ご賞味あれ!



北九州市小倉北区 「 砂津導灯 ( 前灯 ) 」

2014-10-16 06:15:41 | 福岡の灯台



関門海峡から砂津港へと導く導灯










船上から見た石油タンク前の導灯









薄暮時に少しではあるが緑に灯る色が確認できる








緑のライトで方向を知らせる








剣先イカのような形で突っ立っている導灯








立ち入り禁止のため手前からの撮影となった








石油タンクに横付けされた船の間に導灯が見える








砂津防波堤灯台からの眺望








以前は目印となった 「 浅野セメント工場 」













灯台表番号 / 5452
ふりがな / すなつどうとう ( ぜんとう )
標識名称 / 砂津導灯 ( 前灯 )
所在地 / 福岡県北九州市小倉北区砂津
北緯 / 33-53-32 ( 31.6 )
東経 / 130-53-41 ( 40.9 )
塗色 / 白色
頭標 / 白色三角形頭標付
灯質 / 不動緑光
光度 / 1400カンデラ
光達距離 / 10.0海里
地上~頂部の高さ / 8.73m
平均水面上~灯火の高さ / 9.0m 
地上~灯火の高さ / 7.0m
業務開始年月日 / 昭和36年4月1日
現用灯器 / 蛍光灯



砂津導灯(前灯)は、小倉から門司港へ向かう海岸沿いの
国道199号線近くの石油タンク群の中に立っている。
この場所は危険物のため外部からの立ち入りを禁止している関係から
近景は撮れなかったが、海側から前後して遠望を撮影することが出来た。

その姿はイカのお菓子の 「 よっちゃん? 」 を思わせるようなユニークな形をしてる。
そんな導灯は、周りのタンクが大きいので小さく見えるが、
高さは8.8mもあり、初点が昭和36年と古い。


砂津導灯(前灯)へのアクセス
砂津導灯(前灯)へは小倉駅裏の国道199号線を門司方面に進み、
砂津大橋を渡ってすぐの信号機から左折して
ラブホテルの前を抜けて廃屋になった「浅野セメント」工場へ行き、
そこから海岸に沿って歩くと石油タンクの後ろまで行ける。
また、遠望であれば砂津防波堤灯台からでもその姿を確認することができる。
駐車は、浅野セメント工場の空き地に駐車できる。


宇佐三十六士 ・ 時枝氏一族鬼木氏の城 「 鬼木 ( おにのき ) 城 」

2014-10-16 06:14:41 | 歴史 ・ 墓 ・ 城 ( 本土 )



いびつな木瘤の大楠が立つ一帯が城跡になる









大楠の下には「鬼木伝説」の説明版がある








鬼木氏の入り口に立つ 「 故鬼木柳緑氏の記念碑 」






福岡県豊前市鬼木集落の東、
鬼木氏宅および鬼木伝説公園一帯が城跡だといわれている。
鬼木氏の邸から東にかけて掃部屋敷、南に門田の地名が残り、
「 故鬼木柳緑氏の記念碑 」 などが当時をしのばせる。
鬼木伝説公園には樹齢五百年を越すと思われる大楠があるが、
城跡遺構は遺っていない。

鬼木氏は宇佐三十六士のひとり、時枝氏より出た家柄である。
大内氏が豊前守護の時、宇佐神宮に千六百町歩を寄進し、
そのうち六百町を城州八幡の慶安寺住職の子が跡を継ぎ、
寺務時枝大和守を名乗った。
これが時枝氏の祖で、時枝、猿渡と鬼木を領し、
宇佐三十六士のひとりとして勢力を振るった。

弘治二年 ( 1556年 ) に時枝平太夫は大友氏に属し、
時枝氏の支流が鬼木に移り鬼木氏を名乗った。
天正十五年 ( 1587年 ) に鬼木掃部惟宗 ( これむね ) は、
観音原で黒田長政の軍と戦い、黒田の家臣・上原新左衛門に討たれた。

鬼木伝説については、鬼塚ともども後日紹介したいと思っているので、
楽しみに待っていてください。


10月16日 「 寒い朝 」

2014-10-16 06:13:41 | 朝の風景とその他の風景














毎週のように
週末になるとやって来る台風
その台風が去った後
その度に
気温が下がり
気候が変わる





沖縄県うるま市 「 南 ( なん ) グスク 」

2014-10-15 06:05:41 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



自然岩を利用した城門








イークー山にある拝所 ( 鳥居 )







水を取っていた岩穴も線香が置かれ拝みの対象となっている







池味集落にあるイークウーガー






沖縄県うるま市与那城町上原にある南グスクは、
宮城島の池味集落の北西に位置する丘陵の下に築かれたグスクである。
自然岩を利用した城門があり、拝所のある広場は按司の屋敷跡とも言われている。

南グスクは、1429年に中山王・尚巴志が南山を滅ぼした時に、
南山王の他魯海(たるみー)は宮城島に渡ったと伝えられるが、
これは定かではないが、その際、王家支流の宮城按司が
この地に住み着いたと伝えられることは信憑性が高い。



南グスクへのアクセス
南グスクへは、途中まで泊グスク(宮城島)を参考願いたい。
泊グスクへは曲がらず伊計方面に直進し、そこから先に伊計に行く道と
池味集落へ行く道と分かれている分かれ道をトンハナビーチへは行かず左に入って行き、
100mほど行くと左側に大きな岩があるのを目印に左折するとイークウガーがある。
そこから右に山道を進むとグスクがある。
駐車は、グスク入り口に邪魔にならないようにすれば駐車は可能である。


北九州市門司区 ・ アーケード街のパン屋 「 匠 ( たくみ ) 」

2014-10-15 06:04:41 | パン ・ ケーキ ・ お菓子




























猫一匹、人ひとりとして歩いていないアーケード街





スッカラカンになった門司港のアーケード街。
そのアーケード街に美味しいパン屋があると聞いて行ってみた。

店に入ったのが午後6時過ぎ。
アーケード街の人出を考えると、
まだ沢山パンが残っていると高をくくっていたら、
なんとスッカリ売れて、
バケットにはまばらにパンが残っているだけだった。
こうして写真を撮っている横で次々と売れて行く状況に焦ってしまった。

広々としたバケットに申し訳なさそうに置かれたパン。
その中から 「 買ってほしい! 」 と訴えるパンをトレーに入れた。
栗あんパンやカマンベールフランスも旨かったが、
中でもサクッと食感、レーズンどっさりのレーズンコロンは絶品で、
わざわざ門司港まで買いに行ってもいいくらい美味しさだった。


熊本県八代市 ( 旧・泉村 ) 「 竹の子橋 」

2014-10-14 05:05:41 | 熊本の石橋



上流側から見た竹の子橋の全景








きれいに舗装されている通路部







大きさの割りには意外と厚味があるアーチ頂部







橋幅3.1mの石橋






右岸の橋台部分は自然石の上に乗っている







軍鶏 ( シャモ ) のレリーフが取り付けられた親柱







橋の袂にある「 橋の説明版 」





所在地 /  熊本県八代市泉町大字栗木字乙川 
架橋  /  大正5年~10年 ( 1916年~21年 )
石工  /  不明
長さ  /   18.3m   幅   /    3.1m  
高さ  /    6.0m  径間  /   12.4m


竹の子橋は大正時代に架けられた比較的新しい橋で、
高欄部分にガードレールが取り付けられ、
新しい橋が出来るまでは主要道路の橋として活躍していたが、
現在は通行する人もいなくなっている。
橋脚部分の輪石は測ったようにきれいに切り揃えられているが、
輪石頂部には隙間が見られた。


竹の子橋へのアクセス
竹の子橋へは、落合橋を渡って300mほど上流になるため、
途中まで落合橋を参考にしてもらいたい。
駐車は、橋の袂の広くなった場所に駐車した。


介護職員研修のクラスメイトと居酒屋で・・・

2014-10-14 05:04:41 | グルメ








































































先月、現場で働いていたら目の前を介護車両が通った。
「 フッと 」 見ると、見慣れた顔が運転しているではないか。
それで今度通ったら呼び止めて声を掛けようと思っていた。

数日注意して見ていると向こうから来たので、手を振って車を停め、
「 ここで働きよん、お~懐かしいな~ 」 という簡単なコトバを交わして、
その場で話すことが困難だったので、お互い 「 昼休みに 」 ということで、
改めて昼休みに会って現況を話した。
その時に、「 介護職員初任者研修を受けてから1年になるね~ 」 ということを訊いて、
「 へぇ~ 」 あれからもう1年になるのか。って思った。
そこで、クラスメイト全員に連絡を取って、「 来れる人で集まって飲もう 」 と約束をして別れた。
それが先日の飲み会である。

ほとんどの人が介護職に就いており、「 みんな頑張っているな~ 」 って思った。
今はユンボに乗ったりダンプに乗ったりしているけど、
いつかは介護の勉強が役立つ時が来るだろうと思っている。

誰とはなしに、 「 忘年会か新年会をやろう 」 という声に、思ってなくても皆うなづいた。




2014.10.13 「 台風19号接近・大荒れの海 」

2014-10-13 12:37:41 | 日記 ・ イベント




































今日、台風が最接近する昼前に海へ様子を窺いに行くと、
防波堤に当たった波が高い飛沫を上げていた。
昨日より凄い! 」 と思いながら、雨の中車を降りて
防波堤に近寄った瞬間、波飛沫を頭から浴びた。
「 どっひゃ~ 」 って思ったが、 ” あとの祭り ” である。
昨日のように防波堤の上に立っての撮影は危険なので、防波堤の脇から撮ったが、
風が背中を押すような追い風だったら、ここからの撮影も危険だったかも?

少し濡れるも、びしょ濡れになるも同じ濡れるのに変わりないので、
傘も差さずに濡れっぱなしでしばらく居たが、
強風で寒くなったので、そのまま帰って即シャワーを浴びた。

先日、探訪した長岩城の幅1m足らずの尾根を歩いたスリリングさではないが、
波打ち際も刺激があった。



熊本県八代市 「 八代港防波堤灯台 」

2014-10-13 08:43:41 | 熊本の灯台







灯台表番号 / 6532
ふりがな / やつしろこうぼうはていとうだい
標識名称 / 八代港防波堤灯台
所在地 / 熊本県八代市 ( 八代港防波堤外端 )
北緯 / 32-31-22
東経 / 130-31-57
塗色 / 赤色
灯質 / 群閃赤光 毎8秒に2閃光
光度 / 実効光度 61カンデラ
光達距離 / 4.5海里
地上~頂部の高さ / 9.63m
平均水面上~灯火の高さ / 12.74m 
地上~灯火の高さ / 9.0m
業務開始年月日 / 昭和40年3月24日
現用灯器 / LD管制器Ⅰ型


八代港防波堤灯台へのアクセスは、
八代市内から新港に向って外港の突き当りまで行くと左手に見える。
対岸の防波堤を行けば灯台まで行けると思うが、
時間的な問題で今回は遠望になった。
機会があれば灯台まで行ってみたいと思っている。