八代海が見える八代外港。ここで海を見ながら弁当を食べていた
三ッ島の ( 中島 ・ 南島 ) が見える
この道を通って海まで行っていた
以前、ダイエットをする前に自分で作って持って行っていた
( 菜の花・レンゲ・新緑 ) をイメージした 春色自分弁当
弁当を頂く。それは弁当を作ってくれる人の気持ちを頂くものだと思っている。
そしてそれは、 「 まごころ 」 であり、 「 愛情 」 だと思っている。
弁当について、想い出がある。
ボクが26歳だったころ、24歳の彼女と付き合っていた。
彼女は小学校の先生をしていて、競輪に参加しない日曜日によくデートしていた。
デートと言っても熊本市内から城南、松橋、松合を経由して八代まで自転車で行き、
スピードを重視したインターバル・トレーニングをしていた。
もちろん自転車に乗るのはボクだけで、彼女は車を運転して伴走してくれた。
そのあと自転車を包む毛布を敷き、その上に彼女の作った弁当を広げ、
八代外港で海を見ながら彼女の ” 手作り弁当 ” を食べるのであるが、
「 これは〇〇で作ったんだよ 」 って、いつも料理の説明をしてくれてたのを思い出す。
若くして逝ってしまった彼女だが、
その想い出はいつまでも弁当という物を通して冷めることなく、
今も鮮明に息づいている。
ボクは、弁当を持って勤めに行くことがなかった。
というよりも、その必要が無かったと言った方が正しいのかもしれない。
競輪学校を卒業してプロ選手としてデビューしてから、
競輪に参加以外は、ほとんど毎日のように練習先で昼食 ( 外食 ) を摂っていた。
だから 「 どこのラーメンが美味しいとか、うどんが美味しい 」 とかは、
行ってみて食べてみて、知っていた。
その後の地方議員時代も、ほとんど外食か出前だったから・・・
勤め出したのは去年からで、弁当を持って仕事に行くことも初めてであった。
その弁当も、ほとんど自分で作っていた。
自分が食べたい物を入れて、自分の好きな味付けがあるから、こだわっていたのである。
以前は、質より量だったが、今は 「 太らないように・・・ 」 である。
だから、今持って行っているのは子供の弁当くらいの大きさである。
それはもう、小さい小さい弁当である。
肉体労働だから昼前になるとヘロヘロになることもあるが、
それでも慣れれば十分やって行けるものである。
弁当を開いて 「 いただきます! 」 のコトバに、
その生命を頂いている。という気持ちを込めている。
そして、 「 ごちそんさん! 」 に感謝の気持ちを込めている。