「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

大分県耶馬渓町 「 長岩城跡 ・ 三之城戸 」

2015-01-19 05:00:41 | 歴史 ・ 墓 ・ 城 ( 本土 )






















三之城戸の防塁は65まり、さらに岩上からは本丸まで132mと長い。

長岩城は、川原口にある山岳城で、
下毛郡の支配者であった豪族野中氏22代390年間の居城であった。
初代城主野中重房が、建久9年(1198年)創築し、
南北朝、戦国時代に増改築された。
天正16年(1588年)黒田長政の大軍に攻め落とされ、以後廃城となった。

城は、急峻な円錐形をした扇山(標高530m、比高230m)と、
その一帯の支峯や谷窪などに築かれている。
この一帯は、険阻な断崖絶壁地帯で、このような天然の要害を巧みに取り入れ、
断崖の合間などの敵の侵入し易い所には人工的に石塁や、
砲座、塹壕などの防備施設を補完した独創的にして要害堅固な山岳城である。


本城(本丸)は、主峰扇山の頂上にあり、
この山は、7合目所を高さ4~10m位の斬石が東、北、西の3面を取り巻き、
南面は深い谷窪となり、後方は、尾根続きで岩山の連山に連なっている。
西方の支峯に西出城(西之台)、東方の中腹に東出城(東之台)、
これと谷を隔てて相対する岩山にも出城を設けてある。
谷川に沿って一之城戸、二之城戸、三之城戸の3段構えで防備を固めていた。
陣屋跡や馬場の跡も残っている。

長岩城の特色は、地方豪族の中世山城としては規模も大きく、
石塁や砲座などの優れた石積みの構造物が多いことである。
石積みの類は、20余か所で延べ700余メートルに及びる。
特に石積櫓「楕円型砲座」は、石造の櫓としても、構造的にも大変めずらしいもので、
全国に類例を見ない貴重な遺構である。

また、石積みの石が扁平な鉄平石状のものに統一してあるのも特徴である。
なお、城址は、昭和59年に地元保存会などにより一部修復工事が行われた。


【 大分県指定史跡 ( 平成23年3月29日指定 ) 】


車検に寄せて・・・

2015-01-19 04:59:41 | モノレール ・ 乗り物 ・ 旅客機



セカンドカーとしてお気に入りだったフォードの KA








その色とフォルムが好きだった KA







九州管内の競輪に一緒に参加したマジェスタ





フォードのKAは、その前に乗っていたフェスティバから乗り換えたもので、
フェスティバは練習車で使っていたが、このKAについては、
まったくのセカンドカーとして活躍していた。

マジェスタは息子が生まれた年に現金で買った車である。
だから息子の成長と同じように思い出を作ってくれた車である。

去年の3月にそんなマジェスタから今の車に替えた。
中古のオンボロ車なので、その車検が25日で切れる。
車検の度に車を替えるのはどうかと思うが、
人それぞれの考え方なので、何とも言えない。
ただ、クルマ好きな人は、そうするのだろうな。きっと・・・

ボクは、水とガソリンとオイルをちゃんとして 「 車は動けばいい 」 と、
単純な考え方だ。
ただ、新車から買った車は ” ちゃんと見送りたい ” と思う。
それは、家族と同じように何よりも愛着があるから・・・




1月18日 「 日曜の空 」

2015-01-18 15:45:41 | 海 ・ 港 ・ 空 ・ 木々















9時過ぎの空に 「 うろこ雲 」 が出ていた。
うろこ雲が広がると3日以内に雨が降ると言われている。

そんな空の下、午前中に買い物に行った。
買い物というと ” おばさんチック ” だが、
モノづくりの材料を買いに行ったもので、
インパクトドライバのドリルや杉の加工板などを買った。
もちろん、泡盛や夕飯の食材も買って来た。
仕事が休みの日は、買い出しと料理をするから
こうして買い物に出ることが多い。



北九州市若松区 「 脇田港沖防波堤南灯台 」

2015-01-18 06:36:41 | 福岡の灯台



一段下の防波堤から見ると凛々しく見える







高さが8.5mの灯台







テトラから防波堤に移ったら目に前に灯台が見える







手前から見た灯台







平成12年の改築で新しくなった灯台とプレート







単閃赤光で毎4秒1閃光の灯器







近くから見ると意外と細い







防波堤までテトラの上を100mほど歩かねばならない







黄色の照明灯







向こうに釣り公園がある







グリーンパークの 「 ひびきタワー 」 が見える







響工業地帯に立つ風車





灯台表番号 / 5802.7
ふりがな / わきたこうおきぼうはていみなみとうだい
標識名称 / 脇田港沖防波堤南灯台
所在地 / 福岡県北九州市若松区  ( 脇田港沖防波堤南東端 )
北緯 / 33-55-59
東経 / 130-43-54
塗色 / 赤色
灯質 / 単閃赤光 毎4秒に1閃光
光度 / 実効光度 78カンデラ
光達距離 / 5.0海里
地上~頂部の高さ / 8.46m
平均水面上~灯火の高さ / 13.15m 
地上~灯火の高さ / 8.25m
業務開始年月日 / 昭和62年11月16日
現用灯器 / LED灯器( Ⅲ型赤 )


脇田港沖防波堤南灯台は、若松の脇田港に隣接したテトラから続いた
防波堤の外端に設置された灯台である。
以前は単独の防波堤だったから名称が「脇田港沖」となっていただろうが、
現在はテトラで繋がっている。
そんなテトラの積まれた上を防波堤まで100mほど歩かねばならない。
この日は海からの風が強くて背中を押されるような感じで
30㎝くらいの幅のテトラの上を歩いたが、
テトラの真ん中が三角形に抜けているので落ちないようにスリルを味わって防波堤まで進んだ。
高さが8.5mの灯台下から 「 ひびきコンテナターミナル 」 や釣り公園などが見渡すことが出来る。


脇田港沖防波堤灯台へのアクセス
脇田港沖防波堤灯台へは、国道495号線の「グリーンパーク」の反対側の脇田港の中にある。
ここは釣り公園にもなっており、意外と分かりやすい場所である。
駐車は、釣り公園に来る人の利用する駐車場になるので、有料(300円)となっている。
※ 釣りを目的にしなくても、短時間でも料金は同じである。



沖縄県糸満市 / 戦火を逃れた古民家 「 真壁ちなー 」

2015-01-18 06:35:41 | 沖縄










































「 真壁ちなー 」 は、真壁グスクの下の集落にあり、
糸満市真壁にある国の登録有形文化財 「 金城増治家住宅主屋 」 で
琉球料理や沖縄そば、手作りスイーツが楽しめる。
古民家でのんびりしながら味わう料理は格別である。

店主の金城正子さん(70)が、約120年前に義理の曽祖父が建てた木造平屋家を活用し、
16年前に開店したものである。
「 木のぬくもりを感じる室内、赤瓦屋根の古民家を囲む琉球石灰岩の外壁など、
沖縄の原風景を呼び起こさせる 」 と金城さん。
古民家には語り尽くせないほどの魅力があるという。


茶処 ・ 真壁ちなー
住所 : 沖縄県糸満市真壁223
電話 : 098-997-3207
営業時間 : 午前11時~午後4時
定休日 : 水曜日。不定休あり。

1月18日 「 早朝の月 」

2015-01-18 06:34:41 | 朝の風景とその他の風景






今朝は日曜日ということもあって、
仕事が休みなので周囲に配慮して音を立てないように
いつもよりも1時間ほど遅く起きて散歩に出かけた。

風は冷たかったが、南東の空低くきれいな受け月が浮かんでいた。
そして真上には北斗七星が輝いていた。



1月17日 「 ゲンバノカエリ 」

2015-01-17 19:18:41 | 朝の風景とその他の風景







いつも通る現場からの帰り道。
そして、いつも思う 「 ヤキバノカエリ 」 を・・・
ご存じの方は少ないと思いますが、
画家の熊谷守一 ( クマガイモリカズ ) さんの作品に
「 ヤキバノカエリ 」 という火葬場から帰る情景を描いた絵があります。
何故か? そのヒビキが毎回ブログを書く度に ” 現場の帰り ” に繋がってしまう。



沖縄県那覇市 「 那覇市内のど真ん中にある希望ヶ丘公園 」

2015-01-17 04:48:41 | 沖縄








那覇市内には国際通りを挟んで、
右と左に別れて大きな公園がある。
渡嘉敷三良の墓がある美栄橋付近の公園が緑が丘公園で、
国際通りの 「 てんぷす 」 の裏手にあるのが希望が丘公園である。

その希望が丘公園へは、平和通にある花笠食堂の前を通っても行くことが出来る。
そこは国際通りの喧騒なざわつきもなく、小鳥の鳴き声が響く公園である。
「 那覇市内にこんな場所があったのか 」 と思えるほど静かな公園である。

この公園に座っていたら、70代くらいのおばあさんが話しかけてきて、
沖縄の就職難や生活難から来る自殺者の多いことなどを話してくれた。
だから、この公園のことを思うと、そのことがいつも思い浮かべさせられる。





沖縄県粟国島 「 粟国島の一本道 」

2015-01-17 04:47:41 | 離島めぐり














先日ブログに掲載した 「 長浜ビーチ 」 から粟国空港へ続く一本道である。
この道を歩いて粟国空港まで行ったが、
ホントに長閑で牧歌的な風景が広がっている。

そして粟国空港から役場まで歩いていたら、
島の人が声をかけて来て、軽トラで役場まで乗せて行ってくれた。
その車中では、おじ~の 「 山羊の話 」 オンリーだったが、
すべて聞き役だったボクも楽しい時間だった。



翁長沖縄知事に対し 「 冷たい政府対応 」

2015-01-16 04:41:41 | 沖縄



キャンプ・シュワブ正門








キャンプ・シュワブに隣接する大浦湾







オスプレイが駐機する普天間基地






普天間基地周辺を飛ぶ米軍機







沖縄県庁と国際通り入り口





ボクの沖縄の友人のブログにも取り上げられていた政府冷遇記事・・・


先の沖縄県知事選で初当選した翁長雄志知事が上京し、
関係筋に挨拶回りをしたが、辺野古移設を白紙撤回を掲げる翁長知事に対し、
安倍首相も菅官房長官も会おうとしなかった。
これは普天間移設先の辺野古反対に対する冷遇である。
それは、どこもかしこも項羽の 「 四面楚歌 」状態である。

これでは真のウチナー ( 沖縄 ) のウムイ ( 思い ) は政府には伝わらない。
ホントに悲しいことだと思う。

政府からは、沖縄に支出している沖縄振興予算の執行状態を点検するとか、
来年度予算の減額をほのめかす声が出ていることも確かである。
これはあまりにも冷たい仕打ちであり、
辺野古移設に対して協力しない沖縄県政に対しての嫌がらせ以外の何ものでもないと思われる。

中国の軍事強化や北朝鮮の気まぐれ挑発などに対処するために、
南西諸島の軍事力強化や米軍の後ろ盾の必要性は理解できるが、
何の罪もない沖縄県民を巻き込むのはやめてもらいたい。

「 アメとムチ 」 は解るが、
政府の行為は、あまりにも大人げない対応だと思っている。



大分県中津市三光 「うどん権兵衛」

2015-01-16 04:40:41 | ラーメン・うどん・そば
































先日、 「 うどん権兵衛 」 に行った。
以前、立ち寄って食べた時に美味しかったので、
” また食べたい ” と思って立ち寄った店である。

注文を受けてから揚げるごぼう天や、
突き刺した箸の色で値段が違うおでんなど、
ユニークな上に美味しさがハーモニーを奏でていた。

リピーターとして 「 また来たい! 」 と思わせる店である。



定休日 : 第一・第三 ( 水曜日 )


沖縄県那覇市壷屋 「 ぶらり やちむん通り歩き 」

2015-01-16 04:39:41 | 沖縄



重要文化財に指定されている 「 新垣家 」
























































南釜 ( フェーヌカマ ) と呼ばれている荒焼用の登り窯があり、
県の有形文化財に指定されています。
ここの手前には同じ名前の陶器も販売している喫茶店が一軒ある。


















沖縄の目抜き通りである国際通りから市場に向かう平和通。
その先に壺屋のやちむん通りと呼ばれる一帯がある。 



平和通から出た場所








この付近に来ると街中の喧騒が静まり、
緑も増えて両側に大小さまざまな焼物屋さんが店を並べた石畳の道に出る。
やちむんとは 「 焼き物 」 のことをいい、沖縄の方言で陶器のことをさします。
何故?ここに焼物やさんが集まったかということは最後にふれているが、
約300年余の歴史あるこのエリアは独特の雰囲気を醸し出している。








壺屋焼博物館 この道の市場側入口付近には那覇市立壺屋焼博物館があり、
沖縄の陶器に関して解り易い説明とそれに関する品々を見ることが出来ます。


※ところで壺屋焼は荒焼(アラヤチ)と上焼(ジョーヤチ)に分けることができます。
荒焼は無釉又はマンガン釉を掛け、多くは素焼きを経ずに焼かれて酒甕、水甕など大きなものが多く、
上焼は一度素焼きされたものに釉薬を施して食器、酒器など比較的小さいものが多く、
現代陶器の主流です。
 このあたりの家は屋根を沖縄らしい赤瓦で葺いたものが多く、散策コースとしてお勧め。
やがてお店がある間隔が狭くなり、
軒を並べるようになると国道330号(ひめゆり通り)のマクドナルドのあたりに出ます。

ここでもうひとつお勧めしたいのが途中の路地を左に入るいしまち通り。
 細い路地ですが帰りはこちらからどうぞ。
路地を入るとすぐに重要文化財に指定されている新垣家。
上焼用の登窯(東ヌ窯)が少し奥まったところにあり、
母屋や作業所など昔の伝統的な壺屋陶工の住宅形式を唯一残している家です。





道なりに左に折れていくと、角に「うちなー茶屋ぶくぶく」が。
一見すると普通の住宅ですが、玄関先に小さな看板があるのですぐに解ります。
この通りは距離は短く、やちむん通りに沿ったような短い裏通りですが、
車が簡単に通れないくらいの細さ。 そのためか一昔前の沖縄の雰囲気を残しています。
ぶらぶら歩いていくと、右に育陶園というお店の窯と陶芸の体験が出来るお店があり、
その先には「すーじ小」という茶屋がすこし高いところに道を見下ろすように建っています。  

ここもとても雰囲気がよさそうなお店。
そのまま先を道なりに左に折れると、またやちむん通りに戻ることが出来ます。
那覇の国際通り、公設市場と見て回ったら、
もう少しだけ時間をとってこの壺屋やちむん通り界隈まで足を伸ばすことをお勧めしたいです。


壺屋の歴史
 昔、琉球王朝は交易が盛んで、その時渡ってきたのが南蛮焼と呼ばれる陶器。
やがて琉球でもその技術を学び焼き始め、時の琉球王朝の尚貞王は
1682年に美里村の知花、首里の宝口、那覇の湧田にあった窯場を那覇市壺屋に集め、
陶器産業の振興を図はかりました。これが壺屋焼の始まりです。
 

その後薩摩にいた朝鮮陶工らを招き、焼き物の発展指導を促しました。
 こうして壺屋焼は琉球随一の窯場として国内消費は勿論、
外国との交易にも貢献するほどになったのです。
 明治から昭和の初期にかけて有田などから安い陶器が大量に入るようになり、
壺屋焼は危機を迎えることになりますが、民芸運動の第一人者であった柳宗悦、
浜田庄司らが来訪して郷土の陶工、後に県下初の人間国宝にもなった金城次郎氏や
新垣栄三郎氏らを指導して技術を高めていきます。 
それを民芸陶器としての壺屋焼を東京などにも情報発信し、壺屋焼の人気があがりました。

 大戦で沖縄全土はダメージを受けますが、壺屋は比較的戦災を免れ、
再興によって徐々に元通りになります。
しかし周囲が市街地のためにに薪窯による煙害が深刻な問題となってきました。
 那覇市は公害対策のため薪による窯を禁止、伝統的な技法をが使えず
壺屋焼は岐路に立たされますが、周辺に良質の陶土が豊富な読谷村が窯元の積極的な誘致を行い、
前出の金城次郎氏を初め多くの陶芸家たちが壺屋から読谷村に移りました。
  現在では「読谷やちむんの里」として多くの人々に知られはじめてきましたが、
ここ壺屋にも多くの窯元が残り、この一角が壺屋やちむん通りと呼ばれるようになったわけです。



沖縄県国頭村 「 辺戸岬 」

2015-01-15 05:18:41 | 沖縄



海の向こうに伊是名島や伊平屋島が見える















祖国復帰闘争之碑















岬の突端から少し離れるとこんなにも穏やかだ






「 辺戸岬 」 は、沖縄本島の最北端に位置する沖縄県国頭郡国頭村の、
太平洋と東シナ海に面する岬である。
沖縄海岸国定公園のエリア内にあり、サンゴ質の絶壁の広い大地からは天候がよければ、
約22キロ離れた奄美群島の与論島や沖永良部島を望むことができる。
アメリカの統治下にあった際には、本土復帰を願って狼煙を上げた場所には今では、
本土復帰を記念して建造された祖国復帰闘争の碑が建っている。


大分県中津市 「 薦 ( こも ) 神社参道石橋 」

2015-01-15 05:17:41 | 大分の石橋



厚味のある輪石でしっかりと組まれている








橋脚部分は水路の擁壁から組まれている







幅2.6mの石橋は呉橋と平行して架かっている







呉橋の横に架かる石橋







神社の入り口にある鳥居





所在地 /  大分県中津市大貞
架橋  /  昭和8年9月
石工  /  松室傳太
長さ   /  4.0m  幅   /  2.6m
拱矢  /  1.1m  径間  /  3.2m


薦神社は大貞八幡とも呼ばれ、01年に廃止になった中津競馬場や大貞公園が近くにあり、
県道万田四日市線の交差点沿いにどっしりと腰を下ろすようにある。
鳥居をくぐって参道を進むと国の重要文化財の神門の手前に呉橋と平行して架かっている。
この橋は個人が寄進したもので、
御神体である三角池(御澄池)の余水吐きの水路を跨いで架設されている。
石橋の手前と奥の方に石段が設けられ、
厚さ30㎝の要石と起拱部に向けて次第に厚くなった輪石は二重になっており、
その厚さは46㎝ほどになっている。
親柱を含め高欄は御影石を用いている。



薦神社参道橋へのアクセス
薦神社参道橋へは、中津市内から国道212号線を日田・耶馬溪方面に1キロほど行くと、
万田交差点がある。そこを左に県道万田四日市線を1.5キロほど行くと交差点の先の右手に
鎮守の森があり、神社の看板が見える。
駐車は、神社の鳥居の前が神社の専用の駐車場(無料)になっている。


沖縄県粟国島 「 フクギの小路 」

2015-01-15 05:16:41 | 沖縄







「 ひとつのうた 」 池田 卓



お月様が上るよ 見てごらん
月影だけは 少し変わるけど
思いを寄せて唄う 島の歌
今も昔も 変わらずにひとつ

目を閉じて 耳を澄ましてごらん
どこからか聞こえるよ 今日もまた
幾千の時を越え 響く音
懐かしく新しい 島の音

君を思う胸の内を 上手く伝えられるならば
取り出すことが出来るなら 思い焦がれたこの心

ふく木並木の帰り道 月明かりさえも静かな道
君への思いを唄うよ とぅばらーまに乗せながら




フク木といえば、備瀬のフク木並木や久米島の美らフク木を思い出すが、
その他では、池田 卓の 「 ひとつのうた 」 を思い出す。
歌詞の中に出て来る 「 ふく木並木 」 に、そのシーンを思い浮かべる。
イツカ好きな人と、フク木並木の下を手をつないで歩きたいものである。

少年のように・・・
少女のように・・・