「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

第7位 みずがめ座 今日のラッキーポイント 「 レトロなお店 」

2017-01-20 06:00:38 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ

今朝は北からの風が強かったが、
予測された雨も雪もない朝だった。
月は南南東に移動し、半分になってもその光度は高く、
満月のように明るく照らしていた。

今日は ” 1年で最も寒いころ ” と言われている 「 大寒 」 である。
夜明けが遅いので7時はまだ暗い。
その暗さと寒さが比例しそうな感じがする。
明るいとそれなりに活発になり、暖かく感じるのだが、
暗いとどうしても気持ちも消極的になりがちである。
こんな時こそ塞いでいないで明るい曲を聞いて、
気持ちに勢いを付けようではないか。
そんなことを思う今日の順位は7位で、
ラッキーポイントは、
「 レトロなお店 」 である。

主張が限界を超えて逆効果?
大切な時まで力を隠しておこう!


長崎県松浦市  「 津崎灯台 」

2017-01-20 01:56:14 | 長崎の灯台










































灯台表番号 / 5926
ふりがな / つざきとうだい
標識名称 / 津崎灯台
所在地 / 長崎県松浦市 ( 津崎鼻 )
北緯 / 33-23-53.8
東経 / 129-40-21.8
塗色 / 白色
灯質 / 単閃白光 毎4秒に1閃光
光度 / 実効光度 78カンデラ
光達距離 / 5.0海里
地上~頂部の高さ /11.94m
平均水面上~灯火の高さ / 48.9m 
地上~灯火の高さ / 11.8m
業務開始年月日 / 昭和25年7月10日
現用灯器 / LED灯器 ( Ⅲ型白 )



それはまるでプールの飛び込み競技のような3段になった塔だった。
そんな松浦市の津崎鼻にある灯台に行ってみたかった。
細い曲がりくねった道から見える灯台も、
実際に目の当たりにした灯台も、
感動でドキドキものであった。


広島競輪の想い出 「 熱かったあの夏の日 」

2017-01-19 12:11:21 | 競輪・オートレース



バックストレッチの敢闘門からホームスタンドを望む







バックストレッチから3コーナーから4コーナーにかけて







バックストレッチから2コーナーから1センターを望む





広島競輪場は、3連勝の完全優勝を含め、
何度も優出した競輪場であるが、
その中でも特に記憶に残っているのが初めて参加した新人戦である。

その新人戦のことを書いた 「 熱かったあの夏の日 」 は、
現役時代に日本競輪選手会の会報誌に寄稿したもので、
その当時の思いが綴られている。


私は今年で競輪選手生活25年になる。
今までの選手生活で色んな思い出が残っているが、
その中でも特に思い出に残っているのは、
新人でデビューした3戦目での広島競輪場で行なわれた新人戦だ。
この時優勝したのは同期の中でも一番仲の良かった地元広島の木村一利であった。

私は連日果敢に逃げて、初日特選から④②で優出し、
優勝レースも地元の木村を連れて逃げて2着となった。
この一戦がとても思いで深い。

広島の夏は暑く、広島の夕凪といって、
宇品港のすぐそばにある競輪場はまるで蒸し風呂のようであった。

現在、故人となってしまった木村は、現役時代はウルフと異名を持つ選手だったが、
本当はその異名とは裏腹にとても優しく思いやりのある選手だった。
彼が引退する前に電話があり、
「 今度、熊本に行くんじゃけど、逢えんかなー 」 ということだった。
生憎、私は観音寺競輪に参加だったので、その旨を彼に伝えて電話を切った。
木村は残念がっていたが、仕方ないと思った。
これが木村と交わした最後の言葉だった。

木村は、39期生の中でも競輪学校入校時から群を抜いていて、
東の尾崎雅彦、西の木村一利と謳われたつわものだった。
デビューして一気にスターダムを駆け上がった木村だったが、
引退するまで実にあっけない幕切れだったように思う。

木村は私よりも一歳年下であったが、
18歳にしては気の利いた大人びた態度の男だった。
昭和54年の小倉競輪祭、新人王の準優勝戦の前夜、木村が私の部屋に来て
「 明日はお願いします。一生懸命頑張りますから・・・ 」 ということだった。
その結果決勝レースに進出し、木村は第17代の新人王の栄誉に輝いた。
その木村がどこでどう屈折し、ズレたか私には分からないが、
それから10年足らずで選手を辞めてしまった。

思い出すのは、いつもあの広島の暑い夏の日、スーパーカーブームのなか、
広島競輪場の表彰台に上った日のことだ。
あの日が青春だったことに間違いはない。
それから2、3年して彼が広島の三原で結婚式をあげたときに、
わざわざ豊橋競輪からの帰りにその席に駆けつけたのも、
今となっては忘れえぬ思い出である。
私はエレクトーンの伴奏で吉田拓郎の 『 結婚しようよ 』 を唄ったことも、
酔ってヘベレケになって三原駅のベンチで寝ていたことも憶えている。
あれから23年、私は現役に執着して走り続ける。
だけど、木村はもうこの世にいない。

久留米から中野浩一が出て、世界戦のスプリントで世界一になり、
競輪をメジャーなものにした。
その同世代が同じ土俵の上で競い、相まみえたことを懐かしく思う。
今は競輪選手として中野浩一もいなければ、木村一利もいない。
だけど私は走る。あの広島の暑かった夏の日、
同期のみんなも熱く燃えていたし、私もギラギラと燃えていた。
もう一度あの頃に戻りたい気もする。



長崎県平戸市  「 法音 ( 報恩 ) 寺橋 」

2017-01-19 08:31:10 | 長崎の石橋


















橋の袂にある 「 説明板 」







橋の通路部







上流側から見た法音寺橋







下流側から見た法音寺橋





所在地  / 長崎県平戸市紺屋町・戸石川町
架橋   / 元禄10年 ( 1697年 )
橋長  / 5.3m   幅員  / 3.3m


平戸市内の紺屋町と戸石川町を流れる境川に架かる法音寺橋は、
幸橋 ( 元禄15・1702年、国指定重要文化財 ) を造るときに
石工が試作したものと伝えられている。
大きさは幸橋の四分の一ほどで、アーチの形がほぼ一致する。
表面石に高欄の取り付け跡があり、以前は両脇に高欄があった。
橋の名は、渡ったところにあった法音寺に由来するが、
報恩寺ともいわれる場合がある。


第1位 みずがめ座 今日のラッキーアドバイス 「 相づちを打つ 」

2017-01-19 06:00:41 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ

昨日は朝から霜で真っ白になったフロントガラスも、
今朝は、露を打ってしっぽりしているものの、
なんとか白くならずにすんだ。
各地の雪を見ていると、
積雪がないだけでも良しとせねばなるまい。
そんな今日の順位は1位で、
ラッキーアドバイスは、
「 相づちを打つ 」 である。

気になる相手との絆が深まりそう
人の話にはキチンと耳を傾けよう!


『 想 走 』  ミカダンディー

2017-01-19 01:54:27 | 馬の詩 ・ それぞれ...

  





     「 想 走 」   ミカダンディー 



    テレビの画面に向って

    今にも泣き出しそうな顔をして

    声を詰まらせ 声援を送る


    君の走り

    私の声

    届かなくても

    想いは走る





帰りたいのに帰れない故郷は基地の中 「 金網移民 」

2017-01-18 10:55:57 | 沖縄











キャンプ・コートニー








キャンプ・コートニーの中にある墓







フェンスの向こうはかつて島民の家があり、暮らしがあった











BEGINが唄った 「 金網移民 」 。
同じ沖縄に住みながら故郷を米軍基地のため没収された人のことを唄ったものである。
それは1年に一度のシーミー ( 清明祭 ) の時だけ、
道路に重箱を並べフェンス越しにお墓に向かって手を合わせる。
ご先祖様に 「 歌や三線が聴こえますか?寂しくないですか? 」 と問うように・・・

香炉の平御香が燃え尽きるまでフェンスの側にいて、
御香が燃え尽きたなら悲しくてつらい気持ちで
フェンスの向こうを振り返り振り返り帰っていく。
そんな光景が目に浮かぶ。

内地では何の規制もなく、
自由にご先祖様や両親と対話ができる環境に感謝しなければならないと思っている。


長崎県五島市福江  「 うま亭 」

2017-01-18 06:55:21 | ラーメン・うどん・そば

































上五島に行っても下五島に行っても、五島うどんを食べる。
福江ターミナルの近くにあるので 「 うま亭 」 をよく利用する。
利便性もだが、美味しいうどんや丼ものが魅力で、
そのくらい ” 食べたい ” と思わせる 「 うま亭 」 である。

五島うどんは、ひやむぎのように細くてツルツルで喉越しもいいし、
何と言っても 「 アゴ出汁 」 のコクと風味がたまらなくいいのである。


第4位 みずがめ座 今日のラッキーポイント 「 ガム 」

2017-01-18 06:00:06 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ






今朝も車のフロントガラスが真っ白になるくらいよく冷えた。
月は昨日よりもさらに南に移動して、
その周りに傘ができていたので、おそらく雨になるだろう。
そんな今日の順位は4位で、
ラッキーポイントは、
「 ガム 」 である。

問題を解決するチャンス!
柔軟な思考がポイントになりそう


鹿児島県奄美市笠利町  「 宇宿貝塚 」

2017-01-18 01:35:36 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



宇宿貝塚の一部が残っている場所









宇宿貝塚公園の入り口にある碑銘








以前の史跡を整理して公園化になった宇宿貝塚









宇宿貝塚跡に建てられた資料館






宇宿貝塚は、昭和8年に県道の開削工事により貝層が露出し、
それを三宅宗悦によって発見された。
そんな宇宿貝塚は奄美大島の北部に位置する奄美市(旧・笠利町)の
東海岸沿いに位置する標高13mを中心とした遺跡である。
出土遺物には、須恵器や無文尖底土器片、有文土器片、
亀焼土器、滑石製石鍋片などが出土している。



宇宿貝塚へのアクセス
宇宿貝塚へは、節田へは曲がらずに空港方面に進み、
奄美空港を過ぎてから1キロほど行くと
左側に宇宿貝塚公園の駐車場がある。


沖縄県竹富島 「 安里クヤマ 」 の墓

2017-01-17 10:34:49 | 沖縄の王墓、按司墓、拝所














沖縄の 「 安里屋ユンタ 」 のモデルになった安里クヤマの墓である。
墓は、竹富島の西桟橋近くの海辺にあり、
竹富の自然の中に溶け込んでいる。





ゆいレール ・ 牧志駅 ⇒ 安里駅 「 安里屋ユンタ 」

2017-01-17 07:26:22 | ゆいレール



安里駅









安里駅の近くにある 「 りうぼう 」









牧志駅近くにある壷屋小学校









※ 動画を再生すると車内メロディーの「安里屋ユンタ」が聴けます。





牧志駅 ⇒ 安里駅の間を流れる車内メロディーは、「安里屋ユンタ」で、
安里屋ユンタは、琉球王国時代の竹富島に実在した
絶世の美女・安里屋クヤマ(1722年 - 1799年)と、
王府より八重山に派遣されクヤマに一目惚れした目差主(みざししゅ。下級役人)の
やり取りを面白おかしく描いている。

18世紀の八重山では庶民に苛酷な人頭税の取り立てが課せられており、
庶民が役人に逆らうことは普通では考えられなかった。
そんな中で目差主の求婚を撥ね付けるクヤマの気丈さは
八重山の庶民の間で反骨精神の象徴として語り継がれ、
結の田植歌と結び付いて19世紀初頭までに安里屋ユンタとなったと考えられている。
歌詞は23番まで続き、4番以降では
クヤマに振られた目差主が「ならばお前より美しい娘を見つけて嫁にする」と言ってクヤマと別れ、
イスケマという娘を娶って郷里に連れて帰る過程を描いているが、
一般に歌われるのは6番までのことが多い。

歌詞中の「マタハリヌ チンダラ カヌシャマヨ」は、
八重山方言の古語で「また逢いましょう、美しき人よ」の意であるとされるが、
インドネシア語で「太陽は我らを等しく愛する」の意味も込められている、との説もある。

しかし、発祥地である竹富島で謡われている安里屋ユンタの囃子部分は
「ハーリヌ チンダラチンダラヨ」と唄うと、
女性が「マタ ハーリヌ チンダラチンダラヨ」と返句する形になっており、
上記のインドネシア語説は主に石垣島で謡われる謡い方に強く影響されたものであり、
発祥地である竹富島で謡われている歌詞を無視したものであり、
信憑性にかけると思われる。



(竹富町教育委員会発行)
竹富町古謡集、崎山三郎著 竹富島工工四、上勢頭亨著 竹富島誌などに
竹富島の謡い方の安里屋ユンタの記載があり、
上記のインドネシア説に引用されている囃子の語彙と全く異なっている。
さらに 「 竹富島の安里屋ユンタ 」 は、
国の重要無形民俗文化財に指定されている 「 竹富島の種子取 」 の舞踊曲の一つであり、
この芸能に対する歌詞の解説等は全文が文化庁に提出されており、
同島にある楽曲を記載された譜面である崎山三郎氏による「竹富島工工四」に全て掲載されており、
また竹富島を含む自治体である沖縄県八重山郡竹富町が、
竹富町誌の別冊として出版した 「 竹富町古謡集1~5巻 」 の中に
竹富島の謡い方の安里屋ユンタは記載されており、
上記解釈の「マタハーリヌチンダラカヌシャマヨ」の謡い方で記載されている古謡集は
「石垣字会発行 石垣村古謡集」「登野城ユンタ保存会発行 登野城村古謡集」などの
石垣島側の古謡集などの歌詞集や楽譜などに記載されている竹富島以外の謡い方であり、
発祥地である竹富島のものとは大いに異なっており、
よって「インドネシアの太陽説」は上記の書物や現地の伝統的謡い方とは異なる
「一種の風説」の一種と思われる。



第8位 みずがめ座 今日のラッキーポイント 「 童謡 」

2017-01-17 06:00:57 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ

昨日の月はさらに南に移動し、
キャッツアイからアーモンド型に姿を変えて
高みから明るく照らしていた。
東と西に縦に長い雲が闇の中に伸びていた。
それは、まるで地震雲のように・・・

今朝は、保温と防水対策のために
準備していたスノーブーツ履いて散歩に出ると、
ビールだったら旨いのにと思うくらい空気がキンキンによく冷えた。
そんな今日の順位は8位で、
ラッキーポイントは、
「 童謡 」 である。

競争心が空回りして失敗!
見栄の張り合いはヤメよう!


長崎県五島市玉之浦町  「 荒川温泉足湯 」

2017-01-17 01:17:17 | 離島めぐり







荒川温泉にある 「 さんさん 」 のみっちゃんのところに行くと、
足湯ができていた。

五島列島の福江島にある椿で有名な玉之浦町。
その荒川温泉の目抜き通り?にある足湯だ。
過疎が進んだここでは、
お年寄りの唯一の楽しみは、足湯や温泉である。


種田山頭火ではないが、

  「 のんびりゆったり
          湯につかる 」

そうすれば、こころもカラダもほぐれる。



年賀ハガキの3等 「 お年玉切手シート 」

2017-01-16 16:16:16 | 日記 ・ イベント



今年の干支の ” 酉 ” がデザインされた切手シート








3等の当選番号 「 45と51 」












毎年、年賀ハガキを出すのも来るのも少なくなってきている。
競輪選手と町議会議員と建設業の 「 三足のわらじ 」 時代は、
三〇〇枚くらいの年賀状を書いていたが、
今年は個人的なハガキは24枚だった。
その24枚から4枚の切手シートが当たった。
3等とは言え、当選確率は6分の1の高い確率での的中である。
年末ジャンボは外れたが、額は違うものの当選はウレシイものである。


以下、当選番号

1等
各組共通 下6けた  293633

2等
各組共通 下4けた  6470

3等
各組共通 下2けた  51  45