初めてフレクエンターになるほど、否応なく航空機を使う機会があった。魅力的なスチュワーデス達の話をしよう。特に飛び慣れていない我々にとっては、彼女達は心強い同行者なのである。飛行には、事故やテロの危険性を度外視しても必ずや潜在的な飛行恐怖が伴うものである。その旅行の高度と速度は、非日常そのもので、登山やパラグライダーもしくはアウトバーンのそれを遥かに超えている。それに加え短時間で遠距離へと一挙に目的地へと移動することは、時差や気候だけでない非日常の大きなダイナミズムを生み出す。その緊張を緩和させてくれるのが彼女たちである。残念ながらなぜか親切な男性の客室乗務員たちでは補えないものがある。
小柄なダークブロンドの彼女がとりわけ印象に残る。その体格から初めはあまり目立たなかったが、様子の分からぬ乗客にも等しく笑顔を絶やさず実務的に手際よく事を運ぶ様子を見て目を瞠った。そして彼女のてきぱきとした手つきは大変魅力的だった。その10時間越える飛行の間、僅かの時間を除いて殆ど客室から姿を消さなかった。何時の間に横になっていたのだろうか。こちらが酔いつぶれて再び目を覚ますとリフレッシングを届けに来たのには恐れ入った。それが終わると今度は朝食と絶えず忙しい。それでも着陸後に少しお話が出来た。親近感を覚えていたので前回の飛行でお会いしたような気がすると言うと、飛ぶ路線は選べるので様々な所へ飛んでいるが、確かにその時期にもその路線を飛んで会っているかも知れないと言う事だった。「でも、こんなに感じの良い、可愛い人を見違えることないよね」と口説き、彼女の同僚たちと爆笑のうちに再会を期した。
共同運航する会社の日本の女性も非常に感じが良かった。大分後になって気がついたのだが彼女の本拠地の空港で、様子が全く分からずウロウロしている時から色々とお世話をして頂いた。搭乗するとそこは別世界である。窓の外の世界は突如として、急に実感のない過ぎ去った世界となってしまう。呆然としていると、ブロンドの初々しいスチュワーデスがコケットにまたその不慣れで何とも可愛らしい手つきで、ライフジャケットの説明を始める。彼女の健康的な若々しさに、こちらも目的地へ向けて俄然生気が漲るのだった。さて大和撫子の彼女の方は、身のこなしが何とも優しくしなやかだ。そしてその手つきが小笠原流とは言わないが殆ど様式化されていて美しい。こちらの方へも遠足で来た事があると言うので、「是非、再び遊びに来てください」とお別れした。
普段は女医さんで、ストレス発散のため副業にスチュワーデスをしているという話をどこかで読んだ。航空業界も生き残りに務めており、条件としてはもはや興味ある職場でなくなったが、その仕事内容以上に夢のある職場としての地位は失っていないようである。そして、昔の船旅の「板子一枚下は地獄、死なば諸共」ではないが、飛行機の旅はやはり特殊な密室環境にあって、尚且つ離陸地と着陸地の両方の空気の間を場所と時間を越えてトランスさせてくれるのである。その変換において、触媒の役を担ってくれるのが愛すべき彼女達と云えまいか。