2004 02/19 編集
オーストリー・ハンガリー二重帝国の歴史は、食卓の上に痕跡を残す。ハンガリーの煮込み料理グーラッシュは、同じ神聖帝国乍ら、ドイツではレストラン料理として馴染みが薄い(家庭では安い肉を煮込む)。ドイツではグーラッシュズッペなるスープは至る所にあるが、国土を西へ行くに従いミルク煮込みの、フランス風ラグーが主流になる。豚に比べ牛肉の消費が少ないことにもよるようだ。オーストリーでは、牛のグーラッシュは一般的だ。このハンガリーの平たいパプリカ(ピーマン)を使う料理は、ドライブインの定番なほどの民族料理である。パプリカの辛みは西欧では本来馴染みが無く、マジャール人がアジアからもたらしたようなエキソシズムが漂う。キリスト教化したマジャールは、トルコ人の欧州進撃の防御にもなった。数々の武勇伝があるようだ。印欧語にもスラブ語にも属さない中央アジア起源のマジャールは、姓の次に名を名乗る。もともと制圧されにくい放牧民族であったので独特の立場や文化を今も保つ。
ワイン街道にもマジャールの親父の店があった。共産圏時代には、ブタペストで国賓のキッチンの使い走りもしたコックである。同志中国人の女に附いて北京も観光した。南フランス人女と結婚後、二人の子も成長すると、今度は若いポーランド人を嫁にした。一人娘ナタリーに給仕をさせながら、若い嫁さんとキッチンを切り盛りした。夜中、3時ごろまでカジノ客を相手に食事を出した。ベークドポテトの出来上がりは最高だった。その味付けと食感は、芋嫌いにも受け入れられた。ここの自慢料理がグーラッシュであった。土地柄と値段を考慮して、豚仕立てだったが本物であった。ナタリーが注ぐピルツナー・ビールがすすんだ 。メニューに載っていなかったのが、ザウワークラウト入りのグーラッシュだ。ザウワークラウトを二日二晩煮ると、こなれた円やかな味になる。パプリカの辛さも酸味も全てが調和してしまう。伝統を感じさせるおふくろの味であった。看板娘ナタリーもいつしか独り立ちして行き、夫婦二人体制になり営業時間も昼夜に変えた。店を仕舞う前に、「ナタリーも27歳になってね。」とお別れに娘がハンガリーから持ち帰ったトカイを開けてくれた。いつかゆっくりと二頭立て馬車で大陸を走りたいというのが年来の夢であった。今ごろは、中央アジアへと繋がる大平原を東へ東へと2馬力の車を走らせているのだろうか。
オーストリー・ハンガリー二重帝国の歴史は、食卓の上に痕跡を残す。ハンガリーの煮込み料理グーラッシュは、同じ神聖帝国乍ら、ドイツではレストラン料理として馴染みが薄い(家庭では安い肉を煮込む)。ドイツではグーラッシュズッペなるスープは至る所にあるが、国土を西へ行くに従いミルク煮込みの、フランス風ラグーが主流になる。豚に比べ牛肉の消費が少ないことにもよるようだ。オーストリーでは、牛のグーラッシュは一般的だ。このハンガリーの平たいパプリカ(ピーマン)を使う料理は、ドライブインの定番なほどの民族料理である。パプリカの辛みは西欧では本来馴染みが無く、マジャール人がアジアからもたらしたようなエキソシズムが漂う。キリスト教化したマジャールは、トルコ人の欧州進撃の防御にもなった。数々の武勇伝があるようだ。印欧語にもスラブ語にも属さない中央アジア起源のマジャールは、姓の次に名を名乗る。もともと制圧されにくい放牧民族であったので独特の立場や文化を今も保つ。
ワイン街道にもマジャールの親父の店があった。共産圏時代には、ブタペストで国賓のキッチンの使い走りもしたコックである。同志中国人の女に附いて北京も観光した。南フランス人女と結婚後、二人の子も成長すると、今度は若いポーランド人を嫁にした。一人娘ナタリーに給仕をさせながら、若い嫁さんとキッチンを切り盛りした。夜中、3時ごろまでカジノ客を相手に食事を出した。ベークドポテトの出来上がりは最高だった。その味付けと食感は、芋嫌いにも受け入れられた。ここの自慢料理がグーラッシュであった。土地柄と値段を考慮して、豚仕立てだったが本物であった。ナタリーが注ぐピルツナー・ビールがすすんだ 。メニューに載っていなかったのが、ザウワークラウト入りのグーラッシュだ。ザウワークラウトを二日二晩煮ると、こなれた円やかな味になる。パプリカの辛さも酸味も全てが調和してしまう。伝統を感じさせるおふくろの味であった。看板娘ナタリーもいつしか独り立ちして行き、夫婦二人体制になり営業時間も昼夜に変えた。店を仕舞う前に、「ナタリーも27歳になってね。」とお別れに娘がハンガリーから持ち帰ったトカイを開けてくれた。いつかゆっくりと二頭立て馬車で大陸を走りたいというのが年来の夢であった。今ごろは、中央アジアへと繋がる大平原を東へ東へと2馬力の車を走らせているのだろうか。