ジャスミンちゃんは、二十歳のトルコの女の子だった。彼女はムスリムながらトルコの中でも可也リベラルの社会層に属していた。だから彼女は、ムスリム以外の我々ともよく行動をともにした。彼女をドイツ料理に誘った時の事を急に苦々しく思い出した。
ムスリムの世界規模の西洋社会への激しい抵抗が毎日のように執拗に繰り返されている。先日も世界で最も進歩的な町アムステルダムで有名な画家ファン・ゴッホの末裔で映像作家のテオ・ファン・ゴッホ氏が原理主義者に射殺された。仕事場へ向かったところをモロッコ出身の若い男に路上で待ち伏せされ撃たれた。さらに儀式則って咽喉を切り裂かれた。犯人は警察との市中の銃撃戦を経て逮捕された。ムスリム原理主義者の凶暴性は、テロリストとして世界中で名高い。ムスリムの法自体が、現代の西洋の法秩序では断じて受け入れがたいものという。彼らのムスリム法に則った生活様式は、寛容をもってしても西欧では頻繁に軋轢を生んでいる。
殺害されたファン・ゴッホ氏は、ムスリム問題だけでなくリベラル左翼として嘗てテレフォン・セックスから死体愛好症までを題材としていたという。今回の悲劇は、二年前に起きたオランダの人気右翼政治家の暗殺と90年代初めに起きた「悪魔の詩」のルシュディ氏騒動の間に分類される。我々は、タブー無きリベラリズムが他者のナイーブな心情をずたずたに傷つけていることに気がつく。他者の精神を研ぎ澄まされた薄刃で音も無く、真綿で締めるごとく、罪の意識無く斬り付けているかもしれない。ある人々にとっては、彼の地で法に認める同性愛や中絶ですら耐えがたく不快なものである。権利を根拠に純粋培養された西洋リベラリズムは、新種の病原菌を持って免疫の無い人々に無差別に襲い掛かる。
ドイツ料理は、ムスリムの不浄の肉、豚肉無しにはなかなか成立しない。ジャスミンちゃんに豚肉で踏み絵をさせるような蛮行を、我々はしていないだろうか。表現や報道の自由が、そのまま暴力となって人々を傷つけてはいないか。決してお互いがお互いに受け入れられる事がないからこそ、十分な配慮が必要なのである。自他の葛藤という点では、男女関係にも似ている。そして今、上の事件の犯人の二重国籍のモロッコ人は、自由で寛容のオランダを追放されることに怯えていると言う。残念ながらリベラリズムでは対応のしようが無い。
参照:
固いものと柔らかいもの [文学・思想] / 2005-07-27
キッパ坊やとヒジャブ嬢ちゃん [ 歴史・時事 ] / 2004-11-06