ピーチク・パーチク。オノパトペの文化による違いは、その言語とその機能の差異であろう。脳神経学会での「鳥の鳴き方の学習」についての講演の話題が目に入ったので、さらに二三件のサイトを覘いてみた。無料のアブストラクトでは、特に目新しい情報は見つからなかった。一般の興味が高い話題だからこそ中身は有料である。鳥は十種類ほどの歌のレパートリーを持って、内外の状況や目的により歌い分ける。鳥の種類によってはその何倍かの歌い分けをする。方言も古くから知られていたが、それを新たに覚えるプロセスが脳神経機能として解明されてきているらしい。
鳥の鳴き声に関しても、音楽学として研究されている向きもあるようだが、モーツャルトのトリルをオノパトペと認定しても仕方なかろう。鳥に関しては、近年ではフランス人メシアン氏の採譜と音楽化が有名である。数多くの作品に明確に音化された。それに戸惑う人も多いようだが、彼の晩年のオペラ「アシッジの聖フランシス」の中で飛び啼き交う鳥は、なんと霊感に満ちて雄弁に語ることだろう。らい病者に奇跡を起こし、鳥に説教して、聖痕を得て死をもって永遠の生を受ける聖フランシスが描かれるが、具象的な天使の歌声以上に抽象的な鳥の鳴き声は遥かに多くを啓示する。
サウンドスケープ(音風景)として環境音の分析とそれへの関心は、ここ五十年ほど徐々に高まってきた。しかしオノパトペと同じく、その受け手の文化的背景を土台としてしか把握出来ないことも多い。雨だれや潮騒の音も、自然の情報以外の文化的記号を持つことがある。汽笛や百八つの煩悩を打つ鐘が響く風景から、その意味作用を超えて違う文化的記号を引き出すこともある。映画の背景音などは当に此れである。抽象的な鳥の歌が文字情報に解釈された時、その「鳥文化」はそのサウンド情報を全て失う。抽象的な生物の鳴き声に具体的な意味を理解するとき、聖フランシスが語り合った鳥語は、人類の認識を超える何かを教示してくれるのだろうか?