Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

凍て付く散歩の夢の抄

2006-01-27 | 生活
本日は偶々休肝日であるから、幾分健康的な雑感を。月曜日から水曜日までは快晴で、氷点下を上回る事が無かった。両日とも午後三時過ぎの時間をワイン地所を散歩する事が出来た。本格的に長い距離を歩くのは好きだが、短い時間の散歩は苦手である。それでも30分も歩くと良い運動量になると言う事を聞いて、車の生活で殆んど歩く事が無いばかりか、座り切りの生活をしていて体に良くないので、天気の良い時ぐらいは歩く心算である。

その途中でワインを試飲して、ニ三本持ち帰って来るという密かな楽しみも実は隠されている。残念ながらその機会はまた得ていないので、今後とも試してみる。それにしても氷点下の乾いた土地は、カチコチに固まっているが、湿気が少ないので霜柱とはならず、地面が凍り付いているだけである。日陰に行くと、昨年の雪が微かに残っている。

最近は、こうして歩いていると、考え事が吹っ飛ぶようになったのも不思議で、以前は絶えず考え事をしながら歩いていたのとは大違いである。如何も、この違いが散歩の基礎のようで、この技術を会得出来ないと散歩は面白くないらしい。一人で散歩して、気分転換するには精神的な修行が必要なのである。

それでも前日に魘されて叩き起こされた悪夢を、その途上思い起こして仕舞った。二日続けて夢に叩き起こされた。後の方は、従来から時々遭遇するホーンティングもので、建築空間と関係する。他の専門用語?で「呪縛霊」ものと言うものかもしれない。その土地で無く、建物に潜む「霊」なのである。幼少体験から原体験までの、何らかの思い当たりはあるのだが、これが数年に一度位は形を変えて登場する。通常は暗闇に潜む得体の知れぬ何かなのだが、今回のはハリウッド映画の脚本にそのまま使えそうに大層派手であった。思いあたる事もはっきりあって、考えると可笑しいのだが、顔を洗っても戦慄が走る。

見覚えのある室内で休んでいると、その「霊」は初めから幾らか悪さをして、壁や鍵穴や額縁の裏からポップアート調の原色の絵の具を、少しずつゴホ・ゴホと吐いて、周りを汚す。仕方ないと思いつつ、部屋を綺麗に掃除をして、終わったと思った瞬間、今度はドアの上の方の何も無い所から一斉に絵の具をドバッと一斉に大放出し始める。この時の驚きと恐怖は簡単には言い尽くせない。思わず目が醒める。これほどにスプラスティックな色合いを持った悪夢を見たのは初めてである。夢を見た赤ん坊のように動揺して仕舞う。その前日の郷愁編とこのホーンティング編の共通点や物語も探れるようだが、ある程度現実との関連が分かっていても、この夢自体が恐ろしい。

ハリウッド映画にも英国の土地の昔話にもホーンティングものが多い。メタ超心理学として研究される向きもあるようだが、そのような興味の原動力の源の方が面白そうだ。友人のある外科医教授が「アウトバーンで、時速200KM以上出してダンプカーを抜くときは、そのダンプが時速100KMで逆送してくるのを止まって見ているのと同じで、怖いよ」と面白い冗談を言ったが、この意外性が笑いと恐怖心のボーダーに存在する。言い変えると、認知出来る事象の限界が、其々千差万別に存在して、その限界点との距離が反応を左右しているようである。つまり、文化的に如何にも起こりそうな事象と如何に観察していても変化すら気が付かない事象が存在するということでもある。すると、上の悪夢の意外性の特徴も探る事が出来る。

そんな事を考えながら、街道筋まで戻ってくると、旅籠の親仁が出て来て挨拶した。毛糸の帽子で完全武装しているので「散歩かい」と尋ねると、「いやいや、停めてある車を仕舞うだけよ」と答える。誰が落として言ったか知らないが、氷の破片が数日間路上に転がり続けている「歴史的保存物のプレート」の架かる家屋の前に戻ると、外出してから既に45分ほども時間が過ぎていた。
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