フランクフルトでの誕生日会に出席した。途上のラジオで、現代におけるモーツァルトを討論していたが、若い大学教授の話が全く良くなかった。今更、モーツァルトの神懸かりの作曲の否定が常識になっていると、断定的に視聴者に宣言しても一体何になるのか?誰に何を言いたいのだろう。
なるほど、大ホールに多く見かけたのは当日のドイツ人娘のヴァイオリン演奏を聞きに来たらしい音楽教室の親同伴の子供達であった。通常は、ポピュラーコンサートのプログラムに態々足を運ぶことは無いので、久しくこのような聴衆と空間を同じくすることは無かった。その様子からして、この親御さんたちにとって、芸術とは、ある種のドリームを意味するようだ。神童・天才・名声・金満・上昇・手職・階級と言うようなキーワーズを併記すれば良いだろう。ドリームは、現実が全く見えないからこそ夢なのである。
割に合わない、非経済的な営みは、それらの夢が喩え叶ったとしても、そこに付き纏う「芸人の悲哀」もモーツァルトの世界の一部でもある。初期の交響曲とドイツ舞曲、それにト長調のヴァイオリン協奏曲をバッハ親子の二曲に挟んで250回目のお誕生日を祝った。プラハの室内オーケストラとドイツ人の指揮者による祝辞は散々な結果で、空き席も比較的多いのは事情通の聴衆はこの結果を予想していたかのようだった。このようなプログラムと演奏者で、費用を安くして、営業して行くのは興業師の腕の見せどころなのだろう。その練習量の大小が如実に表れ、その舞台裏事情に自ずと注意を引く。この現在のドイツ演奏界で最も責任の重いドイツ人指揮者は、数年前にプラハで問題を起こして、一時は外交問題となっていた。その時にはこの指揮者の肩を一方的に持っていたのだが、こうしてその仕事振りを目の辺りにすると、真実の事情が勘繰られる。建設的な批判など出来ないので、指揮者やソリストや楽団の技術的問題には一切触れないで措こう。
一部の例外を除くと東欧の音楽事情を西欧と比較するのがそもそも間違いで、プラハでモーツァルトの曲が初演されたとか言っても、嘗てはハプスブルクのボヘミアのドイツ文化の影響があっただけではないのだろうか。スラヴ文化圏の音楽の核は、全く西欧のそれの対照として存在した訳で、だからこそお互いに影響を受けた・与えた。文化的洗練の問題である。それは本質的に現在でも音楽だけでなく、其々の文化圏に存在するもので、その間には歴然とした断層が存在する。
しかしこのような機会を経ると、モーツァルトの曲の一部は既にお払い箱で、今日の視点から見て充分な芸術的価値を持っているとは言い難い。この程度の曲ならば当時の才能ある無名の作曲家も作曲していたと言っても過言ではない。バッハの最後の息子の「疾風怒涛」の試みと創造的飛翔の無い音楽も困りものだが、BGMにしかならない交響曲とは一体如何したものか?すると、ハイドンの交響曲や疾風怒涛の芸術思潮のこの神童への影響を改めて考えさせられる。
上述の教授が粋がって、お誕生日に作曲家の現在に於ける文化的な価値を敢えて批判的に扱っていた。どうせならば、BGMも文化の一部として、動物や植物がモーツァルトを聞いて生産が盛んになる事も広義の実用音楽なのかと問題提議でもして欲しかった。またラジオでは、一週間を通して所縁の地を結ぶ特番が続き、当日もベルリンからの実況がメインイヴェントとなっていた。しかし、翌日知った情報によると、指揮とピアノのダニエル・バレンボイムが倒れて急遽病院に運ばれ、代行が指揮に当たったらしい。生命の危険は無いと言うが、外見も急に老け込んでいたので健康に問題があったのだろうとは想像出来る。
誕生日は同時にユダヤ人の解放記念日である。日系アメリカ人の志願部隊はイタリア攻撃で有名だが、ミュンヘンのダッハウか何処かの強制収容所の解放も彼らが為したと言う事で、毎年のように生き残りとヴェテランが集うらしい。この二つの記念日の両方に掛けて、モーツァルトの主題による創作のあった作曲家ヴィクトール・ウルマンの話題を取り上げていた。昨今のモーツァルトを軸としたラッヘンマンやリームの作曲ついては改めて考えてみる。
参照:
勇気と不信の交響楽 [ 文化一般 ] / 2006-01-06
朝だか夜だか判らない [ 音 ] / 2006-01-02
文化的回顧と展望 [ 生活・暦 ] / 2006-01-01
観想するベテラン芸術家 [ 文化一般 ] / 2005-11-16
経済成長神話の要塞 [ 文化一般 ] / 2005-10-13
アマデウス君への反対尋問 [ 文化一般 ] / 2005-03-12
達人アマデウスの肖像 [ 音 ] / 2005-01-19
冬の夕焼けは珍しいか? [ 文学・思想 ] / 2005-01-12
なるほど、大ホールに多く見かけたのは当日のドイツ人娘のヴァイオリン演奏を聞きに来たらしい音楽教室の親同伴の子供達であった。通常は、ポピュラーコンサートのプログラムに態々足を運ぶことは無いので、久しくこのような聴衆と空間を同じくすることは無かった。その様子からして、この親御さんたちにとって、芸術とは、ある種のドリームを意味するようだ。神童・天才・名声・金満・上昇・手職・階級と言うようなキーワーズを併記すれば良いだろう。ドリームは、現実が全く見えないからこそ夢なのである。
割に合わない、非経済的な営みは、それらの夢が喩え叶ったとしても、そこに付き纏う「芸人の悲哀」もモーツァルトの世界の一部でもある。初期の交響曲とドイツ舞曲、それにト長調のヴァイオリン協奏曲をバッハ親子の二曲に挟んで250回目のお誕生日を祝った。プラハの室内オーケストラとドイツ人の指揮者による祝辞は散々な結果で、空き席も比較的多いのは事情通の聴衆はこの結果を予想していたかのようだった。このようなプログラムと演奏者で、費用を安くして、営業して行くのは興業師の腕の見せどころなのだろう。その練習量の大小が如実に表れ、その舞台裏事情に自ずと注意を引く。この現在のドイツ演奏界で最も責任の重いドイツ人指揮者は、数年前にプラハで問題を起こして、一時は外交問題となっていた。その時にはこの指揮者の肩を一方的に持っていたのだが、こうしてその仕事振りを目の辺りにすると、真実の事情が勘繰られる。建設的な批判など出来ないので、指揮者やソリストや楽団の技術的問題には一切触れないで措こう。
一部の例外を除くと東欧の音楽事情を西欧と比較するのがそもそも間違いで、プラハでモーツァルトの曲が初演されたとか言っても、嘗てはハプスブルクのボヘミアのドイツ文化の影響があっただけではないのだろうか。スラヴ文化圏の音楽の核は、全く西欧のそれの対照として存在した訳で、だからこそお互いに影響を受けた・与えた。文化的洗練の問題である。それは本質的に現在でも音楽だけでなく、其々の文化圏に存在するもので、その間には歴然とした断層が存在する。
しかしこのような機会を経ると、モーツァルトの曲の一部は既にお払い箱で、今日の視点から見て充分な芸術的価値を持っているとは言い難い。この程度の曲ならば当時の才能ある無名の作曲家も作曲していたと言っても過言ではない。バッハの最後の息子の「疾風怒涛」の試みと創造的飛翔の無い音楽も困りものだが、BGMにしかならない交響曲とは一体如何したものか?すると、ハイドンの交響曲や疾風怒涛の芸術思潮のこの神童への影響を改めて考えさせられる。
上述の教授が粋がって、お誕生日に作曲家の現在に於ける文化的な価値を敢えて批判的に扱っていた。どうせならば、BGMも文化の一部として、動物や植物がモーツァルトを聞いて生産が盛んになる事も広義の実用音楽なのかと問題提議でもして欲しかった。またラジオでは、一週間を通して所縁の地を結ぶ特番が続き、当日もベルリンからの実況がメインイヴェントとなっていた。しかし、翌日知った情報によると、指揮とピアノのダニエル・バレンボイムが倒れて急遽病院に運ばれ、代行が指揮に当たったらしい。生命の危険は無いと言うが、外見も急に老け込んでいたので健康に問題があったのだろうとは想像出来る。
誕生日は同時にユダヤ人の解放記念日である。日系アメリカ人の志願部隊はイタリア攻撃で有名だが、ミュンヘンのダッハウか何処かの強制収容所の解放も彼らが為したと言う事で、毎年のように生き残りとヴェテランが集うらしい。この二つの記念日の両方に掛けて、モーツァルトの主題による創作のあった作曲家ヴィクトール・ウルマンの話題を取り上げていた。昨今のモーツァルトを軸としたラッヘンマンやリームの作曲ついては改めて考えてみる。
参照:
勇気と不信の交響楽 [ 文化一般 ] / 2006-01-06
朝だか夜だか判らない [ 音 ] / 2006-01-02
文化的回顧と展望 [ 生活・暦 ] / 2006-01-01
観想するベテラン芸術家 [ 文化一般 ] / 2005-11-16
経済成長神話の要塞 [ 文化一般 ] / 2005-10-13
アマデウス君への反対尋問 [ 文化一般 ] / 2005-03-12
達人アマデウスの肖像 [ 音 ] / 2005-01-19
冬の夕焼けは珍しいか? [ 文学・思想 ] / 2005-01-12