
ザウマーゲンに拘る。終に念願の煮ザウマーゲンを食する機会にありつけた。近所のワイン酒場でも人数が集まらないと食べる事は出来ない。大きさによって違うらしいが、二時間から二時間半掛けてゆっくりと暖めなければいけない。ヴィーナーやフランクフルター腸詰類同様、皮が弾けない様にひたひたと沸かしたお湯を保つのだ。今回入手したのは、932グラムの小型だったので、親仁は75分の茹で時間を薦めた。

火が通って来ると、周りの皮が張りつめて膨らんでくる。これを、一センチ程の円盤状に丸切りにする。付け合わせにはザウワークラウトやロートクラウト、若しくはマッシュポテトなどが推奨されるが、温野菜を付け合せてみた。白菜と椎茸を煮汁で暖めた。

初めての煮ザウマーゲンは、センセーショナルな味であった。世界にこれほど繊細な味覚がどれだけ存在するのだろう。塩コショウを主体とした味付けであるが、コリアンダーなどの他の香辛料がそれとは気付かせずに、絶妙の味の深みへと誘う。高級リースリングに対抗出来る、この味の構築は他にはなかなか無い。兎に角、焼くと強調される胡椒の味さえが、具の合間にひっそりとして収まる奥ゆかしさは、味の洗練の極みであろうか。
こうして書きながらも、何故に元旅行肉屋の親仁の処方による土地の料理がこれほどまでの洗練に到達しているのかが理解出来ない。効能書きを読むと、残りを暖める時には、通常の場合のようにフライパンで炒めると記されているが、そこには幾つかのヒントも見付かる。皮の縮みを避けるための二三のスリットを入れろにはなるほどと思いつつ、バターで炒めて表面をカリカリとさせろとあり、食の極みである食感にさえ至っている。
それにしても、この偉大なる地方の味がワインの伝統から導かれてきたのかどうかは分からぬが、こういう文化的洗練が地元でも余り充分には知られずに存在すると言うのは、地域の伝承を容易く扱わないで保護しようと言う意志が働いているからだろう。FAZ紙の伝えるところによると、お得意のお客さんもここへ取りにこなければいけないと言う(冬季は郵送もするようだが)。食文化に限らず、「一番良い物はそう簡単に、余所者には見せないぞ」と言う反グロバリズムが何処かに潜んでいる。そうやって守らなければいけない秘儀が此処にもあるのだ。
こういう物は祝い事に食したり、病気の時に良く噛み味わって食べるのが良いのかもしれない、5%以下の油脂で、新鮮な豚肉を湯に通しただけの、ジャガイモの入ったこの料理は健康食そのものである。名料理人ポールボキューズもこれを食したらしいが、湯がいたままを食べたのだろうか?ブッシュ・ジュニアは父親とは違いこれのご相伴には与っていない。世界の指導者であろうが、こうして金だけで買えない物が存在するのが、パラダイスへの第一歩なのである。行きつけの床屋の親仁は、知らぬ間にこんなに美味い物を食べていたのだ。
参照:
典型的なザウマーゲン [ 料理 ] / 2005-12-27
利のある円錐形状 [ 料理 ] / 2006-01-26
そして鼻の穴が残った [ 料理 ] / 2005-08-04