作曲家ブラームスが再び夏の保養に出かけたのは、スイスのテューン湖と接するブリエンツ湖畔のホッフシュテテンである。ここに1886年から1889年の夏を過ごし、第四交響曲に続く有名な室内楽三曲等と最後の管弦楽曲「チェロとヴィオラの為の二重協奏曲」作品102を完成させている。
室内楽の方は、チェロとピアノの為のソナタヘ長調作品99、ヴァイオリンとピアノの為のソナタイ長調作品100とニ短調作品108の二曲のことを指す。イ長調のヴァイオリンソナタは、友人のビルロート博士とここの夏を過ごした、老作曲家お気に入りの若いアルト歌手の為の歌曲作品105-1の引用などが顕著で、同時に冒頭の主題と「マイスタージンガーのシュトルツィングの歌」との類似性も指摘される。またアンダンテの中に組み込まれたスケルツォなどと、文学的音楽解釈を許す素地が多くある。1888年に完成されたニ短調のヴァイオリンソナタは、それすらなかなか許さない密な書法で書かれているので、かえって作曲の過程の雰囲気と言うか、印象主義といっても良いような創造の光景が浮かぶ音楽となっている。
実は、ブラームスが滞在した町の風光は、隣のテューン湖の風景とは比較出来ない。現在でも湖水面の美しさは格別で、木々の緑と高嶺の白い雪はそれほど広く無い谷に囲まれて、何処までも続く青い空へと抜け渡る。そこの風景自体が、ヴァーグナーが亡命地として力を蓄えた、ルツェルン近郊トリップヒェンの自宅のある湖や、そこを訪れたニッツェやフォィエルバッハやルートヴィッヒ二世の存在とは、ビュルンニ峠の向こう側とこちら側で粗二十年の歳月を経てその世界を隔てている。これは名曲探訪の類の話しでは決して無くて、言うなれば、形而上での芸術創造の認知に関係していて、その意味合いを知りたければ通常の音楽分析では事足りない。
テューン湖畔にある漁師の館に灯火が月の薄明かりの中に燈るのを見ていて、エーテルのように真空の中に詰まる何かに気が付く。それは芸術に措いて、形態を以って繰り広げられる表現でしかない。それは、センチメンタリズムでも刹那な印象の詰め合わせでも無い。既に18時を廻っていて、湖の果ての山波に西の空が映る。湖畔の漁師の許を訪ねたが、遠の昔に店仕舞いをしていたようで、燻製の魚を所望するどころか、見る事すら出来なかった。
しかしこれで幾らか事情は呑み込めたので、次回を楽しみにしたい。ブラームスが作曲の筆を折ろうとした意思と晩年の作品、そして上に挙げた作品群、更に以前の作曲などを捉えるには、その充満した空気感こそが大切であって、これは燻製された魚が吸い込んだ煙にも通じるものである。
参照:
求めなさい、探しなさい [ 文化一般 ] / 2005-11-27
BLOG版「伝言ゲーム」 [ 雑感 ] / 2005-11-25
ベッティーナ-七人の子供の母 [ 女 ] / 2005-03-16
室内楽の方は、チェロとピアノの為のソナタヘ長調作品99、ヴァイオリンとピアノの為のソナタイ長調作品100とニ短調作品108の二曲のことを指す。イ長調のヴァイオリンソナタは、友人のビルロート博士とここの夏を過ごした、老作曲家お気に入りの若いアルト歌手の為の歌曲作品105-1の引用などが顕著で、同時に冒頭の主題と「マイスタージンガーのシュトルツィングの歌」との類似性も指摘される。またアンダンテの中に組み込まれたスケルツォなどと、文学的音楽解釈を許す素地が多くある。1888年に完成されたニ短調のヴァイオリンソナタは、それすらなかなか許さない密な書法で書かれているので、かえって作曲の過程の雰囲気と言うか、印象主義といっても良いような創造の光景が浮かぶ音楽となっている。
実は、ブラームスが滞在した町の風光は、隣のテューン湖の風景とは比較出来ない。現在でも湖水面の美しさは格別で、木々の緑と高嶺の白い雪はそれほど広く無い谷に囲まれて、何処までも続く青い空へと抜け渡る。そこの風景自体が、ヴァーグナーが亡命地として力を蓄えた、ルツェルン近郊トリップヒェンの自宅のある湖や、そこを訪れたニッツェやフォィエルバッハやルートヴィッヒ二世の存在とは、ビュルンニ峠の向こう側とこちら側で粗二十年の歳月を経てその世界を隔てている。これは名曲探訪の類の話しでは決して無くて、言うなれば、形而上での芸術創造の認知に関係していて、その意味合いを知りたければ通常の音楽分析では事足りない。
テューン湖畔にある漁師の館に灯火が月の薄明かりの中に燈るのを見ていて、エーテルのように真空の中に詰まる何かに気が付く。それは芸術に措いて、形態を以って繰り広げられる表現でしかない。それは、センチメンタリズムでも刹那な印象の詰め合わせでも無い。既に18時を廻っていて、湖の果ての山波に西の空が映る。湖畔の漁師の許を訪ねたが、遠の昔に店仕舞いをしていたようで、燻製の魚を所望するどころか、見る事すら出来なかった。
しかしこれで幾らか事情は呑み込めたので、次回を楽しみにしたい。ブラームスが作曲の筆を折ろうとした意思と晩年の作品、そして上に挙げた作品群、更に以前の作曲などを捉えるには、その充満した空気感こそが大切であって、これは燻製された魚が吸い込んだ煙にも通じるものである。
参照:
求めなさい、探しなさい [ 文化一般 ] / 2005-11-27
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