Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

映像投稿ポータルの価値

2007-03-20 | マスメディア批評
先日もユーテューブにリンクを張った。パロディーとして、もともとの映像に、自主制作の映像をつけたした制作VIDEOであった。その出来は悪くはなかったが、クレジットが入っていたとしても、制作者が投稿したのか、それとも許可無く投稿したのかなどの確認が出来ない。どこかをクリックすると、投稿へのクレジットが出てくるのだろうか?

ここから有名になった映像作家が生まれたのは、短編映画領域では今まででも珍しい事では無かったので特に驚かない。つまり、映像作家は、専門の学生を含めて膨大な数であり、こうした発表の場を有効に利用するのは当然で、設立目的でもあったのだろう。

さて個人的にはあまり関心を持っていないが、何れ投稿することもあるかと登録は済ませた。しかし、参考となるような感心するオリジナル制作品も記録映像もまだお目にかかっていない。

またこのポータルを維持するために、月々百万ダラーの維持費がかかっていると知ると、今後どのような意味を持つのか大きな疑問もある。既に対抗馬として挙げられるレィヴァードットコムなどは、投稿者に広告費の分け前を支払いたいとするので、制作発表の場としては今後こちらの方に分があるかもしれない。

お色気映像を除いたところがユーテューブの良さであるが、制作映像も上の例のようにパロディーが主体となっているとされ、無料でのオリジナル制作作品の提供には限界があることを示しているのだろう。元来、録音にしろ映像にしろ、制作費がその制作の価値を裏打ちしていて、逆に制作費がかからない記録はそのものの価値は存在しないとされる。

しかし、個人の記録映像は、ニュース性や社会告発などのジャーナリスティックな意味合いを持つ時もあろうが、その時も肖像権やプライヴァシーに係わる問題を解決する必要が生じるなど、様々な制限が存在する。

また、TVなどの映像が宣伝目的で流されることが増えそうで、その最たる例としてBBCがユーテューブと契約を交わした。これは、公共的な利用に違いない。その一方、トルコの例に見るように、共和国の開祖アタテュルクを同性愛者としたVIDEOが原因で、ユーテューブはトルコでのアクセスが禁止された。とは言ってもネットは幾らでも方法がある。

映像の感覚的な効用を決して過小評価してはいけない。しかし、優れた制作品でない限り知的思考に訴える事は皆無であり、他方、記録は絶えずその視点の立ち位置を背後から探るような読み深さが無ければ何一つ語らない。

最も我々が試みるべきは、どんな映像でも良いからどんどんとアップロードして、内容を淘汰させる事にあると思われる。
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