アンゲラ・メルケル首相がご主人を伴って、ポーランド旅行に出かけた。詳しくは追っていないが、盛んに笑顔を振り撒いて、先日からのヴァルシャウァの戦略的米国追従に対してのEU内でのギクシャクした関係を修復するのみならず、具体的な譲歩を引き出したようである。
こうした政治的譲歩が話題となるだけでも米国追従は戦略的に成功なのか、それともミサイル防衛網をNATOの枠内事項とはしないと主張するワシントンとの綱引きは今後も盛んになるのだろうか。
ポーランドのナショナリスト勢力は、― ドイツ東方領地からの引き揚げドイツ人団体による先日話題となったポーランド政府批判を除いても ― 反ヴァチカンのカトリック放送局マリアなどが有名であるが、経済的に希望無き国民にとってはこうした動きは当然といえるのかもしれない。
何れにせよ、旧兄弟国の同志同士は話が弾んだようである。
先日、ポーランドの若い娘が、数字を数えられないので、ドイツ語が出来なくとも少なくとも数字ぐらいはさっさと覚えなさいと言って、数えさせると、どうも算数の力が不足しているのに気がついた。
千以上の数になると手に負えなくなりそうである。「あんたそれじゃ、千ユーロ以上の収入は絶対稼げないってことになるよ」と窘めた。
勿論少し教えると理解するのだが、そんな単純なことでも出来ると、「良いぞ、やったぞ、何々ちゃん」と自らを褒め称えるのである。それは構わないが、事が事だけに、「大丈夫かな」と思わせる。
一方ドイツを顧みると、確かに、最近減ってはいるが、算数の出来無いドイツ人もカトリック圏を中心に居ないことは無い。流石に教育が違うのか、社会が違うのか、ドイツ人ならばそれを少なくとも恥じる。
だから、学力の内容は兎も角、勉学が出来ないからといって、自信を無くして何も発言出来なくなり自主性を阻害された市民と、ドイツ人のように学力は無くとも平静は大きな顔をして、権利の行使と自尊心を叩き込まれた市民と、どちらの方が良い民主的社会が出来るかと言えば後者の集まりに違いない。しかし、一旦高圧的な支配を受けると、従順になり全体主義に導き易いのは後者であると、アドルフ・ヒットラーが「我が闘争」で語っている通りである。前者の方が遥かに強かに振る舞うに違いない。
上記の彼女の父親は、失業していて、母親が働いているので、主夫をしていると言う。羨ましい限りである。娘が二人居て、孫が二人もいると言うから、幸せ者なのである。
そしてドイツでは、少々金があっても年金やらなにやら齷齪と暮らしているのである。ご気楽なお隣さんを横目に、悩みは一生尽きないのだ。
参照:
知っていたに違いない [ 歴史・時事 ] / 2006-08-24
歴史政治の遠近法 [ 歴史・時事 ] / 2005-04-17
遺憾に思う、奴隷売買 [ 歴史・時事 ] / 2006-12-05
滅私奉公と勧善懲悪 [ マスメディア批評 ] / 2007-03-17
矮小化された神話の英霊 [ 文学・思想 ] / 2006-08-21
行進しても喉が渇かない [ 生活 ] / 2005-04-25
対波蘭戦に忠誠を示すか [ ワールドカップ06 ] / 2006-06-15
こうした政治的譲歩が話題となるだけでも米国追従は戦略的に成功なのか、それともミサイル防衛網をNATOの枠内事項とはしないと主張するワシントンとの綱引きは今後も盛んになるのだろうか。
ポーランドのナショナリスト勢力は、― ドイツ東方領地からの引き揚げドイツ人団体による先日話題となったポーランド政府批判を除いても ― 反ヴァチカンのカトリック放送局マリアなどが有名であるが、経済的に希望無き国民にとってはこうした動きは当然といえるのかもしれない。
何れにせよ、旧兄弟国の同志同士は話が弾んだようである。
先日、ポーランドの若い娘が、数字を数えられないので、ドイツ語が出来なくとも少なくとも数字ぐらいはさっさと覚えなさいと言って、数えさせると、どうも算数の力が不足しているのに気がついた。
千以上の数になると手に負えなくなりそうである。「あんたそれじゃ、千ユーロ以上の収入は絶対稼げないってことになるよ」と窘めた。
勿論少し教えると理解するのだが、そんな単純なことでも出来ると、「良いぞ、やったぞ、何々ちゃん」と自らを褒め称えるのである。それは構わないが、事が事だけに、「大丈夫かな」と思わせる。
一方ドイツを顧みると、確かに、最近減ってはいるが、算数の出来無いドイツ人もカトリック圏を中心に居ないことは無い。流石に教育が違うのか、社会が違うのか、ドイツ人ならばそれを少なくとも恥じる。
だから、学力の内容は兎も角、勉学が出来ないからといって、自信を無くして何も発言出来なくなり自主性を阻害された市民と、ドイツ人のように学力は無くとも平静は大きな顔をして、権利の行使と自尊心を叩き込まれた市民と、どちらの方が良い民主的社会が出来るかと言えば後者の集まりに違いない。しかし、一旦高圧的な支配を受けると、従順になり全体主義に導き易いのは後者であると、アドルフ・ヒットラーが「我が闘争」で語っている通りである。前者の方が遥かに強かに振る舞うに違いない。
上記の彼女の父親は、失業していて、母親が働いているので、主夫をしていると言う。羨ましい限りである。娘が二人居て、孫が二人もいると言うから、幸せ者なのである。
そしてドイツでは、少々金があっても年金やらなにやら齷齪と暮らしているのである。ご気楽なお隣さんを横目に、悩みは一生尽きないのだ。
参照:
知っていたに違いない [ 歴史・時事 ] / 2006-08-24
歴史政治の遠近法 [ 歴史・時事 ] / 2005-04-17
遺憾に思う、奴隷売買 [ 歴史・時事 ] / 2006-12-05
滅私奉公と勧善懲悪 [ マスメディア批評 ] / 2007-03-17
矮小化された神話の英霊 [ 文学・思想 ] / 2006-08-21
行進しても喉が渇かない [ 生活 ] / 2005-04-25
対波蘭戦に忠誠を示すか [ ワールドカップ06 ] / 2006-06-15