Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

風が吹けば、気が付く

2007-03-05 | 生活
日常の生活で、思いもしなかった事に気がつく時がある。先月末の土曜の午後のスーパーマーケットでのことである。レジの行列が長いので、時間帯によるのかとも思っていたが、並んでいるうちに理由が知れた。

清算のオンラインの反応速度が遅く、カードでの支払いに時間が掛かっていたのであった。レジのおばさんに、いつもこの時刻はこうなのかと聞いてみると、今日は特別に遅いとこぼす。給料日の後の現象として承知しているようだ。なるほど銀行でも列が出来る日なのである。そのようなときは、レジでも列が出来る。

オンラインの回線を詳しくは知らないが、銀行のセンターの計算機の高負荷なのだろうと想像する。なるほど、一斉に負荷が掛かれば、とってもではないが対応出来ないのだろう。計算を分担させる機構になっていても限界値は必ず存在する。もちろん、決算の最終的な記帳は、その安全性から容易にどこの計算機にでも代わりに対応させる事は出来ないように思われるが、どうなのだろうか?

いずれにせよ、処理限界能力はそのあたりに設定されていて、同じ土曜日や月末でも通常は気が付かない程度の能力があるようだ。

土曜日は、午前中から強風が吹き、雲も飛んで青空にシャワーの一日であった。開花したアーモンドの並木が折れて、国道を塞いでいたりした。暖かく春一番の様であった。

午後にはワインの試飲会に参加して、十分に吟味したので、些か腹が膨れた。夕食を軽く済ませると、ここ暫らくの消化能力の低下から、起きてはいられなくなる。二時間ほど横になって、それから起きてしばらく体を動かしているとなんとか落ち着いた。

金曜日は、アルペン協会支部月例会で、ヒマラヤトレッキングに行く仲間を甚振って遊んだ。アンナプルナ山域に街道に出没するマオイストを心配していたので、無事を祈って、七年後の再会を願った。ハインリッヒ・ハラーが連合国の収容所から逃れチベットでダライ・ラマと親しんで、七年も過ごすハリウッド映画となった物語である。

そう言えば、一年以上ご無沙汰している方に思いがけない場所で偶然出会った。その女性から声をかけて頂いて、こちらは直ぐに誰だか判らなかった。偶々書類の山から彼女の名前の書かれたメモを見たところだった。これに付いては改めて書かなければいけないが、こうした偶然の、先日触れた「踊り場での逡巡」における連続した空間や時間の流れの中で主観的非連続が齎す錯覚との共通点は以下のようになる。

一般的な社会生活において「風が吹けば、なになに」のように因果関係の関連性を探すことが困難な「不慮の事態」に遭遇することも少なくない。しかし、三次元空間の階段はどのような形状をしていても、空間の重力等の束縛から逃れる事は出来ない。つまり自由な空間に存在しない。そこで、現実には逡巡の次の局面には必ずその摂理の中に舞い戻る必要がある。

結局、そうした主観客観に関わらず、次の局面での事象は実は予測され得るが、多くは偶然としてその因果関係を否定される。反対に、複雑な因果関係を認知して、その数学的確からしさをはじき出されない限り、そのような現象は偶然と呼ばれる。

何かが起こる時の因果律の摂理を我々は自然としている。
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