スーパーに出かけた。学校が閉鎖になって子供が多いかと思ったが、それ程ではなく、居てもティーンエイジャーだった。月曜日に買い物をしておこうと思っていた。そして午前中にバイエルン州は「カタストロフ」宣言を出した。詳しくは会見を見ていないが、非常事態宣言の手前の段階を敢えて出したのだろう。
国境線は全面的に固められたが、バイエルン州はオーストリアとの国境は通行量が多いので、州内の動きを抑えることで丁度非常事態を出しているオーストリア側と調合する形になっている。国境に関して記者から質問があったが、当然のことながら交通量の無いところはそれほど変わらない。重要なのは国境から国境へと渡ってくるルートを閉じる事である。
しかし同じように非常事態になっているフランスとプファルツ、バーデンとの国境に比べれば国境の両側での落差は少ない。自由度の落差がフランスとの間の様に大きいと国境で絞る意味がある。それ以前から30㎞圏内でパトロールしていたのを検問所で直接追い返す意味がある。国境を締める意味はそこにあって、物流とか不可欠な通勤とかは通されている。そのような状況は国境を知らない人には分かり難い。
さて急いで購入したかったのは保存の効く食料である。それもいつもご用達の安物の米を買いたかったが売り切れていた。所謂ハムスター買いがそこでも起こっていた。
当然だと思う。そのスーパーに来るような人から15人も陽性者が出ている。いつ死人が出るかどうかの感染度であろう。咳をしていた者もいたが私はじっと堪えた。咳づいたら自分も倒れてしまうかもしれない不安に襲われた。
売り切れていたのは、次にヌードル。要するにドイツも米が頼りだ、そしてヌードル。しかし高価なものはそれほど売れていない。そこで豆類も売れていた。仕方が無いので紙パックのホールトマトを買っておいた。これで二三日分はヌードルで食せる。皆同じような事を考えるようで非常食用にあまり高価なものは買わない。
その他ではやはりトイレットペーパーが売り切れていた。元々購入の予定はなかったので奥の濡れティッシュを見るとジョンソンジョンソンのは売り切れていた。仕方が無いので安いのを購入しておいた。
そして石鹸を見ると愛用商品が売れ切れて一個だけ残っていた薬用石鹸を購入しておいた。こういう時だからこそ今までとは違ったものを試せる。その他では二週間以内に必要なものは無かった。月曜日であるから品薄であったが、客もそれほどおらず並ばずに済んだ。状況によっては週内にもう一度見に行くかもしれない。出来るだけ人と接触したくはないのだが仕方が無い。
スーパーに行く前に八百屋で野菜を見た。卵も欲しかったのだが、ジャガイモも何もかも十分な品揃いだった。多くは近辺の農家から運ばれるものなので営業が停止されない限り大丈夫だ。場合によっては戸外でもやれるお店だ。それに関しては農林大臣クロックナー女史の言う通り全く心配は要らない。
夕方になってメルケル首相の演説が入った。それによると不要不急の商店の閉鎖、あらゆる教会の閉鎖などを要請するものだ。謂わば私の生活は変わらない。
五月のコンサートのチケットを取った。とてもとても楽しみにしていたコンサートだ。しかし、メーデーからのベルリナーフィルハ-モニカ―やニューヨークフィルのツアーなどはほとんど実現不可能になっている。その一つの山であったアムステルダムのマーラーフェストは幻となりそうである。求めた座席を確保しただけに、余計にとても悲しい。
「連帯への憧憬」とバーデンバーデンの祝祭劇場は来シーズンへのモットーを掲げた。支配人スタムパはそれ以上には語っていない。しかし私はこれを今回の復活祭実施断念に重ねる。同じライヴの時を過ごす。様々な感じ方はあってもその時と空間を共有する、それは手と手を取り合った連帯ではなかろうか?誰も今ほどその機会の貴さを思ったことは無いであろう。
参照:
想像する本物のパトロン 2020-03-16 | 文化一般
日常の生活への架け橋 2020-03-15 | 文化一般
国境線は全面的に固められたが、バイエルン州はオーストリアとの国境は通行量が多いので、州内の動きを抑えることで丁度非常事態を出しているオーストリア側と調合する形になっている。国境に関して記者から質問があったが、当然のことながら交通量の無いところはそれほど変わらない。重要なのは国境から国境へと渡ってくるルートを閉じる事である。
しかし同じように非常事態になっているフランスとプファルツ、バーデンとの国境に比べれば国境の両側での落差は少ない。自由度の落差がフランスとの間の様に大きいと国境で絞る意味がある。それ以前から30㎞圏内でパトロールしていたのを検問所で直接追い返す意味がある。国境を締める意味はそこにあって、物流とか不可欠な通勤とかは通されている。そのような状況は国境を知らない人には分かり難い。
さて急いで購入したかったのは保存の効く食料である。それもいつもご用達の安物の米を買いたかったが売り切れていた。所謂ハムスター買いがそこでも起こっていた。
当然だと思う。そのスーパーに来るような人から15人も陽性者が出ている。いつ死人が出るかどうかの感染度であろう。咳をしていた者もいたが私はじっと堪えた。咳づいたら自分も倒れてしまうかもしれない不安に襲われた。
売り切れていたのは、次にヌードル。要するにドイツも米が頼りだ、そしてヌードル。しかし高価なものはそれほど売れていない。そこで豆類も売れていた。仕方が無いので紙パックのホールトマトを買っておいた。これで二三日分はヌードルで食せる。皆同じような事を考えるようで非常食用にあまり高価なものは買わない。
その他ではやはりトイレットペーパーが売り切れていた。元々購入の予定はなかったので奥の濡れティッシュを見るとジョンソンジョンソンのは売り切れていた。仕方が無いので安いのを購入しておいた。
そして石鹸を見ると愛用商品が売れ切れて一個だけ残っていた薬用石鹸を購入しておいた。こういう時だからこそ今までとは違ったものを試せる。その他では二週間以内に必要なものは無かった。月曜日であるから品薄であったが、客もそれほどおらず並ばずに済んだ。状況によっては週内にもう一度見に行くかもしれない。出来るだけ人と接触したくはないのだが仕方が無い。
スーパーに行く前に八百屋で野菜を見た。卵も欲しかったのだが、ジャガイモも何もかも十分な品揃いだった。多くは近辺の農家から運ばれるものなので営業が停止されない限り大丈夫だ。場合によっては戸外でもやれるお店だ。それに関しては農林大臣クロックナー女史の言う通り全く心配は要らない。
夕方になってメルケル首相の演説が入った。それによると不要不急の商店の閉鎖、あらゆる教会の閉鎖などを要請するものだ。謂わば私の生活は変わらない。
五月のコンサートのチケットを取った。とてもとても楽しみにしていたコンサートだ。しかし、メーデーからのベルリナーフィルハ-モニカ―やニューヨークフィルのツアーなどはほとんど実現不可能になっている。その一つの山であったアムステルダムのマーラーフェストは幻となりそうである。求めた座席を確保しただけに、余計にとても悲しい。
「連帯への憧憬」とバーデンバーデンの祝祭劇場は来シーズンへのモットーを掲げた。支配人スタムパはそれ以上には語っていない。しかし私はこれを今回の復活祭実施断念に重ねる。同じライヴの時を過ごす。様々な感じ方はあってもその時と空間を共有する、それは手と手を取り合った連帯ではなかろうか?誰も今ほどその機会の貴さを思ったことは無いであろう。
参照:
想像する本物のパトロン 2020-03-16 | 文化一般
日常の生活への架け橋 2020-03-15 | 文化一般