Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

若い女の園の寝椅子

2020-03-04 | 
疲れた。思いの外負担が掛かった。二本の歯を削って仮ブリッジを架けるだけだったが、型取りだけでも疲れた。それをやる小さな歯科衛生士嬢も疲れると思う。奥歯を削るので一寸面倒だと言っていたが、麻酔をあれだけ掛けられるとこちらの知ったことではなくなる。そして思ったよりも沢山削ってくれた。あれなら被せても厚みがある筈だ。喉の奥に削り粉が落ちてカルシウムを沢山摂取した。冠にする時にあれほど削られた思いは無く。冠は薄いがセラミックとなると厚いのだろう。

歯医者のおじさんは小柄で身体中の力を掛けて押し込んでいたが、小柄の歯科衛生士の力も結構で穴が空いたところの土台作りで可成り押されて痛みが残る。怪我をしたので、ブリッジを付けることでまた昔の痛みのようなものが戻って来た。不愉快である。要するにまだそれで噛む気にならない。何もないよりは噛めるのは違うが、二三日様子を見ないと本格的には噛めないかもしれない。

ブリッジがそんなに簡単ではないと思っていたが、本ブリッジが上手く行くのか心配になる。仮で問題が出ているぐらいの方がいいのだろうが、進展がとても気になってくる。

しかし若い女医さんになったばかりに女性ばかり三人も寝椅子の周りを行ったり来たりで、歯医者でなければもっと金が掛かるのではないかと思った。但し口にするのは水と消毒のアルコール類だけだ。でも顔を拭いてくれたり、口の中に指を突っ込んでくれたり、場合によってはマッサージのサーヴィスもある。しかし注射針の先が今日は間違って唇に刺さった ― 彼女の言葉はア、ウ~ンだけだった。

新聞にWDR放送管弦楽団の新常任指揮者マセラルのインタヴューが載っている。六月にイゴール・レヴィットとブゾーニの協奏曲などを指揮するを聴きに行く。中々面白いことを語っている。客演指揮者は木彫り師のようなものでそれが翌年にどうなっていても良いのだが、常任指揮者は大理石を掘るのと同じだと語る。前任者のサラステが殆ど何も練習で語らなかったのに対して、細かく指示することからの発言である。つまり「もう少し柔らかく」とか言ってもにっちもさっちもならないので正確に指示しなければならないと。

まさしく現在欧州をツアー中のヤルヴィとN響の関係で、全く常任の仕事が出来ていないのと対照的で、サラステもフィンランドの指揮者だ。なるほど世界中を飛んで回ってある程度の成果を数多くのプログラムで捌くにはそうしたお構いなしの職業的な合理性が必要なのだろう。

そして放送管弦楽団のその意味合いも語っていて、その影響力を間違って使ってはならないと、また自身の音楽姿勢を語っている。引き合いに出されたのがライヴァルのSWRと指揮者クレンツィスだ。マセラルは、「クレンツィスを批判つもりはない、指揮するのを聴いたことも観たことも無いからだ。しかし知るからに、作曲家が表現しようとする音楽の真実を自分一人で理解する救世主という体は全く間違っていますよ。」と糾弾する。

音楽は語る者と聴く者との間にあって、演奏する者に押し付けるものでも無くて、アイデアすらも無くて演奏が気持ちよくなるのが理想と語る。

中々これだけはっきりと語れるのは、世界中シカゴ響やコンセルトヘボーなどで招聘される実力とその自負なのだろう。生で聴くのが愉しみだ。



参照:
ケルンへ避難の準備 2020-02-21 | 生活
キリル・ペトレンコのキャンセル 2017-06-14 | 雑感
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする