スーパーから無事に帰宅した。毎回緊張を強いられる。咳ついて通報されて厳重護送されたくないからだ。それでも表向きは平静を保っているのがドイツなのだ。ナチの時代も同じように日常が営まれている一方通報されてゲシュタポにユダヤ人や精神障害者などが護送されていって、ガス室と焼却機の露となって行った。その雰囲気だけは今も全く変わらない。その基本となるイデオロギーや法規が異なるだけである。
それでもスーパーの通路でオープンに咳をする爺さんがいる。恐らく自分では気が付いていない大らかに過ごしている人なのだろう。又こうした無頓着な市民も怖い。パニックに陥るのはそうした層の人たちだろうか。
監視社会については何度も述べているが、先日のグリーンの特別展の、もう一つのテーマは「覗き」だった様だ。そこで思わずシャッターを切った絵がある。そこで観ていて浴場の裸の女性が何をしているのかよく分からなかった。その辺りの人に訊くでも無しに写真に残した。画題は「女風呂の鏡」というもので、前のコーン状のものが鏡の様で、若い女性が手に持っているものはブラシで、陰毛ブラシの様である。その横にかたずむ婆さんが鋏を持っているので陰毛挟みなのだろう。それでもあまり男性には分からないのだが、重要なのはその写真を写した好奇心そのものなのである。
その証拠に後ろに覗きの人間が描かれている。しかし身体つきは子供の様でもありあまり性も明白ではない。それどころか顔つきが獣のような顔である。勿論それが親仁の出歯亀顔であるならそこまでで終わってしまい、どちらかと言えばクラーナッハの教訓ものになって仕舞うのだが、ここではまさしくこちらの好奇心がそこに反映されていることになる。この作品自体はコピーしか残っていない様であるが、同様のものがミュンヘンのアルテピナテークにあるようだ。
要するに覗きも監視も両方向性があるということになるだろうか。
日曜日に合衆国の夏時間に気が付かずに最初の一時間分を聴けなかったフィラデルフィアでの演奏会録音を月曜日に聴いた。お目当ては今年少なくとも二回は聴くことになるピアニストのトリフォノフの演奏である。ベートーヴェンの協奏曲の連続演奏などをしていて、フィラデルフィアでは一番と五番を演奏したらしい。ルツェルンでは三番をバレンボイムに代わりペトレンコ指揮で演奏する。また五月にはニューヨークフィルに帯同してモーツァルトの協奏曲を演奏する。ロシア人なのでペトレンコ指揮で上手く合わせるのだろうが、まだよく分からない。
バレンボイムと言えば、2021年5月にパリで「スペードの女王」を振って、そこでアスミク・グリゴーリアンが歌うようだ。つまり彼女は3月から5月までチャイコフスキーの二つの新制作をこなして、7月8月とバイロイトで「オランダ人」を歌うのだろう。恐らく2020年のシーズンからそれまでに幾つかのドイツ語の役を歌うと思うがどうだろう。
しかし何よりも驚いたのはパリのその新制作のサブの指揮に入っているのがオスカーナ・リニヴで、どうもベルリンの歌劇場の後任になる可能性がとても高い。恐らく彼女の力量として、それ以下の所ではポストが空いていないので当然かと思う。そして、夏のバイロイトはマルヴィッツ指揮となると思われるが、当代一のソプラノ歌手グリゴーリアンを挿んでこの二人が相次いで指揮するとなると益々比較されることが多くなるだろう。そしてその前にペトレンコ指揮での上演ということになるのだろう。
ミュンヘンの「ばらの騎士」はバリーコスキーであるが、マルシァリンを誰が歌うかなどとても気になる。こちらも新シーズンの世界のオペラ界の一番の話題になるのだろう。
参照:
方舟の縁に右手で掴まる 2020-03-09 | 雑感
遂に感染者が出た我が街 2020-03-08 | 歴史・時事
それでもスーパーの通路でオープンに咳をする爺さんがいる。恐らく自分では気が付いていない大らかに過ごしている人なのだろう。又こうした無頓着な市民も怖い。パニックに陥るのはそうした層の人たちだろうか。
監視社会については何度も述べているが、先日のグリーンの特別展の、もう一つのテーマは「覗き」だった様だ。そこで思わずシャッターを切った絵がある。そこで観ていて浴場の裸の女性が何をしているのかよく分からなかった。その辺りの人に訊くでも無しに写真に残した。画題は「女風呂の鏡」というもので、前のコーン状のものが鏡の様で、若い女性が手に持っているものはブラシで、陰毛ブラシの様である。その横にかたずむ婆さんが鋏を持っているので陰毛挟みなのだろう。それでもあまり男性には分からないのだが、重要なのはその写真を写した好奇心そのものなのである。
その証拠に後ろに覗きの人間が描かれている。しかし身体つきは子供の様でもありあまり性も明白ではない。それどころか顔つきが獣のような顔である。勿論それが親仁の出歯亀顔であるならそこまでで終わってしまい、どちらかと言えばクラーナッハの教訓ものになって仕舞うのだが、ここではまさしくこちらの好奇心がそこに反映されていることになる。この作品自体はコピーしか残っていない様であるが、同様のものがミュンヘンのアルテピナテークにあるようだ。
要するに覗きも監視も両方向性があるということになるだろうか。
日曜日に合衆国の夏時間に気が付かずに最初の一時間分を聴けなかったフィラデルフィアでの演奏会録音を月曜日に聴いた。お目当ては今年少なくとも二回は聴くことになるピアニストのトリフォノフの演奏である。ベートーヴェンの協奏曲の連続演奏などをしていて、フィラデルフィアでは一番と五番を演奏したらしい。ルツェルンでは三番をバレンボイムに代わりペトレンコ指揮で演奏する。また五月にはニューヨークフィルに帯同してモーツァルトの協奏曲を演奏する。ロシア人なのでペトレンコ指揮で上手く合わせるのだろうが、まだよく分からない。
バレンボイムと言えば、2021年5月にパリで「スペードの女王」を振って、そこでアスミク・グリゴーリアンが歌うようだ。つまり彼女は3月から5月までチャイコフスキーの二つの新制作をこなして、7月8月とバイロイトで「オランダ人」を歌うのだろう。恐らく2020年のシーズンからそれまでに幾つかのドイツ語の役を歌うと思うがどうだろう。
しかし何よりも驚いたのはパリのその新制作のサブの指揮に入っているのがオスカーナ・リニヴで、どうもベルリンの歌劇場の後任になる可能性がとても高い。恐らく彼女の力量として、それ以下の所ではポストが空いていないので当然かと思う。そして、夏のバイロイトはマルヴィッツ指揮となると思われるが、当代一のソプラノ歌手グリゴーリアンを挿んでこの二人が相次いで指揮するとなると益々比較されることが多くなるだろう。そしてその前にペトレンコ指揮での上演ということになるのだろう。
ミュンヘンの「ばらの騎士」はバリーコスキーであるが、マルシァリンを誰が歌うかなどとても気になる。こちらも新シーズンの世界のオペラ界の一番の話題になるのだろう。
参照:
方舟の縁に右手で掴まる 2020-03-09 | 雑感
遂に感染者が出た我が街 2020-03-08 | 歴史・時事