ルツェルン音楽祭のティケットを購入した。残しておいた一枚で、金券を貰っていたので差額残りを10フラン出しただけだ。それでもうら悲しいものがあって、夏の音楽祭の中ではオペラ公演が無いだけで最も中止にならない可能性がある八月中旬に始まる音楽祭だ。但し、観客を入れるにしても間引きをしなければいけないことは確実で、健康状態の悪い危険な観客には遠慮してもらうにしても、客席数を半分には出来ないだろう。観客数千人までの上演となろう。
プラハの春が取り止めになるニュースから、オランダの六月までの集会禁止、つまり五月のアムステルダムでのマーラーフェストの中止の事実上の決定、またニューヨークフィルのシーズン終了宣言で、またメーデーのベルリナーフィルハーモニカーのイスラエル公演の難しさからして一連のマーラー演奏公演全て取り止めとなるだろう。折角とっておきの席を予約したのに残念だ。
また五月の予想される患者数のピーク時に公演再開は有り得ない。またミュンヘンのオパーフェストは練習期間も他の夏の音楽祭同様練習時間が取れないのでこちらもシーズン終了となるだろう。
週明けは冷えた。零下になった。しかし陽射しがあるとショーツが気持ちよい。しかし上着はTシャツだけはまだ駄目だ。森も平常通りで助かる。もしぞろぞろと新顔が現れると道を開けるだけで大変だ。パン屋も時間をずらすと子供が並んでいたりするだけで、又天気がいいと外で待っているのも気持ちが良い。婆さんが出て来たときの出口でのスレ違いが少し気になったが限界もある。それぐらいでは感染しないだろう。
月曜日の夜にミュンヘンの劇場から中継があった。人数は減らしてあるが、それが見出し通り生中継っだったとしたらリハーサル等を含めて違法の集会行為があったことになる。一日二日のタイムラグを突いているのかもしれないが、明らかな政治的なパフォーマンスだった。週末の話し合いの前のバイエルン州の外出禁止は批判もあった。特に知事が嘗てのシュトラウス知事の影を使ったというものだ。恐らくそれに対しての批判的なパフォーマンスだった。ミュンヘン中でのその辺りの按配は他所からは分かり難い。同じことをここでも平時に書いた覚えがあるが、なるほどなと思うところもある。
その趣旨は別にしてラフマニノフのトリオも弾き慣れているようで、又本来ならばベルリンで「フィデリオ」の練習に入っていたアンナミュラーが、又ナジが中々感動的のヴォルフやシュトラウスを歌っていたが、やはり異様な感は免れなかった。
しかし連邦共和国からの視線からすると支配人バッハラーが司会までしてのその主張は理解し難かった。そこのフリーランサーへの寄付まで重ねるとなると、何かチグハグ感が免れない。第一の山を出来る限り少ない死者数で乗り越えた後での議論は沢山ある。しかしここでは寄付を集めるならば、やはり音楽監督の威光を使うべきで、ペトレンコ自身の意志としても過去のアーカイヴを流すなど何らかのアピールが出来ないのだろうか?先ずは水曜日からペトレンコ監督指揮の四つの目のドニゼッティ「ランメルモールのルチア」がオンデマンドで二週間解放される。音質等はオンデマンドなのであまり期待できないが、初めての人もまた今迄はネットには不完全なファイルしかなかったので貴重である。改めて評価してみたい公演だ。
参照:
コロナ聖火台を仰ぐ 2020-03-23 | 雑感
卒業宣言をする価値 2019-09-18 | マスメディア批評
プラハの春が取り止めになるニュースから、オランダの六月までの集会禁止、つまり五月のアムステルダムでのマーラーフェストの中止の事実上の決定、またニューヨークフィルのシーズン終了宣言で、またメーデーのベルリナーフィルハーモニカーのイスラエル公演の難しさからして一連のマーラー演奏公演全て取り止めとなるだろう。折角とっておきの席を予約したのに残念だ。
また五月の予想される患者数のピーク時に公演再開は有り得ない。またミュンヘンのオパーフェストは練習期間も他の夏の音楽祭同様練習時間が取れないのでこちらもシーズン終了となるだろう。
週明けは冷えた。零下になった。しかし陽射しがあるとショーツが気持ちよい。しかし上着はTシャツだけはまだ駄目だ。森も平常通りで助かる。もしぞろぞろと新顔が現れると道を開けるだけで大変だ。パン屋も時間をずらすと子供が並んでいたりするだけで、又天気がいいと外で待っているのも気持ちが良い。婆さんが出て来たときの出口でのスレ違いが少し気になったが限界もある。それぐらいでは感染しないだろう。
月曜日の夜にミュンヘンの劇場から中継があった。人数は減らしてあるが、それが見出し通り生中継っだったとしたらリハーサル等を含めて違法の集会行為があったことになる。一日二日のタイムラグを突いているのかもしれないが、明らかな政治的なパフォーマンスだった。週末の話し合いの前のバイエルン州の外出禁止は批判もあった。特に知事が嘗てのシュトラウス知事の影を使ったというものだ。恐らくそれに対しての批判的なパフォーマンスだった。ミュンヘン中でのその辺りの按配は他所からは分かり難い。同じことをここでも平時に書いた覚えがあるが、なるほどなと思うところもある。
その趣旨は別にしてラフマニノフのトリオも弾き慣れているようで、又本来ならばベルリンで「フィデリオ」の練習に入っていたアンナミュラーが、又ナジが中々感動的のヴォルフやシュトラウスを歌っていたが、やはり異様な感は免れなかった。
しかし連邦共和国からの視線からすると支配人バッハラーが司会までしてのその主張は理解し難かった。そこのフリーランサーへの寄付まで重ねるとなると、何かチグハグ感が免れない。第一の山を出来る限り少ない死者数で乗り越えた後での議論は沢山ある。しかしここでは寄付を集めるならば、やはり音楽監督の威光を使うべきで、ペトレンコ自身の意志としても過去のアーカイヴを流すなど何らかのアピールが出来ないのだろうか?先ずは水曜日からペトレンコ監督指揮の四つの目のドニゼッティ「ランメルモールのルチア」がオンデマンドで二週間解放される。音質等はオンデマンドなのであまり期待できないが、初めての人もまた今迄はネットには不完全なファイルしかなかったので貴重である。改めて評価してみたい公演だ。
参照:
コロナ聖火台を仰ぐ 2020-03-23 | 雑感
卒業宣言をする価値 2019-09-18 | マスメディア批評