Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

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顔にぶら下げる何かよりも

2020-03-31 | 
オーストリアでは禁止されていたマスクが義務になったという。ドイツではロベルト・コッホ研究所がその効用に関して推奨していなかったが、買い物中の義務付けも議論されるようになった。コロナ感染が拡がって買い物客の一部が感染しているとすれば飛沫予防にそれは有用かもしれない。既に肉屋では漸く着用したと書いたが、スーパーがどうなっているかだ。先ずは売り子と従業員だと思う。それでもマスクに余裕があるならば店頭で配ればよい。

既に手袋に関しては書いてあったが前回は見つからなかった。しかし八百屋では使えた。しかしこれも余分に取れたものを回して使っていたのではあまり衛生的に良くない。つまりその場で新しいものを取らないと駄目だ。マスクも一回のみのものにすればいいのだろう。

聞いた話では女性用の生理用品を縫い付けるとあったが、其の侭口に貼って仕舞えと聞いた。どうも上手くいくようには思えないが、男性であるのでその辺りはどうもよくわからない。飛沫予防だけならば医療関係者にウイルスを避けられるものを回すべきで、素人は使い捨てで充分である。

そもそも肉体的や手からの感染が殆どの感染経路であって、空気感染はそもそも適当なマスクでは防げないとすれば、マスクの為に他の条件を守られない方が感染のリスクが高くなるとするのがコッホ研究所の見解で23日付けのサイトでも繰り返し主張している。

早速ARDは夕刻ベルリンや各州の反応を伝えて、義務化は当分有り得ないとした。理由はベルリン政府も「オーストリアでのそれは医療用でもなんでもなく」、「やっている感だけの誤った過信を警告」して、もし必要なら半分以上が感染した時点だとしている。マース外相は「効果が無かったら何かを顔にぶら下げているだけ」と、またバーデンヴュルテムベルクのクレッツィマン知事は、「数があるならば買い物に使えばよいが、マスクは必要なところに集中するべきで、義務化は考えない」とする。また医療団体は「注意する心理的な効用」もしくは「マスクは近ければ近い程保護する」と他人にはあまり影響しないという専門家的見解を示す一方バイエルン州の知事は出来る事として興味を示す。

月曜日のネットコンサート、違法すれすれのミュンヘンの劇場からのそれだ。スター歌手ヨーナス・カウフマンが出る予定だったがお休みで先の会に出るという事だった。代わりに入ったのがユリア・フィッシャーで、カウフマンよりも大いに期待した。その通りチャイコフスキーとグリークでいい演奏をした。ご本人も好きな会場でそしてこうした機会だからこその集中した演奏をした。初日のゲルハーハーのそれはまだ観ていないが、これだけの演奏をして貰えば無料では済まない。曲の構成とかその主題の作り方など本当に安定していて、同じミュンヘンのリサ・バティアシュヴィリとはまた違うドイツを代表する演奏家には違いない。

日曜日の自宅からのゴルタ・シュルツの感極まってのアカペラの歌声、最後のサムウェアーサムタイムで締めたそれも気持ちのよく伝わる歌声だった。本当に何時かヴァルトビューネで歌って欲しい。ペトレンコ指揮のバーンスタイン、そして彼女が歌うガーシュインなどなかなかどうしてその楽譜に立ち還っての試みは得難いものだ。



参照:
再び求道的な感じ 2019-09-08 | 女
可能性の為の検査機器 2020-03-29 | 雑感
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