Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

コロナ聖火台を仰ぐ

2020-03-23 | 雑感
頂上往復コースを走って来た。スピードは確かめるまでもなく遅いが、前回はシカゴ響などを聴いた週だった。つまりコロナに感染する前で、その二週間以内に高熱を出した。パン屋が冬休みだったからだが、今回は土曜日が雨降りで峠攻めを走れなかったからの代わりだった。高度差もあって距離もあるので前夜にはビフテキとジャガイモで準備をしておいた。そこまで準備をすると嫌でも走らなければいけない強迫観念になる。

八時前に谷の駐車場に車が停まっていたが、往復で三件の単独男性とすれ違っただけだ。最初の爺さんはハイキング風、二人目はMBX、三人目の剥げの爺さんは走りだった。急坂なので普段から運動をしている人に違いない。見かけない顔だったので平素はサッカーでもしているような感じだった。

天気は快晴だが、その分山沿いでは雪などと寒の戻りもあってか呑気そうに散歩は下部のワイン山にもいなかった。ローカル局が各々伝えるように土曜日は雨降りで、そして車通りも少ないので、徐々に市民の意思統一が出来てきているようには思える。あとは跳ね上がりものなどに高額な違反金などを科せばなんとかなるようには思われるが、最初が大切だから二週間ぐらい外出禁止にしても良いと思う。兎に角仕事を出来るだけしないことが大切だ。

お向かいの役所は締めてしまった。五千人足らずの市に三人も感染者を出しながら徹底的な対処をしなかったので、もう感染は完全に広がってしまっただろう。だから責任隠しの夜逃げだと思う。因みにこの地区ワイン街道北部は83人の感染に一週間で十倍になっている。当然だろう。もっと早く規律を出しておけばこうはならなかった。

日本の聖火リレーの様子を見ているともう喜劇である。フクシマの放射線がコロナを殺しているならば興味深いが、聖火と共にコロナが東京へと練り歩く。そしてコロナ聖火は一年間半程そこで燃え上がる。ベルリンオリムピックはレリ・リーフェンシュタールの記録映画として歴史的に残されたが、二回目の東京オリムピックはアホの聖火が歴史的に灯され続くのだろう。人類史上またとないような馬鹿の代名詞になるのではなかろうか。

土曜日の晩八時から流された「ばらの騎士」はこの種の中継録画放送として秀逸だった。新聞評などは読んでいたが、実は肝心のメータ指揮への評価は二分していた。理由はテムポの設定とか恐らくその指揮のコントロールにもあったのだろう。しかしこの何日目かの映像と編集してあるだろうそれを観ると、非難の鉾先が間違っていたのではないかと確信した。楽劇「ばらの騎士」は初演当時から大成功した様にシュトラウスの楽劇で最も大衆的な内容の出し物なので、今迄のフォンカラヤンやクライバー指揮の成功に更に何かをすることなどないのである。要するに出し物として芸術的な寿命が切れていてお払い箱となる。

しかしここで演出も中々拘ったものだったが、やはり指揮は秀逸だった。2017年のペトレンコ指揮のシェンク演出もベーム指揮のそれのように苦み溢れていたのだが、メータ指揮の様な全体像は描き切れていなかった。ヴィーナーのレントラーなどの扱いもグスタフ・マーラーの書法を想い来させるような味わい深い響きをベルリンの座付楽団から引き出していた。そしてどこまでも流れて仕舞わないのはロート指揮のシュトラウス管弦楽曲などに通じるもので流石に直系の弟子だと思わせた。

一幕のトリオだとか普段は芝居の中で流れてしまう場面も音楽が雄弁に語るのでその意味がよく通り、三幕へのフィナーレへと運びもあり、これだけ充実した最後のトリオは初めて聴いた。ややもするとレヴューや安物の映画音楽などになって仕舞いがちな楽劇であるが、どうしてその音楽的な表現が高度なものとしていた。歌手陣もベストメムバーと評価されていたが、ニームントの歌もその指揮そのものであり個人的な歌唱よりもとても音楽的になっていた。オクタヴィアンのミッシェル・ロジーアというメゾも声も張りがあって、選んだ仕事しかしていない。ゾフィーのナディン・シエラもプロポーションが良くて、丁度アンサムブル全体としてはミュンヘンとは落ちるのだが、そこの再演よりは流石に熟れている。

しかし何といってもペトレンコ指揮で聴いたギュンター・グロイスベックのオックスはこんなに良かったかと思うほどで、これもメータ指揮とハラーの演出の勝利だったと思う。ペトレンコの指揮ではそこまでよくなかった。流石にこの辺りの曲になるとペトレンコでは描けない世界があり、それは六月に予定されていた「ファルスタッフ」でも先日のメータ指揮と比較して物足りなさがあったかもしれない。あの軽やかなステップ感と同時に渋味など中々ペトレンコ指揮でもない。改めて、メータの巨匠ぶりに驚くと同時にニキシュ指輪を誰に引き渡すのだろうかと気になる位だ。叶わない四月のヴィーナーフィルハーモニカーのツアーの座席からの夢を見そうである。



参照:
肺癌のようなコロナ空咳 2020-03-20 | アウトドーア・環境
公演再開を大胆予想 2020-03-22 | 暦




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