ベルリンの連邦政府による非常時の備えについて書いた。フェークニュースになってはいけないので調べてみた。やはり案の定今回のコロナ騒動に対して出されているものでは無かった。しかしその指針は非常時全般に亘るものであるが、食料に関して2016年にリスト化されていた。
所謂10日分は自給できる備えである。先ず食料品は三週間無くても飲料は四日間しか耐えられないということで、一日成人2リットルで20リットルを挙げている。それで料理にも使うようになっている。登山などでは若干足りないが、安静にしているならば足りるのだろう。
食料品は穀物類3.5㎏、野菜豆類4㎏は瓶詰めや缶詰の調理済みでさもなければ乾燥物は水が必要になる事の注意、果物ナッツ類2.5㎏も缶詰類、さもなければ日持の良いもの、ミルク類2.6㎏、肉・魚卵や乾燥淡白粉1.5㎏、油脂3.57㎏、その他嗜好品として砂糖・甘味料・蜂蜜・ジャム類・チョコレート・ヨード塩・出来合いのヌードルスープ料理やジャガイモ料理の乾燥品、カカオ粉・チーズ・塩棒などがリストアップされている。
飲み物に関してはいざとなればローマ人の知恵ではないがワインが幾らでもあるので大丈夫である。水も近所が汚染されない限り三十分も歩かないで必要な水は汲んで来れる。ヌードルと穀物類で十日は何とか保つだろうが、火が無いと厳しい。果物としてドライフルーツが挙げられていないのは分からない。要するに山に行くときの食料が使いやすいのだが、買い置きして行く気にはならない。
今回のコロナ騒動に関しての連邦政府の方針はよく分かった。五人に四人は殆ど問題が無いとしても残りの一人が感染者が多くなるにしたがって重篤者や死者が増えるという事でウイルスの広がりを抑えるということに尽きる。当然のことながら、五人の一人の危険性を限りなく下げていくことに尽きる。その為に何が出来るかということでしかない。
日曜日の朝一番で美術館に出かけようかと思ったが断念した。体調も天候も良くなかったからである。夜中に録音していたクリーヴランドからの生中継を聴いたりしていて、やはり断念してよかったと思った。もし帰って来て調子が悪くなれば何が何だか分からなくなっていたからだ。
クリーヴランドでのブロムシュテット指揮のブルックナーの第五交響曲は酷かった。前回のNHKでのその時と同じように滑って滑って滑りまくっていた。最後に聴いたヴィーナーフィルハーモニカーを指揮した時のそれからいまだにまともな指揮は聴けていない。今更とは思うが、この調子ならば引退勧告ものである。四月には復活祭で聴くことになっている。その前にベルリンで指揮したストリ―ミングはまだ時間が無くて聴いていない。流石にN響が演奏するようにはならないと思うが、どこまでサポート出来ているのだろうか?やはりクリーヴランドではその意味から駄目だった。トンハーレでも同じようなものだった。
参照:
見えてくる対コロナ戦略 2020-03-01 | 歴史・時事
音楽の伝道師の想い 2018-10-16 | 文化一般
所謂10日分は自給できる備えである。先ず食料品は三週間無くても飲料は四日間しか耐えられないということで、一日成人2リットルで20リットルを挙げている。それで料理にも使うようになっている。登山などでは若干足りないが、安静にしているならば足りるのだろう。
食料品は穀物類3.5㎏、野菜豆類4㎏は瓶詰めや缶詰の調理済みでさもなければ乾燥物は水が必要になる事の注意、果物ナッツ類2.5㎏も缶詰類、さもなければ日持の良いもの、ミルク類2.6㎏、肉・魚卵や乾燥淡白粉1.5㎏、油脂3.57㎏、その他嗜好品として砂糖・甘味料・蜂蜜・ジャム類・チョコレート・ヨード塩・出来合いのヌードルスープ料理やジャガイモ料理の乾燥品、カカオ粉・チーズ・塩棒などがリストアップされている。
飲み物に関してはいざとなればローマ人の知恵ではないがワインが幾らでもあるので大丈夫である。水も近所が汚染されない限り三十分も歩かないで必要な水は汲んで来れる。ヌードルと穀物類で十日は何とか保つだろうが、火が無いと厳しい。果物としてドライフルーツが挙げられていないのは分からない。要するに山に行くときの食料が使いやすいのだが、買い置きして行く気にはならない。
今回のコロナ騒動に関しての連邦政府の方針はよく分かった。五人に四人は殆ど問題が無いとしても残りの一人が感染者が多くなるにしたがって重篤者や死者が増えるという事でウイルスの広がりを抑えるということに尽きる。当然のことながら、五人の一人の危険性を限りなく下げていくことに尽きる。その為に何が出来るかということでしかない。
日曜日の朝一番で美術館に出かけようかと思ったが断念した。体調も天候も良くなかったからである。夜中に録音していたクリーヴランドからの生中継を聴いたりしていて、やはり断念してよかったと思った。もし帰って来て調子が悪くなれば何が何だか分からなくなっていたからだ。
クリーヴランドでのブロムシュテット指揮のブルックナーの第五交響曲は酷かった。前回のNHKでのその時と同じように滑って滑って滑りまくっていた。最後に聴いたヴィーナーフィルハーモニカーを指揮した時のそれからいまだにまともな指揮は聴けていない。今更とは思うが、この調子ならば引退勧告ものである。四月には復活祭で聴くことになっている。その前にベルリンで指揮したストリ―ミングはまだ時間が無くて聴いていない。流石にN響が演奏するようにはならないと思うが、どこまでサポート出来ているのだろうか?やはりクリーヴランドではその意味から駄目だった。トンハーレでも同じようなものだった。
参照:
見えてくる対コロナ戦略 2020-03-01 | 歴史・時事
音楽の伝道師の想い 2018-10-16 | 文化一般