Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

吟味した暫定的なマスク

2020-04-24 | 生活
月曜日からのマスクが気になった。本格的なN95とFFP3は手配してある。スーパーにも使うかもしれないが、この先の事を考えるとお出かけ向きと日常向きの両方を準備しておきたい。そこに遊びは要らない。本気で被感染をも防ぎたい。しかし、パン屋に寄って、森に出かけて、肉屋に寄るにはそんなものは要らない。衣服も汚れていて、汗を掻いているときに一張羅を汚す訳にはいかぬ。色々と考えていたが、代用の絹のショールこそは無かったが、大きなチーフを見つけた。通常のバンダナの大きさでは顎の下に三角巾になってしまって咳も出来ない。しかし、50センチ四方であると三角にしても頂点を襟元に挟み込める。パン屋や肉屋の中での二三分間ほどで全く問題が無いだろう。絹であるからそう頻繁には洗わないが、そもそもマスク自体がそれ程衛生的に優れている訳ではない。形だけのものである。ショーツの上に長いパンツを履いているのと意味が変わらない。

そのパン屋に掘っ冠り無しに行くのもあと一回。先ずは違う売り子もマスクをしているのを確認したが、こちらが咳を抑えるのに苦労した。飛び出ようかと思ったぐらいだが、何とか苦労して買い終えたら、やはり久しぶりに不審な顔をされた。隣に婆さんが居たので注意も促された。婆さんの方が気が付いていないからだが、こちらも明らかに様子がおかしい。走ってみても花粉症なのだが、それでも結構辛かった。そのハッキリしない感がコロナで、とてもマスクぐらいで片付くものではない。

故フォン・ヴァイツゼッカー氏の文化に対する言葉が出ている:

文化は、余裕があれば出来たり、好きなように諦めたりする贅沢ではなく、私たちの内的な生き残りを保障する精神的な土台なのです。

ヴュルツブルクのモーツァルトフェストのホームページの第一面に載っている。勿論簡単にはフェスティヴァルを中止には出来ないというモットーである。引き続き注目したい。

先日再放送されたブルックナーの交響曲九番を何回か流した。ズビン・メーター指揮ヴィーナーフィルハーモニカーの演奏だ。色々とあってなかなか複雑なところもあるのだが、対位法的な反行なども綺麗に出ていて、この管弦楽団の演奏としてとてもいい。若い時から指揮しているようで熟知していることでは第八と変わらないようだが、初めてその解釈を聴いた。一楽章がとても難しいことになっていて、楽譜を前に聴き返してみないと判断は出来ない。とても聴きごたえがあってまさに内容がぎっしりと詰まっている。そしてとても重要なスケルツォの響きこそメータ氏の言うようにヴィーンのブルックナーの響きを実現させている。メータ氏の指揮で聴くと八番などよりも遥かに聴き甲斐のある作品であることがよく分かる。

まだ冬タイヤを履いている。電話を貰っていたが出れなかった。そこで外出禁止一部解禁と店舗の再開で電話した。すると電話は掛からずネットで予約できることが分かった。元々のシステムと変わらないのだろうが、こちらから直接見れるようになった。便利は便利だ。要するに今までそのような仕事をしていた人が不要になるという事に尽きる。これは今迄の雇用の一部が無くなり、パーソナルが異なるところに移ることを意味している。技術的には今まででも出来たことだが、この機を境にして明らかに社会が変わる。



参照:
難しい実効再生産数減少 2020-04-23 | 生活
コロナ聖土曜日の並び方 2020-04-11 | 暦
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