Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

社会的距離を測るライン

2020-04-10 | 
車中のラディオはメルケル首相のコロナ対策の今後への見通しを伝えた。それによると期日の4月19日以降の取り扱いについて、二週間先を見てというような感じで、急激には動かないということだ。同じニュースで各地元知事の話しも紹介されていて、最新のトライヤー知事の呼びかけ映像に詳しかった。

それによると、19日以降の平常化に向けた論議は民主主義的で結構な事であり、次の段階として商店などの再開が考えられると、ほぼオーストリアのそれに準じたことを述べた。しかし同時に距離を開けるとか、衛生に関しては変わらずで、その時期も直ぐという事では無しに様子を見てということだ。そして元の木阿弥になっては意味が無いのでと警告した。

メルケル首相の話しもこの方向にあって、専門委員会の見解は変わらないので当然かもしれない。数字に関してはなんとも言えないが、先週末の敢えての箍の外し方の結果もその頃により戻しとして出てくる筈だ。つまりその戻り方からどこまで緩和できるかが決まる。恐らく早くても五月三日過ぎとなるだろう。

音楽関係の興業に言及すれば、先ずその距離感となると三月に試みたように手を触れないだけでなくて、座席を少なくとも一席づつ開ける必要がある。演奏者の方も距離を開けるか人数を減らすしかない。追々、編成の大きなものは難しくなる。合唱は一部に出ている逆に抗体テスト陽性ぐらいでないと歌えなくなる。

現在所持している入場券ではこの条件に当てはまるものはラインガウでの「鱒」ぐらいで、まだ半分くらいしか売れていないので、ラインラントプファルツの方針が決まったなら確定させることが可能だ。入場料も高いので、あとは調整と精々寄付ぐらいではないか?

ソシアルディスタンツシングに関しては、今日本では八割の接触を避けるとしているが、ドイツでの状況と比較すると、掛け声だけで政治家もアリバイ作りをしているに過ぎない。外国人からすると馬鹿じゃないかと思うように床に線を引いて、極力距離を開けざるを得ないようなっているのがドイツで、それをまともにやろうとすれば高額の罰金ぐらいのペナルティーが無いと馬鹿らしくてやっていられない。

だから水曜日にスーパーに出かけたが外で並んでいたので断念して戻って来た。並ぶ方が危険だからだ。そして聖金曜日の休みの前の木曜日の20時過ぎに出かけたら、流石に入場規制は無かった。そして気楽に買い物が出来たが、さらに「改善」されていたのは床に一方通行の印がついていて、まさしくスーパーの買わせる動きに進むようになっていた。空いていたので無視したが、スーパーというのはそうしたシステムなのである。

こちらは必要な安売りを探して素早く動いた。魚売り場で鮭の切り身が無いかというと、何が入るからわからないので広告とは異なるのだと説明を受けた。まさしく広告を見て行ったのだった。安売りのバリラもフッシーリしかなかったが、ペストには良さそうなので購入しておいた。相変わらず紙コーナーだけはがら空きだった。入荷したのか、ハムスター買いにあったのかは分からないが、それだけは平素と異なった。石鹸は戻って来ていた。

写真は市役所の玄関の前であるが、線が引いてあるのは、入場に待つという事だろう。そもそも混むような役所ではないが、どうも普段は入れない向かって右側の市会議所を入り口にして正面は出口専用にしているのだろう。黄色い線があると流石にそれを無視する人はいない。如何にもドイツらしい馬鹿らしさの杓子定規な世界である。そのお蔭で州のお母さんトライヤー知事にも誉めて貰えるということになる。

一方でライヴァルであった共和国クッロックナー農業省が東欧からの労働者を迎えてバーデンバーデンの空港かで演説しているのが面白い。どうも殆ど労働収容所かの様に「街に出てはいけない、雇い主の所で賄いを受ける」とか縛りがあって、それを演説しているのだった。解決方法には違いなく、労働者にとっても一番安全で効率が良いのだろう。昨年のフランクフルトでの「マノンレスコー」の演出を思い出した。出稼ぎをアスミク・グリゴーリアンが演じた演出だった。



参照:
見出す乗り越える路 2020-04-08 | 音
イザ、バティアシュヴィリ 2020-01-27 | 女
初アスミク・グリゴーリアン 2019-10-11 | 女
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