Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

二年越しの重点課題

2020-04-06 | 文化一般
完全に箍が緩んでいるとしか思えない。有り得ない交通がワイン街道を盛時並に賑やかにしている。前回は三月の中旬に似たような週末があって、その二週間後には感染者が倍増した。その時は向かい側の広場でも飲んでいる輩が居た。そして今同じところに家族などがいる。それも通常の家族以上の子供数だ。オートバイを走らせて車をオープンカーにして何処に行く?
 
ナムバープレートを見ると明らかに他所から来ている。前回はその金を落とさせようとして所謂シュトラーセンヴィルツシャフトと呼ばれる沿路のワイン農家などがもてなしをしていたのだ。それは許されるものでは無く、前述したように広場でグラスを傾ける情景となる。そして二週間後には陽性者の倍増のラッシュが続いて、髑髏が並ぶことになった。
 
土曜日の独公共第一放送では複数名の外出禁止反対論者に喋らせていたようだ。これは殆どガス抜き効果で、今までやってきたことを考えればまだそれを議論する時期ではない。同時にICUの目星がつきそうだという事での報道意思だったと思う。
 
当然のことながらこの週末に対してラインラントプファルツ州ならばトライヤー知事の厳しいお叱りが待っている。バーデンヴュウテムベルクでは予告されていたように警察官が予備召集されての罰金徴収のラッシュだったと思う。その金をバーデンバーデン祝祭劇場に回して欲しい。
 
それにしてもだ道路を見ているとおばさん一人に男性二人、いったいどいう云う家族だ。間違いなく警察が職務質問しなければいけない。そうかと思えば下ではグリルをやっていて、その外側を通る人が声を掛け合っている。近所の者なら身柄を押さえようと思ったら車で走って行ったので余所者だろう。なるほど私も森へ行って挨拶で声をかけるが、それは少し違うと思うのだが。
 
ベルリンからの放送は、何とか警察に突入されない範囲でデュオとソロを一曲づつとカラヤン指揮とアバド指揮のヴィデオで復活祭の歴史に踏み込んでいた。案の定チャイコフスキーに関してはバーデンバーデンの昨年の名演に言及しながらも誰も録音もしていないということでアーカイヴのそれを出していた。それは仕方がないことだが、何よりも良かったのは新たなキリル・ペトレンコへのインタヴューだった。そうなると聞き手はいつものクラースティング氏だ。
 
なによりも復活祭の意味づけを「ベルリナーフィルハーモニカーにとっては一つの集積として、とても短い期間に全ての範囲で全てを示し尽くし聴かれる機会」としていた。そして「中心にあるオペラは勿論自分自身の歩んできたキャリアの中での重要なもの」で、だから「集中してオペラを上演して必須とされる重要な作品と同時に珍しい作品を両方同じように取り上げて行く」と語る。そして「その年度と同時に数年の枠のコンセプトの中で計画枠を作り、その中の二年ごとに重点テーマを置く」、つまり「一つの作曲家、一つのスタイル、一つの言語のテーマを二年越しでビエンナーレの様に追及する」となる。
 
それ故に具体的に2021年の「マゼッパ」に続いて二年間はチャイコフスキーに焦点を当てて、それはオペラだけでなく、その周辺の作品でも数年の枠コンセプトに弧を描くように扱うとした。因みに「ビエンナーレの様に」となる2023年は2022年でバーデンバーデンとの契約が切れた後の新たな契約枠の中での企画となっている。「マゼッパ」と対照となる有名作品は「エフゲニーオネーギン」だろうか。この件は既に祝祭劇場のスタムパ支配人が述べていたが、例のザルツブルクなどで騒がれていたその後の憶測とは正反するもので、当然のことながらペトレンコの口から出たものでこれで要らぬ噂はもう出ないだろう。よって、それに関しては個人的にはなにも感動しなかったが、インタヴューがここで切れていて、この続きが水曜日の二回目に流れるだろうと期待する。
 
 
 
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