Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

恐ろしいコロナの浸食

2020-04-20 | 料理
軽い下痢である。喉の痛みから、全身症状へと広がった。これで殆どのコロナ症状を経験した。改めてコロナの恐怖を感じるようになった。やはり軽症と思って無暗矢鱈にコロナに触れてはいけないと思うようになった。やはり健康でも医療関係者はもとより、神父やバスの運転手まで亡くなると思うと、とてもではないが密度の濃いコロナとの接触は避けなければいけなことがよく分かった。同じような事を一度書いたつもりだったが、ここまでふらふらになると何時かは免疫力が及ばなくなる時が来ると思うようになった。コロナウイルスは抗体も出来ずに中々完治せず、日和見感染もすると書いてはいても、もう二月以上も付き纏われているといい加減嫌になる。

要するにどれほど健康な人でもコロナの攻撃を受け続けると危ないのだろうと確信した。防御をしようと思うようになった。先ずは昨今の傾向からすると、念のためにN95若しくはFFP2のマスクを持っている人に都合して貰って、手元に置いておくことにした。自らの唾では無くて、いざとなれば防御する用意をすることにした。医療危機は乗り越えたが、まだ感染は増えていく、現在は自分自身が家で咳き込んでいるだけであるが、いずれ身近にそういう人を見るであろう。どうしても逃れられ無いこともあるかもしれない。

読売交響楽団の「グレの歌」を観た。話題になっていて絶賛されていたのでそれなりに想像していたが、大分実際の演奏は異なった。確かに歌手はマーンケ一人がまともに歌っていたが、そもそも歌劇場指揮者の割にはカンブレランの指揮が悪いと思った。楽曲も慣れていないのかもしれないが、この指揮者で独墺作品を初めて聴いたが、やはりよくなかった。既にザルツブルクでも、また昨年もフランクフルトでも数多く実演を聴いているのだが、舞台の上で指揮するのを初めて観た。劇場指揮者の割には歌手を上手に歌わすのが下手で、歌手の選択と主にこの指揮者は劇場としての出来よりも自分の音楽しか考えていないのではないかと思う。モルティーエ博士は、演出舞台を最初から付き合って舞台を作り上げていく指揮者としていたが、最終的に歌手も楽団からもその音楽性を上手に引き出さない。ラトルなどとは異なって経験もあって、「勝手にしろ」ではないのだが、「勝手にする」のがこの指揮者の指導力なのだろうか。だからいつも予算にケチつけて音楽監督職を投げ出す。要するに積み上げが出来ない監督なのだ。

管弦楽団は、やはり弦楽部がN響の様に鳴らない。中々乾いた音色で魅力はあるのだが如何せんあれだけの大編成の曲でも、それ故に?鳴り切らない。声部間の出入りは指揮と相まってお得意のようだが、全合奏力としてその域に達していない。その点は、流石に「三流交響楽団」と呼ばれるヴィーナーフィルハーモニカーをアバドが指揮しても鳴り切らないことはなかった。但しあまりにも滲みが多過ぎた。まあ、ペトレンコが指揮しても余程の錬成会でも開かないと駄目である。

先日のキュウリも痛みが酷かった。最初は税関で止められて時間が掛かったのかと思っていたが、よく考えると手で触れたような場所から痛み出していた。最初は傷があった記憶はない。そしてこのルッコラも痛み方が異常だ。

そのようなことを考えていたらコロナウイルスが食料品に乗って感染する場合のサラダなどの問題にぶち当たった。感染している者が最早と考えていたので気にしていなかったが、二日ほど生野菜で活きているとなると気になる。



参照:
演奏会の今後の解決課題 2020-04-18 | 音
まさにコロナ陽性症状 2020-03-18 | 生活

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