日本の緊急事態が宣言された。どうもあまり効果がなさそうだ。恐らく世界で最も何もしない危機管理となりそうだ。やはり日本人は全てを受け入れるしかないのだろう。どこの国でも何かをしたのだが、日本は独自の自粛ということで感染させる儘に感染させて集団免疫化へと進む。英国のボリス・ジョンソンが目していたものを本気でやるようだ。壮大な試みで、一体どれほどの人が亡くなるのかと心配になる。感染速度を下げる処置と言葉で言っても、日本の予想される行動様式では到底人との距離などとることが出来ないのではないか。人が動けば動くほど感染が広がる。
悪い話しばかりではない。僅かばかりの寄付をしたフリーランサー向けのキャムペーンが予定通りの金額百万ユーロ(約一億二千万円)が集まり、予定通りに復活祭前に二千五百人の申請者に対して400ユーロづつ支払われた。公的な資金ではないからこれで生活は出来ないが、それでも繋ぎにはなる。流石に文化相とキリル・ペトレンコが顔になっただけのことはある。支払額の方が多いのはそれ以前に管弦楽団協会が各楽団から集めていた資金を足したものだろう。一般公募になってからも幾つかの楽団が寄付したのは載っていた。兎に角、価値があった。まだ千人ほどの申込者がいるので募金活動を続ける様だ。
ラインラントプファルツ州の陽性者増加が前日比3.4%と半分になりつつある。しかし重症者が死亡して26.5%増加で43人となった。最終的には100人以上が亡くなるのだろう。バーデンヴュルテムベルクが、老人ホームなどの外出だけでなく接触を厳しく規制する方へと動きつつある。これはいづれ第一のヤマを越えた時の議論の土台になるだろう。ある程度感染が広まって仕舞えば、保護される方が閉じ籠もる必要があるからだ。
マンハイムでは図書館を利用の人にはメールの注文で配送するというサーヴィスを大学との共同で始めたようだ。またシュトッツガルトの教会は温かい食事を配るためにテークアウトとして聖週間には提供するらしい。こういう時だからこそ何かをやらないといけないのだろう。
カールツルーヘとバーデンバーデンの間のラシュタットのアイス屋がトイレットペーパーアイストルテを注文に応じて提供したという。イタリア人はこういう時に巧い。これ程簡単に広告してしまう。前回もバーデンバーデン市内のピッツァ屋が無料で病院に運んでいたが、次は何が出るのだろうか?
先日のキリル・ペトレンコのインタヴューで大切なことを書き忘れた。チャイコフスキーの運命交響曲第五番について語った部分である。彼は言う、「会場の聴衆がこの交響曲を最後まで聴いて、それが少し不安であったり、恐れであったり、慰めであっても、解決であっても、日々の生活から先へと乗り越える路をそこに見出してくれればいい。」。
この大切な言葉を見逃していた。なぜDCHがこの機会にこの第五交響曲を流して、特別なインタヴューとしたか。今頃その意味が分かった。
参照:
芸術ゲマインシャフト 2019-04-22 | 文化一般
コンツェルトマイスター 2019-09-01 | 音
悪い話しばかりではない。僅かばかりの寄付をしたフリーランサー向けのキャムペーンが予定通りの金額百万ユーロ(約一億二千万円)が集まり、予定通りに復活祭前に二千五百人の申請者に対して400ユーロづつ支払われた。公的な資金ではないからこれで生活は出来ないが、それでも繋ぎにはなる。流石に文化相とキリル・ペトレンコが顔になっただけのことはある。支払額の方が多いのはそれ以前に管弦楽団協会が各楽団から集めていた資金を足したものだろう。一般公募になってからも幾つかの楽団が寄付したのは載っていた。兎に角、価値があった。まだ千人ほどの申込者がいるので募金活動を続ける様だ。
ラインラントプファルツ州の陽性者増加が前日比3.4%と半分になりつつある。しかし重症者が死亡して26.5%増加で43人となった。最終的には100人以上が亡くなるのだろう。バーデンヴュルテムベルクが、老人ホームなどの外出だけでなく接触を厳しく規制する方へと動きつつある。これはいづれ第一のヤマを越えた時の議論の土台になるだろう。ある程度感染が広まって仕舞えば、保護される方が閉じ籠もる必要があるからだ。
マンハイムでは図書館を利用の人にはメールの注文で配送するというサーヴィスを大学との共同で始めたようだ。またシュトッツガルトの教会は温かい食事を配るためにテークアウトとして聖週間には提供するらしい。こういう時だからこそ何かをやらないといけないのだろう。
カールツルーヘとバーデンバーデンの間のラシュタットのアイス屋がトイレットペーパーアイストルテを注文に応じて提供したという。イタリア人はこういう時に巧い。これ程簡単に広告してしまう。前回もバーデンバーデン市内のピッツァ屋が無料で病院に運んでいたが、次は何が出るのだろうか?
先日のキリル・ペトレンコのインタヴューで大切なことを書き忘れた。チャイコフスキーの運命交響曲第五番について語った部分である。彼は言う、「会場の聴衆がこの交響曲を最後まで聴いて、それが少し不安であったり、恐れであったり、慰めであっても、解決であっても、日々の生活から先へと乗り越える路をそこに見出してくれればいい。」。
この大切な言葉を見逃していた。なぜDCHがこの機会にこの第五交響曲を流して、特別なインタヴューとしたか。今頃その意味が分かった。
参照:
芸術ゲマインシャフト 2019-04-22 | 文化一般
コンツェルトマイスター 2019-09-01 | 音