気温の低下と太陽が無くなったことから疲れが出た。夕方からは気温が上がりそうだ。午前中に肉屋に行くとマスクマークをつけていた。着けて欲しいと言われれば従う。狭いところであるから売り子が守られない。
バーデンバーデンの祝祭劇場からメールが入っていて、マスクに関しても祝祭劇場滞在中は着けて欲しいと書いている。個人的には少なくとも公演中は外したい。食事を出す一方で空調が効いている筈の会場内でつけさせるのはおかしい。若しくは客を詰め込むのがおかしい。満席売らないのだから、初めから絞っておけばよいのである。
少なくとも初日は比較的売れていて、翌日も中ホール扱いにしか売っておらず、既に席替えも済んでいるので、動くつもりはなく、場所もあまり空いていない。だから大人しくしているつもりだが、その後からは空いているところに席を移る。勿論マスクは外す。
ルフトハンザでも五月からはマスク義務を無くすという、そのような時点でマスクはおかしい。なるほどドイツではまだ日々300人ほどが死亡するときもあるので、ウクライナの市民の死者の数ではない。それをマスク着用でも避けれなかった。今更何をしようというのだろうか。ワクチンで死亡の多くは避けることが可能で、少なくともオミクロンでは亡くなる人も減り、ICUも空いている。それでも亡くなる人はいる。マスクで感染速度を制御しても遅かれ早かれ亡くなるだけではなかろうか。
ドイツにおいても今一番の政治的な目標は今秋からはコロナに関係なく社会生活が可能な様に集団免疫を確立することでしかない。全ては医療崩壊を起こさないことを前提として、成し遂げられる。それ以上に社会が出来ることはなかったに過ぎない。
ペトレンコ指揮のリセウでの録画を最後まで流した。幽霊で出てくるオブラツォヴァの伯爵夫人も歌に力があり表現力も抜群だ。ヴィーンでのメードルの「昔の名で出て」いた配役とは全く意味合いが異なり、先日もリストが出ていたプ-ティンの軍事侵攻に賛意をしていた中に名前が挙がっていただけに亡くなるまで矍鑠としていたに違いない。今回の復活祭では昨秋ミュンヘンの「鼻」で活躍していたドリス・ゾッフェルが歌うが、それ程の名唱も期待できない代わりに全く異なったキャラクターの歌唱になるのだろう。今回の演出でも結構鍵を握るのかもしれない。そのあとのリサの景とカジノの場は音楽的にも上手に解決するのは演出、音楽とも嵌まらなければ難しいと分かった。ペトレンコの指揮もやはり若さを感じるところがあって、先ずは今回歴史的に最高の公演となるのかどうか。
日曜日に初日だったフランクフルトの「フェドーラ」も評判がいい。ロイの演出がよいだけでなく、主役二人も良さそうで、ティケットを購入したアスミク・グリゴーリアンのペアーでなくても、指揮者も良さそうで価値がありそうだ。特にそのスリラーの題材が、1881年のツァーアレクサンダー二世の暗殺が、チャイコフスキーにムソルグスキーおけるトルストイ、ドストエフスキー、テュルゲーエフの流れを汲んで、そのニヒリズムがここでも上述同様に想い描かれている。
»FEDORA« von Umberto Giordano
参照:
パーティ券は要らない 2022-03-26 | 生活
最高峰から削ぎ落された祭 2022-04-01 | 文化一般
バーデンバーデンの祝祭劇場からメールが入っていて、マスクに関しても祝祭劇場滞在中は着けて欲しいと書いている。個人的には少なくとも公演中は外したい。食事を出す一方で空調が効いている筈の会場内でつけさせるのはおかしい。若しくは客を詰め込むのがおかしい。満席売らないのだから、初めから絞っておけばよいのである。
少なくとも初日は比較的売れていて、翌日も中ホール扱いにしか売っておらず、既に席替えも済んでいるので、動くつもりはなく、場所もあまり空いていない。だから大人しくしているつもりだが、その後からは空いているところに席を移る。勿論マスクは外す。
ルフトハンザでも五月からはマスク義務を無くすという、そのような時点でマスクはおかしい。なるほどドイツではまだ日々300人ほどが死亡するときもあるので、ウクライナの市民の死者の数ではない。それをマスク着用でも避けれなかった。今更何をしようというのだろうか。ワクチンで死亡の多くは避けることが可能で、少なくともオミクロンでは亡くなる人も減り、ICUも空いている。それでも亡くなる人はいる。マスクで感染速度を制御しても遅かれ早かれ亡くなるだけではなかろうか。
ドイツにおいても今一番の政治的な目標は今秋からはコロナに関係なく社会生活が可能な様に集団免疫を確立することでしかない。全ては医療崩壊を起こさないことを前提として、成し遂げられる。それ以上に社会が出来ることはなかったに過ぎない。
ペトレンコ指揮のリセウでの録画を最後まで流した。幽霊で出てくるオブラツォヴァの伯爵夫人も歌に力があり表現力も抜群だ。ヴィーンでのメードルの「昔の名で出て」いた配役とは全く意味合いが異なり、先日もリストが出ていたプ-ティンの軍事侵攻に賛意をしていた中に名前が挙がっていただけに亡くなるまで矍鑠としていたに違いない。今回の復活祭では昨秋ミュンヘンの「鼻」で活躍していたドリス・ゾッフェルが歌うが、それ程の名唱も期待できない代わりに全く異なったキャラクターの歌唱になるのだろう。今回の演出でも結構鍵を握るのかもしれない。そのあとのリサの景とカジノの場は音楽的にも上手に解決するのは演出、音楽とも嵌まらなければ難しいと分かった。ペトレンコの指揮もやはり若さを感じるところがあって、先ずは今回歴史的に最高の公演となるのかどうか。
日曜日に初日だったフランクフルトの「フェドーラ」も評判がいい。ロイの演出がよいだけでなく、主役二人も良さそうで、ティケットを購入したアスミク・グリゴーリアンのペアーでなくても、指揮者も良さそうで価値がありそうだ。特にそのスリラーの題材が、1881年のツァーアレクサンダー二世の暗殺が、チャイコフスキーにムソルグスキーおけるトルストイ、ドストエフスキー、テュルゲーエフの流れを汲んで、そのニヒリズムがここでも上述同様に想い描かれている。
»FEDORA« von Umberto Giordano
参照:
パーティ券は要らない 2022-03-26 | 生活
最高峰から削ぎ落された祭 2022-04-01 | 文化一般