Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

所謂カジノ構想というもの

2022-04-04 | 文化一般
「スペードの女王」二幕へと進んだ。2003年のリセウ劇場での映像だ。映像は最初観ていなかったが、モーツァルト全開である。少なくとも音だけを聴いていると、あまりにも突飛なパロディー表現で、その前の幕との繋がりがチンプンカンプンである。

例えば小澤指揮ではノリノリで進んで行ったのだが、ここでは僅かばかりのチャイコフスキーの工夫からおかしな効果が生じてくる。丁度光の反転の様な効果があると気付く。しかし、この当時のペトレンコの指揮では少なくとも途轍もなく長い前振りを感じさせる。今回復活祭でどのように鳴るかは色々と想像できるところがあるのだが、そのあとのカード勝負の秘伝を求めて伯爵夫人の婆さんの寝床に偲ぶ主役ヘルマンの景との対照が途轍もないことになりそうだ。

その途轍もなさで驚くのは幾重にも重ねられたピアノやフォルテ表示などで、それは最早音量表示でなくて他の音楽表現ではないかと思わせるのも「悲愴」などでもお馴染みである。そうなると死の近い婆さんのベットの中に忍び込むぐらいの勢いのヘルマンの変態心理も明らかになり、それは如何にも性不同一さえ公に出来ない社会における殆ど表現主義へと近づく完全な後期ロマンを其処に感じさせるところとなる。

通常のロマン主義ならば前半のロココ主義の貴族趣味こそはまさしくヘルマンを賭博へと追いやる心理であって、ここではそうした超えられない身分というのが既に歴史的な遺物となったことを敢えてパロディーという形式で示すことになる。つまり、ヘルマンの射幸心は、現在においては新自由主義的な信条と同一化される。所謂それが時代遅れのカジノ構想とされるものである。

幸い更なる積雪はなかった。これで問題なく月曜の朝に夏タイヤで走れることが確定した。予報では火曜日から最早氷点下にはならない。因みに復活祭初日の土曜日は怪しい天候なのだが、週末は標準的で、その次の火曜日の「スペードの女王」二日目公演からは夏のようになる。

これで月曜日の午後に一時室内避難した植物を再びバルコンへと出せる。例年この様なことをした覚えがない。それほど三月末が暖かかったという事で、今年の様に春らしい日を迎えるのは珍しいことである。例年ならば四月もしばしば夏の様に暑くなるのだが、暫くは快適な日々が続きそうで長袖シャツで過ごせるだろう。

これで初日から日曜日は同じ衣装で出かけて、火曜日から着替えればいいと思う。もう少し考える時間がある。

足の調子は、完全に使った割には、悪くはなっていない。しかし違和感のある所は其の儘残っている。金曜日の下りに殆ど庇わず使ったので、やはり違和感が残る。完治はしていない。しかし火曜日ぐらいにはもう一度使えると思う。

週三回走りにしたらやはり太りだした。贅肉が邪魔になるような運動をしないと何回動いても痩せない。やはり走るのが一番効率が良い。



参照:
全てを賭ける芸術表現 2022-04-03 | 文化一般
ゾクゾクする奈落からの音 2022-04-02 | 音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする