Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ゾクゾクする奈落からの音

2022-04-02 | 
「スペードの女王」のオーケストラ稽古が始まったようだ。例年は土曜日に入ったと思うのだが、一日早くなったのかどうか?ベルリナーフィルハーモニカーが奈落に入ったのは2019年のメータ指揮が最後だったが、今回は指揮台にキリル・ペトレンコが立っているのかと思うとゾクゾクする。

二年続けてのキャンセルに続いて、ウクライナ侵攻の余波で様々なことがあって、気持ちは晴れないのだが、ここまで来るとこちらも腰が据わってくる。そこから響いてくる音を想像するだけでゾクゾクするのである。

先日見つけたヴィーンでの小澤征爾指揮の映像は最後まで流した。結論からすると一幕から二幕三幕へとだんだん悪くなっていった。特にフィナーレへは指揮者が何が舞台上で起こっているのか音楽的に何が表現されているのかが全く分かっていないようだった。それに比較すると二幕でのポロネーズやらロココ風のモーツェルトの模倣などは如何にも小澤の才気が感じられる。だから三幕が始まる時に楽団ともに長い拍手に対して答礼をしている。それだけ評判がよかったという事だ。

そしてその三幕の内容は、今回のバーデンバーデンの演出家達が語る様に最後のカードに人生を託したニヒリズムの音楽などは余程丁寧に読み込まないと表現が出来ないと思った。一番肝心なところなのだが小澤はもちろんそこへと足を踏み入れることを初めから留まっていて、如何にも他人事のように「古典なんですよこれは」と終えている。まるで落語の落ちのようだ。

恐らく、この三幕はどのような指揮者にも難しいところなのだろう。ここが上手くいかないと、それまで何を描いてきているのかも分からなくなる。先ずは三幕だけでも他の演奏を比べてみたい。演出家らは豪華な舞台で描かれるようなものではないとしているようだが、このカジノのシーンは難しい。

何度も繰り返すように小澤は天才であったけども、ペトレンコに我々が期待するのはそこからの読みの深さであって、それをどのように楽譜に光を当てていくかでしかない。それが天才のなすべきことである。

ペトレンコが初めて自らのプロデュ―スで、演出家から出演者迄決めた。ここで成功しない筈がないのである。アスミク・グレゴーリアンが歌う予定だったリサの役は確かにより内向的に歌える役柄で、必ずしも声の威力や存在感だけではないことも分かった。

音楽劇場表現としては最早ティテュス・エンゲル指揮を標準に考えなければいけないが、今晩は昨秋「マゼッパ」公演のあった日にエンゲルがドナウエッシンゲン音楽祭100周年記念で振った演奏会の中継録音が流される。当日いけなかったので是非録音しておきたい。また一週間後にはケルンの放送スタディオから生中継がある。これはまたこちらが忙しい。

兎に角、マスクの無いオペラ鑑賞が可能となって、少しづつお客さんが戻ってくるだろう。復活祭開催までの売れ行きにも注目したい。その為にはメディアの協力も欠かせない。動いて貰いたいところである。



参照:
最高峰から削ぎ落された祭 2022-04-01 | 文化一般
「夏のメルヘン」の企画 2021-09-01 | マスメディア批評
コメント
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