Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

暗闇から光彩への二日間

2022-04-21 | 
復活祭日曜日にチャイコフスキーの最後のオペラ「イオランテ」がコンサート形式で上演された。既に二月にベルリンで健康を害した題名役を十八番にしているヨンチェヴァに代わってアスミク・グリゴーリアンが初共演した。今回も十日ほど前にコロナ陽性になって心配された。なるほど若干声が本調子でなかったようだが表現的にはグリゴーリアンよりも熟れていたかもしれない。声がある人が歌うとどうしても役柄が表に出過ぎるきらいがある。特にこの曲の場合はやはりデンマークの原作の童話性が欲しい。衣装も化粧もその点ヨンチェヴァはよく考えていた。

当日のレクチャーまでは気が付かなかったのは、その舞台がバーデンバーデンの河向こうのフォーゲゼン山脈で、ワイン街道のプフェルツァーヴァルトに繋がりバーデンバーデンの通り道の山の向こうになる。しかし岩の描写などがあるのでコルマーに近いロートリンゲンだろう。だからブルグンダーの二人の騎士が登場する。バーデンバーデンからすれば殆どお当地ものだった。

生まれつき眼の見えない姫が、色や光の存在に気が付き、神々しさを以て開眼する話で、チャイコフスキー最後のオペラとして信仰的な思いが満ち溢れた後期ロマン派の楽曲となっている。復活祭初日に相応しい演奏であった。ベルリンよりも既に声に合わせる柔軟な演奏が可能となっていた。

翌朝11時からブンデスユーゲント管弦楽団の演奏会があったので、コルマーの花崗岩土壌ではない世界的にも珍しい玄武岩土壌のワイン地所フォルストのヴィラージュを開けたが、デキャンターして半分を残した。この演奏会は親御さんなどの影響もあるのかもしれないがアナネトレブコとペトレンコとの初共演に続いて売り切れていた演奏会だった。会場が数百人規模のベナツェットザールであることもあったが、プログラムが無くなるほど満席だった。

とてもデットなホールなのだが、ここで最初に演奏された「運命」は前夜の暗闇から光への「イオランテ」を繋ぐ復活祭の二日に相応しい出しものだった。個人的には「運命」交響曲はベーム指揮ヴィーナーフィルハーモニカー演奏以来で感動した。最初から様々な工夫もあって、その音響とともにトスカニーニ指揮を思い起こせながら第九でも見せた新鮮な奏法など新校訂版に沿ったものでダイシンの指導が入っていたのが伺えた。座った位置からのアメリカン配置の低減の対抗や表現も雄弁で、その点でも、それが終楽章へとなるとヴィーナーフィルハーモニカーの演奏を超えていた。なるほど晩年のベーム指揮という事もあって「田園」に続いての「運命」の終楽章がアタックからそこに入る所が頂点であとは常動曲のように流れてしまっていた。それに比較して最後の反復からコーダへももう一つの山を築いていた。失念していたが、もう一度だけサロネンが日本デビューして指揮棒を投げ飛ばしていた「運命」は黒歴史以外の何ものでもなくなって仕舞った。

ティーンエイジャーの瞬発力や一心不乱な姿勢には到底対抗できない。それを朝一発目に持ってきたペトレンコの狙いは明らかで、会場も圧倒的に湧いた。今後ベルリンでも同曲を指揮することもあるかもしれないが、この曲の体験としてはこれが生涯最高のものになる可能性が強い「運命」だった。

後半は、来シーズンに合わせて「ティルオイレンシュピーゲル」指揮が予定されていて作曲家の映像などでお勉強していたのだが、ウクライナ騒動でフィンランディアに代わってしまって、その点では残念だった。



参照:
意表を突かれた気持ち 2019-01-13 | 音
指揮芸術とはこれいかに 2019-01-08 | 音
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