Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

まるで座付き管弦楽団

2022-04-16 | 文化一般
新制作「スペードの女王」第三回公演は大成功だった。演出、演奏共に修正が加わりどんどんと進化し続けている。カメラは回り続けているが、千秋楽での決定版を想像するしかない。

演出は特に飛び込みのリザ役の所作が明白になるだけでなく、全てに意味するところが分かり易くなっていた。特にマスの中に隠れていた動きが目に留まるようになってきた。これは高級娼婦の館での場面での批判に応えるだけの感じもあり、修景での長机での動きもよりハイライトを浴びるような効果を出してきた。元々この演出家グループのそうした扱いが若干散漫だったことにも気が付いた。初日と千秋楽など二度の訪問はあっても、続けて通うのは初めてで、そもそも通常は演出家が付きっきりという事はあり得ないのであまりないことなのだろう。

それどころか終幕の上半部迄幕を開けてのポリーの部屋は付け加えられていた。下半部だけでは圧迫された印象を与えたのだが、上を開くことで視座が広がった。それで「ヴォツェック」に若干「ルル」的効果が加わっただろうか。

演奏面では、なによりも二日目の緩い演奏から、ここ一瞬の歌の山に反応する緊迫感が加わった。即ちベルリナーフィルハーモニカー特有のゴリゴリピンピンのそれがまるで座付き楽団の様にふんわりと流せる感じに付ける巧さが加わっていて、一体どうしたのという感想だ。その為に二日目に抜く指揮をしていたのかもしれないが、最初の景では若干締まらなかったのだが、ピアノの景から急に引き締まってきた。

この交響楽団をこんな座付き楽団にしてしまうなんて、もう天才指揮者以外の何ものでもない。下り番のチェロのフランス人などもバルコン空き席に家族と入っていて、どう思ってみていただろうか?

あの流した感じと声を盛り立てる奈落が劇場感そのものであれがないと音楽劇場にならない。まさしくフォンカラヤンでさえできていなかったものだ。もうこれだけで音楽監督ペトレンコの復活祭は大成功したようなものである。

そして三日目は初めから会場の雰囲気が違った。やはりミュンヘン通っていたような通が沢山入っていると、ペトレンコ登場の時の歓声からして分かった。それでも緩く入って、愈々感じが出てくると、会場の雰囲気が変わったことを感じた。それでも手綱を絞めて適格に運ぶのがミュンヘンの前音楽監督であり、後半にそれも最後の景に山場を持ってきた。

なによりも進化は、最後のユースのメムバーも加えた喝采と、復活祭では初めてベルリナーフィルハーモニカーが退席してから、もう一度幕を上げさせたことではないか。当然の事乍ら最終日にはもう一つの名演とその反応を期待させるには十分であるが、さて休暇最終日という事でどこまで援軍無しに為せるだろうか。矢張り最終的には上演の盛り上がり以外の何ものでもないと思う。

しかしベルリナーフィルハーモニカーがこうした技を身につけるとどえらいことになりますよ。



参照:
新制作二日目の狙い 2022-04-14 | 文化一般
「スペードの女王」初日批評 2022-04-13 | 文化一般
コメント
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