バーデンバーデンの復活祭が幕を閉じた。紆余曲折があったものの最終的にはその音楽的な成果は計り知れないものがあった。先ずは昨年のミュンヘンでの最終日以降初めてキリル・ペトレンコが奈落で指揮することから期待されたベルリナーフィルハーモニカーにより新たな音楽表現の可能性の天井が開いたことだ。
今回の演奏が来年以降のバーデンバーデンでの音楽活動の大きな株となることは間違いなく、それどころか次の定期演奏からの表現力の拡大に繋がる。一部ビックファイヴのそれに決して引けを取らないような弾力性と柔軟さが備わることになる。その一方で嘗てカラヤンが築いたような楽器間の有機的な繋がりを千秋楽には披露していた。その「スペードの女王」の四日目の演奏に関しては改めて纏めるとしても、バーデンバーデンの耳の肥えた聴衆にも新たな音楽的な可能性への示唆した。
そして芸術的な成果も吟味される。先ずは前記のオペラ公演の音楽劇場芸術の価値を吟味すると同時に指揮者ペトレンコが事実上の音楽監督であるオペラ上演を含む全体のプログラミングに関する評価も必要となる。
抑々この祝祭劇場が黒い森の北端の湯治場に立てられた意味も地域文化の穴を埋めるという公的な使命が課されたことであり、この復活祭を通してそれが為されるかどうかが問われる。
千秋楽「スペードの女王」のレクチャーで最寄りの高等音楽学校カールツルーエのシュテファン・メッシュ教授が時間の無いところで改めて付け加えたのは、なんとキリル・ペトレンコの指揮者としてのユニークさについてだった。この件は、他でも今回改めて扱われていて、追放されたゲルギーエフにおける従来的な指揮者の権威やそうした社会性との対照として挙げられることになっている。
それに留まらず、楽曲に奉仕するようなしかし決して衒学的とはならず妥協のない徹底したその音楽的な姿勢としてこの天才指揮者を定義した。それが芸術監督としての評価ともなるのか?
今回の復活祭フェストシュピーレのそうした包括的な文化的意味づけには、コロナ禍を超えての開催、そしてウクライナ騒動を通してのキャンセル文化とその影響を挙げずには要られない。
大きな意味では、それは価値観の確認ともなり、こうした芸術祭においては核心でもある。既に言及したように演奏者においても殆ど練成会の様にというのは啓蒙思想におけるこうした活動の原点にあるべき姿であり、その枠組みにおいてキャンセル文化を否定したのも支持を得られた。反対に南西ドイツ放送の前支配人フォス氏は地元紙でゲルギーエフ排除に関して批判しているようだ。勿論これは我々も排除へと動いたのでボイコット運動などへと繋がっていたことである。
総じて、嘗てのモルティエ時代のザルツブルク音楽祭におけるオーストリア国内の右翼政権とベルギー間の外交問題化やそこに集う聴衆や支持者など、巷での議論以前に政治的な解決がなされたことを考えれば、プライヴェートな音楽祭として十分な関心と議論が展開するだけの空気感が感じられて、その点でも本格的な芸術祭へと大きな歩みとなった。
参照;
日常茶飯に出合う芸術祭 2022-04-17 | 文化一般
ラウンジ周辺の雰囲気 2022-04-11 | 文化一般
今回の演奏が来年以降のバーデンバーデンでの音楽活動の大きな株となることは間違いなく、それどころか次の定期演奏からの表現力の拡大に繋がる。一部ビックファイヴのそれに決して引けを取らないような弾力性と柔軟さが備わることになる。その一方で嘗てカラヤンが築いたような楽器間の有機的な繋がりを千秋楽には披露していた。その「スペードの女王」の四日目の演奏に関しては改めて纏めるとしても、バーデンバーデンの耳の肥えた聴衆にも新たな音楽的な可能性への示唆した。
そして芸術的な成果も吟味される。先ずは前記のオペラ公演の音楽劇場芸術の価値を吟味すると同時に指揮者ペトレンコが事実上の音楽監督であるオペラ上演を含む全体のプログラミングに関する評価も必要となる。
抑々この祝祭劇場が黒い森の北端の湯治場に立てられた意味も地域文化の穴を埋めるという公的な使命が課されたことであり、この復活祭を通してそれが為されるかどうかが問われる。
千秋楽「スペードの女王」のレクチャーで最寄りの高等音楽学校カールツルーエのシュテファン・メッシュ教授が時間の無いところで改めて付け加えたのは、なんとキリル・ペトレンコの指揮者としてのユニークさについてだった。この件は、他でも今回改めて扱われていて、追放されたゲルギーエフにおける従来的な指揮者の権威やそうした社会性との対照として挙げられることになっている。
それに留まらず、楽曲に奉仕するようなしかし決して衒学的とはならず妥協のない徹底したその音楽的な姿勢としてこの天才指揮者を定義した。それが芸術監督としての評価ともなるのか?
今回の復活祭フェストシュピーレのそうした包括的な文化的意味づけには、コロナ禍を超えての開催、そしてウクライナ騒動を通してのキャンセル文化とその影響を挙げずには要られない。
大きな意味では、それは価値観の確認ともなり、こうした芸術祭においては核心でもある。既に言及したように演奏者においても殆ど練成会の様にというのは啓蒙思想におけるこうした活動の原点にあるべき姿であり、その枠組みにおいてキャンセル文化を否定したのも支持を得られた。反対に南西ドイツ放送の前支配人フォス氏は地元紙でゲルギーエフ排除に関して批判しているようだ。勿論これは我々も排除へと動いたのでボイコット運動などへと繋がっていたことである。
総じて、嘗てのモルティエ時代のザルツブルク音楽祭におけるオーストリア国内の右翼政権とベルギー間の外交問題化やそこに集う聴衆や支持者など、巷での議論以前に政治的な解決がなされたことを考えれば、プライヴェートな音楽祭として十分な関心と議論が展開するだけの空気感が感じられて、その点でも本格的な芸術祭へと大きな歩みとなった。
参照;
日常茶飯に出合う芸術祭 2022-04-17 | 文化一般
ラウンジ周辺の雰囲気 2022-04-11 | 文化一般