Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

大向こうから掛かる声

2022-04-12 | 雑感
気が振れたか ―

大向こうから掛け声が掛かった。前夜のチャイコフスキー作曲プーシキン「スペードの女王」の舞台ではない。翌日曜日の復活祭二日目のロビーでのことだ。

若いお兄さんを締め上げたのは私だった。ピストルならずカメラであったが、飛び道具には変わらない。奴は昨年の11月に同じようにベルリナーフィルハーモニカー公演で隠し録音をしていたのだった。そしてなによりもストーカーである。

犯罪を顧みない危険な人物であることは分かっていたので、こちらも過剰防衛にはなり易いのだが、やはり最低のセキュリティーは保障して貰わないといけなくなった。警察をその場で呼んで貰おうと思ったが、バーデンバーデンの祝祭劇場も反応が悪かった。しかしこれで舞台設定は整ったので、警察に被害届を出さないでも、責任も明白にして、刑事事件化も容易になった。

ストーカー紛いの事で警察のお世話になった事はあるのだが、こちらが被害に遭うとは思ってもいなかった。SNSはそうした危険性が必ず付き纏う。用心深い方ではあるが、まさか公の場での被害などは考えてもみなかったのだ。勿論そうなればこちらもより手を回さないといけない。

犯罪心理の専門家でなくても、遵法精神以前の犯罪傾向はその軽重にあまり変わらない。ここで注意しなければいけないのは、「スペードの女王」においてのカードの極秘をしる伯爵夫人の致死に至る住居侵入やピストルによる脅迫は犯罪であるが、今回の演出ではピストル以前に殴ってショック死させている。チャイコフスキーは、この主人公ヘルマンに自身を投影させているとするのがこの演出で、道徳的な背信の感情はあったにしても犯罪としての意識はなかったのだろう。

奴を締め上げているときに、他にも声が掛かるので後ろを振り返ると前支配人の興行師オヤジではないか。どこか嬉しそうな顔に見えた。僕も故モルティエ―一派なので会場の壁を越える音楽劇場を目指しているのである。

壁の向こう側のArteの生中継のオンデマンドは観ていない。しかしオーボエアモーレながらそこに可能性を目指してのアルブレヒト・マイヤーのプレーは到底頂けない。その服装だけで最早ショー以上のものではなく、演奏がその通り余計に不真面目になっている。更にウクライナ侵攻に関して下らないコメントをして、一体何様だである。ご近所のワイン醸造所が招いて二日続けて演奏したり、彼がベルリナーフィルハーモニカーになる前から見かけているのだが、ここまで落ちるのかと思わせた。この楽団には勘違いした連中がとても多い。奴らがその程度を下げている。パユの表情も観察していた。

ロートの指揮に関しては色々といいたいのだが、先ずはバッハで出来ていないと失望した。その方の評判の良さが全く分からなくなった。これなら同じように古楽でも専門的に活動しているエンゲル指揮に対して何らアドヴァンテージがないではないか。「ペトローシュカ」も生でこそ期待した音響は得られなかった。



参照:
ラウンジ周辺の雰囲気 2022-04-11 | 文化一般
独墺核レパートリー 2021-12-02 | 音
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