(承前)初演された三曲の中で一番ウケたのはメタルオヤジのガンダー作品だった。「ピアノ協奏曲」とクラシックな浪漫派の形態となっていたのでやることは分かっていた。実際に最初から最後まで二種類のリズムパターンで火を汲めていた。その副題も「スコーチングスケルツォ」。二時間後に放送された実況中継録音の番組の中で指揮者のエンゲルも語っていたが、こういうのはデスメタルと称するらしい。そういうことで一定の小さくない市場がある作曲家らしいのだが、今回の演奏で感じたのはやはりその語法で、ティロル出身というが、全く現代のブルックナーと感じた。
特にこの曲はショパンの奏法とかをピアノのソロに弾かせるので、その語法がとても活きている。そうなるとブルックナーのスケルツォでしかなくなる。旋回音はブルックナーにおいては蒸気機関におけるピストンの響きとされるのだが、ここでも所謂騒音音楽とされる「鉄工場」などを思い起こさせるだけではなく、まさしくクナパーツブッシュの音楽を想起させるエンゲルの指揮がそのイントネーションから余計にその趣を強くした。
先に演奏された曲がモダーンなそれを感じさせるならば、ここは更に進んでクラシックロマーンへと明らかにそのパロディーを含めて突き進んでいる。其れゆえに広範な聴衆によって受け入れられるという背景がある。先日言及した独音楽至上主義というのもそうした語法の継承を指していて、ここでの音楽が「ゴジラ」に終わらないというのがそこなのである。要するに芸術文化的な背景を反映している。
言葉を変えると、そうした歴史文化的な背景無しには音楽創造も芸術とはなりえないということでもある。同じような傾向は昨年十年越しで本格的な再々再演となったハース作「血の家」においてもモンテヴェルディからモーツァルトを通してハースへと繋がっていたことにも共通している。要するに、前世紀終盤に盛んだったポストモダーンの何でもありの様式から、綺麗に概論的に一望されるような書法で創作される様になったのが今世紀に為されたということを示している。
そしてここでもエンゲル指揮のグルーヴ感覚が活きてくる。ピアニストのヨーナス・アホーネンも長身でその打鍵も、昨年聴いたピアニストが雑だったので、どうかとも思ったが、最後迄弾き切っていた。反対に軽みを出す四分音迄の管弦楽をメタルで演奏させグルーヴさせるのは難しいことだとエンゲルが語っている。
そういうことで作品に関しては売れても仕方がないと思った。同種の試みは沢山知っている。つまり最先端のポピュラー音楽の意匠を使う作曲家は個人的にも知っているのだが、こうした語法を完成させていたのは大したものだと思った。
しかし、想定の井出達は大きく外された。LPの写真では立たせていたモヒカンを短く目立たないようにしていて、それどころかスーツまで着ているオーストリアの体格のいいオヤジだった。こちらはそれに合わせて、そんなパンクファッションをとまで考えていたものだから失望でしかない。意外にTPOを考えている保守的な人だと分かると、余計にその音楽がブルックナーの直系であると感じても全然不思議ではない。それ以上に忖度し過ぎである。しかし創作自体は想定を超えて遙かに今日的であった。そしてコーダには、萎れたモヒカン頭の代わりに、コケコッコーと叫びが聴こえた。(続く)
実況中継のオンデマンド
参照:
とても保守的な仕事着 2023-02-02 | ワイン
「シーズン最高の初日」の意 2022-05-24 | 文化一般
いぶし銀のブルックナー音響 2017-10-31 | 音
特にこの曲はショパンの奏法とかをピアノのソロに弾かせるので、その語法がとても活きている。そうなるとブルックナーのスケルツォでしかなくなる。旋回音はブルックナーにおいては蒸気機関におけるピストンの響きとされるのだが、ここでも所謂騒音音楽とされる「鉄工場」などを思い起こさせるだけではなく、まさしくクナパーツブッシュの音楽を想起させるエンゲルの指揮がそのイントネーションから余計にその趣を強くした。
先に演奏された曲がモダーンなそれを感じさせるならば、ここは更に進んでクラシックロマーンへと明らかにそのパロディーを含めて突き進んでいる。其れゆえに広範な聴衆によって受け入れられるという背景がある。先日言及した独音楽至上主義というのもそうした語法の継承を指していて、ここでの音楽が「ゴジラ」に終わらないというのがそこなのである。要するに芸術文化的な背景を反映している。
言葉を変えると、そうした歴史文化的な背景無しには音楽創造も芸術とはなりえないということでもある。同じような傾向は昨年十年越しで本格的な再々再演となったハース作「血の家」においてもモンテヴェルディからモーツァルトを通してハースへと繋がっていたことにも共通している。要するに、前世紀終盤に盛んだったポストモダーンの何でもありの様式から、綺麗に概論的に一望されるような書法で創作される様になったのが今世紀に為されたということを示している。
そしてここでもエンゲル指揮のグルーヴ感覚が活きてくる。ピアニストのヨーナス・アホーネンも長身でその打鍵も、昨年聴いたピアニストが雑だったので、どうかとも思ったが、最後迄弾き切っていた。反対に軽みを出す四分音迄の管弦楽をメタルで演奏させグルーヴさせるのは難しいことだとエンゲルが語っている。
そういうことで作品に関しては売れても仕方がないと思った。同種の試みは沢山知っている。つまり最先端のポピュラー音楽の意匠を使う作曲家は個人的にも知っているのだが、こうした語法を完成させていたのは大したものだと思った。
しかし、想定の井出達は大きく外された。LPの写真では立たせていたモヒカンを短く目立たないようにしていて、それどころかスーツまで着ているオーストリアの体格のいいオヤジだった。こちらはそれに合わせて、そんなパンクファッションをとまで考えていたものだから失望でしかない。意外にTPOを考えている保守的な人だと分かると、余計にその音楽がブルックナーの直系であると感じても全然不思議ではない。それ以上に忖度し過ぎである。しかし創作自体は想定を超えて遙かに今日的であった。そしてコーダには、萎れたモヒカン頭の代わりに、コケコッコーと叫びが聴こえた。(続く)
実況中継のオンデマンド
参照:
とても保守的な仕事着 2023-02-02 | ワイン
「シーズン最高の初日」の意 2022-05-24 | 文化一般
いぶし銀のブルックナー音響 2017-10-31 | 音