11月のベルリナーフィルハーモニカー日本公演のプログラムが発表された。キリル・ペトレンコ就任お披露目公演である。昨年の米国公演に続く。
第一印象からするといつものツアー公演の手際を守って、三種プログラムにせずに二種に縛ったのが印象的だ。夏のツアーのプログラムを海外ツアーで繰り返すのは昨年と同様で、既にベルリン、ザルツブルク、ルツェルン等で少なくとも三晩以上は演奏しているプログラムとなる。繰り返せば繰り返すほど完成度は高くなる。
しかし、一月にベルリンの定期公演で演奏されたシェーンベルクの変奏曲プログラムは外れている。これは最も意外であった。なぜならば、当初予定されていた復活祭での演奏も取り止めて、夏のツアーのみで演奏されるからだ。恐らくるルツェルンからパリぐらいに飛ぶのだろうが、演奏回数としては少ない。
反対に「英雄の生涯」は現在のペトレンコ指揮フィルハーモニカーにとってはやりたい放題に演奏できる自家薬篭中の曲であり、往時のカラヤン指揮の演奏に劣ることは絶対にありえない。演奏技術的にもその描き方からしても比較にならないだろう。前半のレーガーの曲も同様に演奏して、更にフランクルトの壮行演奏会で演奏すれば完璧に熟せると思う。そして、もう一つの変奏曲プログラムとのコンセプトも完璧なのだろう。
しかし、11月定期で演奏して極東旅行に持って行くもう一つのプログラムが、レーガーが主題を使ったモーツァルトのイ長調交響曲で、日本では晩年のベーム指揮で名演を聴かせていた曲で、そこにベルクの三つの小品が続く。
モーツァルトは昨年米国ツアーにも持って行ったが、さて日本のような大ホールでどれ程の効果があるものか。そして、そこに無調の作品6が音楽的にはモーツァルトと合わせてあるのだろうが、まさに戦争前の曲だ。しかし音響的に後半のブラームスとの変化が大変になる。
勿論、ペトレンコがミュンヘンで試みたように徹底的にシュタインバッハの初演の演奏実践に拘れば取り分け興味深いプログラムとなる。しかし不幸なことに既に2020年にベルリンとザルツブルクだけで二晩のみ演奏されている。コロナ配置の奏者間に大きな間隔を開けた演奏で、とても条件の悪いところで、既にカラヤン時代から継承しているフィルハーモニカーのブラームス演奏実践との折衷が計られた。
そのことをペトレンコ自身もインタヴューで語っているのだが、その後のブラームス実戦もそれが踏襲された。その背景には、ベルリンの劇場時代にモーツァルトの演奏実践様式を作品間で変えたことで混乱が起こり、それを離任時に反省としていた事実がある。要するに今ここでブラームスの演奏様式を変更することはないだろう。寧ろ分厚い響きが求められる状況となるかもしれない。
変奏曲プログラムでの「ハイドンの主題」によるもカラヤン指揮のその主題の歌い方には到底及ばなかったことから、コンセプト的には素晴らしいものを提供できるのだろうが、聴衆の満足度としてはそこ迄至らないのではないかと想像する。
参照:
衝突する伝統からの確立 2020-09-04 | 音
職業倫理の音楽性 2022-02-12 | マスメディア批評
第一印象からするといつものツアー公演の手際を守って、三種プログラムにせずに二種に縛ったのが印象的だ。夏のツアーのプログラムを海外ツアーで繰り返すのは昨年と同様で、既にベルリン、ザルツブルク、ルツェルン等で少なくとも三晩以上は演奏しているプログラムとなる。繰り返せば繰り返すほど完成度は高くなる。
しかし、一月にベルリンの定期公演で演奏されたシェーンベルクの変奏曲プログラムは外れている。これは最も意外であった。なぜならば、当初予定されていた復活祭での演奏も取り止めて、夏のツアーのみで演奏されるからだ。恐らくるルツェルンからパリぐらいに飛ぶのだろうが、演奏回数としては少ない。
反対に「英雄の生涯」は現在のペトレンコ指揮フィルハーモニカーにとってはやりたい放題に演奏できる自家薬篭中の曲であり、往時のカラヤン指揮の演奏に劣ることは絶対にありえない。演奏技術的にもその描き方からしても比較にならないだろう。前半のレーガーの曲も同様に演奏して、更にフランクルトの壮行演奏会で演奏すれば完璧に熟せると思う。そして、もう一つの変奏曲プログラムとのコンセプトも完璧なのだろう。
しかし、11月定期で演奏して極東旅行に持って行くもう一つのプログラムが、レーガーが主題を使ったモーツァルトのイ長調交響曲で、日本では晩年のベーム指揮で名演を聴かせていた曲で、そこにベルクの三つの小品が続く。
モーツァルトは昨年米国ツアーにも持って行ったが、さて日本のような大ホールでどれ程の効果があるものか。そして、そこに無調の作品6が音楽的にはモーツァルトと合わせてあるのだろうが、まさに戦争前の曲だ。しかし音響的に後半のブラームスとの変化が大変になる。
勿論、ペトレンコがミュンヘンで試みたように徹底的にシュタインバッハの初演の演奏実践に拘れば取り分け興味深いプログラムとなる。しかし不幸なことに既に2020年にベルリンとザルツブルクだけで二晩のみ演奏されている。コロナ配置の奏者間に大きな間隔を開けた演奏で、とても条件の悪いところで、既にカラヤン時代から継承しているフィルハーモニカーのブラームス演奏実践との折衷が計られた。
そのことをペトレンコ自身もインタヴューで語っているのだが、その後のブラームス実戦もそれが踏襲された。その背景には、ベルリンの劇場時代にモーツァルトの演奏実践様式を作品間で変えたことで混乱が起こり、それを離任時に反省としていた事実がある。要するに今ここでブラームスの演奏様式を変更することはないだろう。寧ろ分厚い響きが求められる状況となるかもしれない。
変奏曲プログラムでの「ハイドンの主題」によるもカラヤン指揮のその主題の歌い方には到底及ばなかったことから、コンセプト的には素晴らしいものを提供できるのだろうが、聴衆の満足度としてはそこ迄至らないのではないかと想像する。
参照:
衝突する伝統からの確立 2020-09-04 | 音
職業倫理の音楽性 2022-02-12 | マスメディア批評