Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ブロブの720種類の性差

2023-06-25 | 歴史・時事
承前)6月はプライド月間らしい。ミュンヘンの劇場にも旗が上がり、世界中でLGBT月間が祝われている。新制作「アシジの聖フランシスコ」においてはプログラムの演出家のマーラー女史が語っていた。最終景になぜ繭の孵化をプロジェクターで使ったのか。それは子供の時に池の近くで育ってトンボなどの生物が身近にあったからだとしている。この制作を通して聖フランシスコの博愛の価値が示されているのだが、それは菌の着ぐるみになった籟病者でもあり、鳥との交流でもあり、動物振りの動きでもあった。そこにあるのは物体と魂でしかない。

今秋ベルリナーフィルハーモニカーがカラヤン指揮の時に続いて高松で演奏会を開く。その会場が名付けられているのがレクザムであり、その企業の正業であったプラスティックの形成技術からスキー靴のブランドを作り上げた。その過程でオーストリアの靴職人アウワー氏を技術アドヴァイザーとした。その顧客の何人もの金メダリストや各国のナショナルチームの足型そして熱心なアマテュア―の足形を取り続けたアウワー氏が私たちに語ったことがある。それは日本人の足形がどうのこうのという問いかけに対して、それは人種とか民族性で言えるものではなくて、その比率の大小でどのような傾向があるかというだけに過ぎないと。要するにマイスターとして興味あるのは各人固有の個性でしかないということだ。その問題を持つ全ての足型に合うようにスキー靴を形成していく。ブレンナー峠の麓にある靴職人がその経験から真実を語った。

職人にとっては、カテゴリー別けを越えての眼こそが全てである。なによりも対象を有りの侭に観察する眼である。そして積み重ねられる経験を通しての判断でしかない。

昨10月に体験したクラッツァー演出「マスケラーデ」においても、「有りの侭」の私が主題となっていた。文化社会性というカテゴリー別けでしか集合を扱えない、そしてそこにマスに取り込まれる没個性から目覚めが示された。

聖フランシスコにおいては、あらゆる現象に神の意志が働いていて、自他の隔たり無く博愛へと向かう。それは隣人から、鳥へと、そして原始の生物に迄至る。そしてそこで今回の制作ではモジホコリというスティーヴマックインが登場した映画「ザブロブ」から名付けられたアメーバー状の黄色い菌が登場する。そこには720種類の性別があって、男女の性別の間に、そしてその変遷のステージによって変わるというのだ。それがこの制作において、それは植物でもあり得て、定義できないばかりか、ある時は太陽の陽のように輝く。
The Blob (1958) Trailer #1 | Movieclips Classic Trailers




参照:
源流へと戻っていく 2014-12-26 | アウトドーア・環境
「ありの侭の私」にスポット 2021-11-05 | マスメディア批評
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