バムベルク交響楽団を久しぶりに聴く。前半のブラームス作曲ドッペルコンツェルトは可也実力をまざまざと見せた。恐らく今回のプログラムの中で殆ど練習が出来なかったのだろう。ヴァイオリンのヒラリー・ハーンのキャンセルで都合が着き難くなったのかどうかは分からない。然し、替わったヴィルデ・フランクとソル・ガベッタの二人が旧来の関係で上手に合わせてたことからすれば、フルサ指揮での交響楽団が上手につけられていなかったのは明らかで、それどころかアンサムブルとしても到底一流の演奏ではなかった。
前回聴いた90年代にはまだまだドイツでベルリンのフィルハーモニカ―の対抗馬とされていた。勿論バイエルン州にはミュンヘンのフィルハーモニカーもBR交響楽団もあったのだが、要するに機能的にトップクラスともされていた。それでも実状はホルストシュタインが指揮していたころと比較して、試用で若い奏者をとっかえひっかえと安く使っていたりと決して経済的には真面ではなかったのも気が付いていた。
その後、英国人のノットとかの首席指揮者が振っていたが、到底聴くような機会はなかった。要するにそこまでの成功はしていなかった。そして今ヤコブ・フルシャはビッグファイヴでデビューして成功するなど、そしてロンドンの王立歌劇場の音楽監督に指名されるなど一流の指揮者の下でも演奏活動となっている。それどころかフルシャ指揮でのミュンヘンでの演奏会からBR交響楽団のラトルの次に早くバムベルクからミュンヘンに来て欲しいという評論家までが出て来た。それ程注目されている指揮者なのである。
個人的にはルツェルンでのリハーサル風景を間近で見た経験とその後の本番の放送から全く駄目な面も見ているのだが、今回その面も再確認した。やはり準備が十分出来ていないと本番で修正してくる力が全くないのだろうということだ。遠くから聴いていて、ここ其処はそのようにという修正点が分かるというのは可也重症で、一体指揮者が何のためにいるのかとなる。
同時にこの指揮でブラームスをやるのは決して悪くはないと思うのだが、即ち基本的なコンセプトは決して間違いではない。然しシンコペーションやアウフタクトを土台をゴリゴリと押さえていけないようでは独墺作品を振っても仕方ないと思わせる。そしてそれをルーティンでやれるだけの独名門楽団にはなっていない。どこかでこの楽団が経済的にも音楽的にも崩壊していたことが知れた。その演奏の質からすれば、ペトレンコがフォアールベルクで指揮する交響楽団よりも決して上手くはないのである。独五傑に入るのは難しい。
つまり独墺レパートリーを最初の練習からルーティン化して真面に演奏できる様な楽団ではないことが知れた。なるほど道理で、指揮者のフルサがラトルが辞めてミュンヘンに早く来て欲しいという声の理由は知れた。然し重要なのはそこではない。フルサがそれならチェコの作品などを中心にバムベルクで成功しているそこが肝心なのだ。
それは後半にしっかりと見定めが出来る。その為に態々来たようなものだ。そしてハーンも生で聴きたかったが、毛嫌いしつて避けていソル・ガベッタのチェロは如何なものだったかということになる。(続く)
参照:
バックステージは如何に 2024-09-30 | 女
ルツェルンからの光景 2024-09-11 | 音
前回聴いた90年代にはまだまだドイツでベルリンのフィルハーモニカ―の対抗馬とされていた。勿論バイエルン州にはミュンヘンのフィルハーモニカーもBR交響楽団もあったのだが、要するに機能的にトップクラスともされていた。それでも実状はホルストシュタインが指揮していたころと比較して、試用で若い奏者をとっかえひっかえと安く使っていたりと決して経済的には真面ではなかったのも気が付いていた。
その後、英国人のノットとかの首席指揮者が振っていたが、到底聴くような機会はなかった。要するにそこまでの成功はしていなかった。そして今ヤコブ・フルシャはビッグファイヴでデビューして成功するなど、そしてロンドンの王立歌劇場の音楽監督に指名されるなど一流の指揮者の下でも演奏活動となっている。それどころかフルシャ指揮でのミュンヘンでの演奏会からBR交響楽団のラトルの次に早くバムベルクからミュンヘンに来て欲しいという評論家までが出て来た。それ程注目されている指揮者なのである。
個人的にはルツェルンでのリハーサル風景を間近で見た経験とその後の本番の放送から全く駄目な面も見ているのだが、今回その面も再確認した。やはり準備が十分出来ていないと本番で修正してくる力が全くないのだろうということだ。遠くから聴いていて、ここ其処はそのようにという修正点が分かるというのは可也重症で、一体指揮者が何のためにいるのかとなる。
同時にこの指揮でブラームスをやるのは決して悪くはないと思うのだが、即ち基本的なコンセプトは決して間違いではない。然しシンコペーションやアウフタクトを土台をゴリゴリと押さえていけないようでは独墺作品を振っても仕方ないと思わせる。そしてそれをルーティンでやれるだけの独名門楽団にはなっていない。どこかでこの楽団が経済的にも音楽的にも崩壊していたことが知れた。その演奏の質からすれば、ペトレンコがフォアールベルクで指揮する交響楽団よりも決して上手くはないのである。独五傑に入るのは難しい。
つまり独墺レパートリーを最初の練習からルーティン化して真面に演奏できる様な楽団ではないことが知れた。なるほど道理で、指揮者のフルサがラトルが辞めてミュンヘンに早く来て欲しいという声の理由は知れた。然し重要なのはそこではない。フルサがそれならチェコの作品などを中心にバムベルクで成功しているそこが肝心なのだ。
それは後半にしっかりと見定めが出来る。その為に態々来たようなものだ。そしてハーンも生で聴きたかったが、毛嫌いしつて避けていソル・ガベッタのチェロは如何なものだったかということになる。(続く)
参照:
バックステージは如何に 2024-09-30 | 女
ルツェルンからの光景 2024-09-11 | 音