Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

四半世紀を越える感興

2024-10-28 | 雑感
夏時間が終った。一時間早く目覚められるのは快適である。仕事もしやすい。夜が長くなるが、ゆっくりすることも可能になろう。

楽劇「影のない女」から「ばらの騎士」へ。偶然だろうか、何度も書いているが前者は自分自身にとっては移住への切っ掛けになった作品である。後者も楽劇としては最も観劇している作品の一つかも知れない。

2022年の秋からお勉強準備に言及してある。特に演出のリディア・シュタイヤーの三部作としてパリ公演での楽劇「サロメ」への関心があった。「影のない女」主演のヒーヴァ―が、少女サロメの自慰行為をする演出だった。それと2023年2月からの仕事上での関心からのセックスチャットへの興味とは無関係な筈なのだが、全く無関係とは言えないと感じるようになった。

一つには大きなトレンドとして合衆国大統領選挙でも最終段階で登壇したミシェル・オバマの女性自身への内容自体も女性の性に関する応援演説内容だった事実がある。よって必ずしも個人的な関心とは考えられない。

そして、その頃には情報もなく予定もしていなかったスカラ座での日程が発表されたのが2023年初夏だったかと思う。宿を早めに準備しておいて、ティケットを購入する迄は計画を暖めておいたことになる。ミラノへの旅も前世紀以来であり、仕事の関係で滞在していたのでそれはそれなりに思い出もあった。

楽劇「ばらの騎士」は自分自身にとってはそれ程の大きな意味を持たなかったのだが、今回の公演に接して明らかに新たな体験となったことも別途記している通りである。然しこちらの演出は2016年のショスタコーヴィッチ作曲「レディマクベス」の演出と同じくハリー・クッパーの晩年の仕事の一つだった。

その間に2001年から使用していた乗用車の廃車へと最終段階を向かえるようになっていて、これも最初から最後までということで初めての体験であった。たとえ無機物であっても23年間も使って三十万キロもそれを走らせていると様々な体験がそこに纏わる。センチメンタルジャーニと書いたのだが実は全くそういうものとは異なる感興を覚えている。まさしくそれが新たな体験の核心でもある。

都合がつけば出かけようと思っていたミュンヘンでの「ニーベルンゲンの指環」前夜祭「ラインの黄金」初日の生中継放送が流れている。殆ど聴いていないが、少なくとも管弦楽の響きがとてもラフで — 当夜の感想を評論家のティール氏は「アンチ混合音色」と表している —、敢えてそうした響きで真っ当な音を出していない。演出にも合わせたつもりなのだろう。勿論映像を観るか更なる情報を得ないと結論は出せないが、来夏にでも改めて出かける準備をしていたその価値はないかもしれない。

なにもこちらの許容限度が狭くなってきているのではないのだが、少なくとも本質的なものを追及する迄もないスタイル的なものを賞味するのは最早時間の無駄となってきている。それは新しいトレンドとかオーソドックスとかいうものとは全く無関係で、人の姿勢によるものだ。新年には新作をシュタイヤーが演出してエンゲルが振る世界初演に出かけるが、それも何も新しいものだから興味があるのではない。



参照:
形而上への一瞬の間隙 2024-10-27 | 音
ペトレンコの日本への真意 2023-10-21 | マスメディアきて
コメント
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