Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

春以来のクロンベルク

2024-10-05 | 
クロンベルクの「四季」、二部構成の音楽会だった。一部はヴィヴァルディの同曲を中心に据えて、その前にシニトケのコンツェルトグロッソ6番が演奏された。当初のプログラム配置などとは最終迄定まらなかったようだ。一つにはHR2でのラディオ収録の関係もあったと思う。小まめにマイク設置をしていた。二部はバッハのニ短調のドッペルコンツェルト、そして曲目変更のギナステラの弦楽のための協奏曲、最後にピアツォラの「四季」となった。

先ずは誰がどの曲を演奏するかは一部予想するしかなかった。なぜならば二人のヴァイオリニストのジャニー・ヤンセンは今シーズンからアカデミーの指導にあたり、ギドン・クレメルの演奏は春にはアカデミー生と合わせていたからだ。更に、二人のヴァイオリニストが何を弾くかも分からなかった。

予想通りだったのはヤンセンのヴィヴァルディとクレメルのシュニトケとピアツォラだったか。もしかと思っていた共演がバッハで実った。然し結果は予想通りで、第二ヴァイオリンにクレメルが弾くと、到底第一ヴァイオリンを模倣するだけの音が出なかった。協奏曲としても音が消えてしまう。楽団はクレメルの楽団なのだが、ダイナミックスはヤンセンの弾き振りに合わせる。興味深かったのは楽団の中で最も若そうなリガの女性で、オランダでも学んだようだ。彼女がヤンセンに吹っ掛けられるのだが、勿論匹敵するような音も出ない。同じ様に音が出なくてもやはりクレメルは一鎖を聴かせる。演奏者同士でなくてもついつい耳を傾けたくなる。特にバッハの演奏は日本での最初のリサイタルでも独奏をしていたので懐かしかった。

一部一曲目にはクレメルが、1977年に日本初演した「ショスタコービッチの想い出」のシニトケの1993年の作品が演奏された。前年の夏に亡くなり、その年内には創作されていた曲である。個人的には録音テープに合わせての演奏は初めての経験だった。その印象がその後の作曲家同席の演奏会やオペラの独初演などのその作風への認識の基礎になっていた。

そしてそこでピアノと指揮を受け持ったのが昨年日本でも大きな話題になったフィンランドのピアニストのオリ・ムストーネンだった。これがまた激しく、蓋を取ったその楽器からダイレクトな打鍵が楽器の共鳴を許さなかった。日本ではクラシックな曲を弾いたかで「まるで玩具のピアノ」と評された音響であった。聴衆が違和感を持ったのもよく分かったのだが、少なくとも十数年前にペトレンコ指揮でハムブルクで演奏したベートーヴェンはそれなりに素晴らしかった。ベルリンでペトレンコが客演指揮で合わせたフォークトとは比較にならない音楽性であった。

この作品のシリーズはコンツェルトグロッソと称して指揮者ロジェストヴィンスキーに献呈されたがバロック音楽をモデルとしたソロ楽器群と楽団の協奏曲である。そこに楽器の組み合わせによる若しくは楽器の特徴による奏法や音響の面白さがその音楽となっている。当然チェンバロ風の鋭い響きや叩いたりはたたいたりするようなタッチが要求されるところである。

そのあまりにもの素晴らしい響きに対応すべく、クレメルが前々回聴いた1990年代にも劣らない明晰な音を奏していた。それが聴けただけでもこの会に出かけた価値があった。そしてこれ程のピアノを弾ける奏者は本当に貴重で新しい音楽を得意とするピアニストにも必ずしも期待できない音楽性である。(続く)



参照:
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